4.天使の器
コトリと音がして、エリスの目の前にお茶の入ったマグカップが置かれた。
魔法屋アンティークのカウンター横の席に座らされていたエリスは、お茶を持ってきた持ってきたティーナに礼を言いながら確認する。
「それじゃ、ティーナは魔法使いなんですね」
「そうだよ。でなきゃこんなお店開店できないって」
エリスの問いかけにティーナは小さな頭を軽く上下させて頷いた。金色の髪が波打つように大きく揺れる。
本当に──同性のエリスでさえ見とれてしまうほどの美貌だった。もし彼女が貴族だったら、おそらく男性貴族の誰もが放っておかなかっただろう。それどころか、噂の第一王子の王妃の座だって射止められたかもしれない。
大人びた言動と均整の取れたスタイルから二十歳くらいだと思っていたが、実際ティーナの年齢はエリスの僅か一つ上の十六歳なのだという。あまりの大人っぽさと魅力の差にエリスは嫉妬さえも浮かばない。
「もっとも、このお店を開店させたのはボクのおばあちゃんなんだけどね」
ティーナの話によると、彼女は祖母デイズにここで育てられたのだという。だがデイズも1年前に亡くなり、今ではティーナがここ『アンティーク』の主となったのだそうだ。
「それじゃあ、デイズおばあさんって優秀な魔法使いだったんですね?」
「そうだね、なにせ──『天使』だったからね」
「てっ、『天使』だったんですかっ!?」
◇◇◇
──【天使】。
魔法使いの中でも特別な力に目覚めた、ごく限られた特別な存在。
ある条件を満たした魔法使いは、その背中に巨大な魔力が具現化した白い翼を手に入れる。人々は、その姿形から畏怖を込めて天使と呼んだ。
「デイズおばあちゃんはね、それはキレイな白い『天使の翼』を持っていてね。『ホウキ』に関する『天使の歌』を使えたんだ」
「え? ホウキ?」
「エリスは『天使の歌』は知ってるよね?」
「はい。『天使』が使える、その天使固有の魔法のことですよね?」
「大正解! 『天使の歌』には、その人固有の魔法の性質が存在するんだけど……たとえばエリス、キミがお裁縫が得意だと仮定するよ」
「え、ええ」
「お裁縫が得意なキミが天使になったとする。その瞬間にエリスの天使としての資質が決まるんだけど──キミの『天使の歌』は『お裁縫』に関するものなることが多いかな。たとえば、自動で裁縫をしてくれたりとか、具現化された針で刺された人は麻痺しちゃう、とかね?」
「……えっと、つまり──その天使の人が得意だったことが『天使の歌』になる、ということでしょうか?」
「そうだね、そういう理解でいいと思うよ。っということで、デイズおばあちゃんの『天使の歌』は『ホウキ』だったんだけど、そうすると──例えばホウキを出して空を飛ぶ魔法が使えたりするというわけさ。あとは『ホウキ=掃除』ってことで、心の掃除……わかりやすく言うと封印術を中心とした精神操作が得意だったね。正直『ホウキ=掃除』なんて強引な気もするけど、そのへんは魔法だから気にしたほうが負けかな」
そう言うと、ティーナはけらけらと笑った。
説明のおかげで、ようやくティーナの言っていることが少しだけ理解することできた……ような気がするエリス。
「でも確か、魔法使いが『天使』になるためには『天使の器』っていう秘宝が必要なんですよね?」
「エリス、キミなかなか物知りだね。そのとおり。『天使』になるためには特殊な魔力を秘めた『天使の器』が必要になる」
ティーナの説明によると、この世界には『天使の器』と呼ばれる強力な魔力がこもった特別な魔道具が存在しており、オーブと自分の魔力の「属性」がぴったりと合ったときに魔法使いは天使になることができるのだそうだ。
「だから魔法使いの生涯は、自分に合った『天使の器』探しに尽きるといっても過言ではないね。もっとも、魔法使いのうちのほとんどが、自分の『天使の器』に出会うことなくその一生を終えちゃうんだけどね」
「はぁ……そうなんですね。たしか国王陛下も天使でしたよね?」
ブリガディア王国の現国王であるジェラード・ナスルーラ・フォン・ブリガディスは、かつての世界の危機を救った『七大守護天使』と呼ばれるほどの世界的な英雄でもあった。
「そうだね。たしか王家に伝わる『聖剣ブリガディア』が『天使の器』らしいよ。その「聖剣ブリガディア」に認められて「天使」になることが、王位継承の儀式となってるくらいだからね」
「えっ!? そうなんですか!?」
「ついでに言うと、ブリガディア王家の紋章が白い鷹なのも、王様が天使になったときの翼が鷹に似ていると言われたことに由来しているそうだよ」
「し、知らなかった……」
……自分の国のことくらいはちゃんと勉強しよう。
不勉強な自分を素直に反省したエリスであった。
「でも、『天使』だなんてデイズおばあさんは本当にすごい人だったんですね」
「多少お金に煩い人だったけど、まぁ確かに優秀な『天使』ではあったね」
「それじゃあ、ティーナもやっぱり『天使』なんですか?」
「あぁ、その……ボクはまだ自分の『天使の器』を見つけてないんだ」
ティーナは言い難そうに口にした。それだけでエリスは事情を察することができた。
祖母が天使であったのに自分が天使でないということは、もしかしたら彼女にとって恥ずべきことなのかもしれない。
エリスには魔法使いの気持ちはわからなかったので、それ以上の質問は避けることにした。
二人の間に生じる、しばしの沈黙。
気まずい空気を払拭しようとしたのか、ティーナがおもむろに服の胸元に手を入れると、首にかかっているネックレスを取り出した。ネックレスの先には、淡い赤色の宝石がついた指輪がぶら下がっている。
「これはね、『エンバスの紅玉指輪』って言うんだけど……デイズおばあちゃんを天使に目覚めさせた正真正銘の『天使の器』なんだ」
「ええっ!?」
オーブという単語に、先ほどまでの気まずさも忘れて、エリスの瞳が一瞬にして好奇の色に彩られた。
一見すると、ただの古ぼけた指輪のように見えなくもない。
しかし『天使の器』と言われて見てみると、なんとなく神秘的に見えるような気がする。
「はあぁ……これが『天使の器』なんですね。生まれて初めて見ました」
「はぁ?エリス、何言ってるの?」
ティーナが呆れたような声を上げた。
自分は変なことを言っただろうか。エリスの脳裏に不安がよぎる。
「え? 私、変なこと言いましたか?」
「変なことって……エリス、キミもう見てるじゃない?」
「な、なにをですか?」
ティーナは不思議そうな表情を浮かべると、カウンターの上に置かれている例の「鍵」を指差した。
「それだよ、それ」
「えっ? この鍵ですか? これがどうしたと──」
「それ、『天使の器』だよ」
「…………え。って、ぇえぇえぇぇぇぇ!!??」
エリスは驚きのあまり、ものすごい大声を出してしまう。
(う、うそでしょう? これが『天使の器』!? あんなガラクタといっしょに無造作に置かれていたのに!? そもそもそれが本当だとしたら、いくらなんでもあんな置き方ありえないんですけどっ!)
動揺を隠せないエリスは、口をパクパクさせながら古びた鍵を指差した。
「こ、この『鍵』って……『天使の器』だったんですか?」
「そうだよ。『ラピュラスの魔鍵』っていう立派な『天使の器』さ。ほら、ここ見てごらん?」
ティーナに指差されたところを確認すると、たしかに鍵の芯の部分に「ラピュラス」という古代文字が彫り込まれていた。
「ねぇ。まさかキミは、そんなことも知らないでこの鍵を買おうとしたの?」
「えーっと、あの、その……」
「キミは、ただの鍵を100万エルも出して買おうとしてたの? しかも働いてまで?」
「……は、はい……」
ティーナの完全に呆れた口調に、エリスは恥ずかしくなってさっと視線を逸らす。
「あははははっ! もう、キミ最高だよ! 普通そんなことしないって!」
「だって私、ティーナにふっかけられてるのかと思って……」
エリスは顔中を真っ赤にしながらそう釈明したが、あまりの恥ずかしさに顔を横に向ける。
ティーナは涙を流しながら笑っていた。
(ひどい……そこまで笑わなくていいのに……)
エリスの貧弱な精神は既にズタボロである。
「ボクはね、商品に関してはふっかけたりはしないよ。あはははっ。もう、ほんっとおかしな子だね!」
ティーナは涙を流しながらひとしきり笑うと、ぽんっと両手で膝を打って立ち上がった。
「よしっ、決めたっ!」
「あっ、私を雇ってもらえるんですか?」
ティーナは頷くことなく、人差し指を軽く左右に振る。
「それはまだ考え中。とりあえずお腹が空いたからご飯を食べに行こう。エリスもおいで」
ティーナはカウンターから財布を取り出し、ラピュラスの魔鍵を懐にしまうと、元気よくお店から飛び出していった。
「あ、ティーナ! 待ってください!」
エリスは慌てて立ち上がると、ティーナを追いかけてお店の外へと駆け出していった。