38.誘拐
翌朝。
エリスは両親と一緒に朝食をとると、すぐに身支度を整えた。
いつものように青いリボンで髪をまとめ髪留めをすると、いよいよ出発準備完了である。
玄関まで見送る両親に、エリスは最高の笑顔を向けた。
「それじゃあ、行ってくるね!」
「いってらっしゃい。しっかり謝って、許してもらうのよ?」
「その……なんだ、全部私のせいにしていいからな。とにかく、仲良くな」
「ありがとう、お父さん。お母さん」
エリスは頷いて満面の笑みを浮かべると、二人にウインクして玄関から魔法屋に向けて駆け出していった。
「おはよう! ティーナ!!」
めいっぱい元気な声を出して、エリスは魔法屋〈アンティーク〉の扉を開けた。
からんからんと、扉に取り付けたドアベルが騒がしく音を立てる。
ところが、ベルの音とは対照的に店内はしーんと静まり返っていた。
「あれ、誰もいない?」
エリスは首をひねりながら、念のため寝室のほうも確認してみたものの、やはり人の気配は無い。
「おかしいな、いつものティーナならまだ寝てる時間なのに」
妙な不安を感じながらお店の方に引き返したとき、エリスはカウンターの上に置かれたままの紙切れを見つけた。
「なんだろう、これ」
よく見ると封を切られた手紙だった。
ティーナに悪いなと思いながらも、嫌な予感に駆られて目を通す。
内容を一読し──エリスは驚きのあまり絶句する。
「これは……どういうこと?」
手紙に書かれていたのは、マイネールからティーナへ向けられた『招待状』という名の脅迫状だった。
しかも内容から、誰かが人質に取られていることが分かる。
エリスは周りを見回して、すぐに床に落ちている赤い髪の毛の束を発見した。
「人質は、バレンシアなんだ」
エリスは、自分の心臓の鼓動が早くなるのを感じる。
「どうしよう──どうすればいい?」
エリスは全力で冷静になろうと試みた。
今分かる情報から、必死に事態を汲み取ろうとする。
自分がバレンシアと別れたのは昨日の夕方のことだ。
そしてこの手紙が魔法屋に投げ込まれたのは、おそらく今朝だろう。
であれば、バレンシアが攫われたのは昨日自分と別れたあとから手紙が投げ込まれる今朝までの間となる。
ティーナが居なくなったのはこの手紙を読んだあと──すなわち今朝だ。
ならば、彼女が店を出てさほど時間が経っていないはずだ。
しかも、『招待状』がカウンターに残されていたということは、ティーナが『招待状』の内容に従って、たった一人でバレンシアを助けに行ったということを暗示している。
バレンシアは剣の腕がたいそう立つ。
そのバレンシアを攫うということは、彼女によっぽどの事態が起こったのだろう。
攫った相手であるマイネールは天使だったので、『天使の歌』を行使したのかもしれない。
だが、はたして天使がバレンシアを誘拐し、ティーナを脅迫するなどという暴挙に出るだろうか。
エリスの脳裏に、最近頻繁に聞く不吉な単語が浮かび上がってくる。
──『悪魔』。
私利私欲に蝕まれ、堕落した天使。
もしマイネールが悪魔に堕落したとするならば、今の状況は納得できる。
理性が効かなくなったマイネールは、もはや手段を選ばなくなってきているのだろうか。
悪魔は恐ろしい相手だ。
これまでのエリスであれば、悪魔と聞けばすぐに逃げ出していたであろう。
だが今のエリスは違っていた。
自分にはなに一つ力がないことは分かってる。
だけどいま、苦しめられているのは自分の大切な友人だ。
であれば、たとえ相手が悪魔であろうと、このまま傍観などしていられない。
「助けなきゃ。私が、助けに行かなきゃ!!」
エリスは『悪魔からの招待状』を握りしめると、勢いよく魔法屋アンティークから飛び出していった。
◇
どんっ!
全力疾走で街角を曲がったとき、エリスは勢いよく誰がにぶつかってしまった。
小柄なエリスは簡単に弾き飛ばされてしまう。
(また転んじゃうのっ!?)
昨日の嫌な思いがよぎったものの、すぐに身体が宙に浮くような感覚を覚えた。
どうやらすんでのところで身体を支えられたようだ。
「あ……す、すいません! ありがとうございます!」
エリスは相手の顔も見ずにお詫びとお礼を言うと、脇目も振らずに再び走り出そうとした。
だが、彼女の手はすぐにがしっと掴まれてしまう。
「えっ……?」
息を弾ませたまま自分の手を掴む相手を見上げると、そこにはエリスの見覚えのある男性の姿があった。
相手は、栗色の髪を七三に分けて好青年の雰囲気を醸し出す若者。
間違いない、先日アンティークで会ったシリウスだ。
「あっ!シ、シリウスさん!!」
「エリスさん、どうしたんですか?そんなに急いで」
正直エリスには、彼に説明している時間も惜しかった。
挨拶もそこそこに立ち去ろうとするも、すぐにシリウスが騎士団関係者であることを思い出し、気が変わる。
「シリウスさん、ちょうど良かった! バレンシアが──悪魔に攫われたんです!」
「ええっ!?」
とっさに大事なキーワードだけを伝えると、手に握りしめていた『招待状』をシリウスに押し付けた。
「あとはこれを見て騎士団に通報してください! よろしくお願いします!」
「ちょっ!? エリスさん!?」
シリウスは言われるがままに押し付けられた紙に目を通し──徐々にその表情が険しくなっていく。
「誘拐……脅迫状!? 攫われたのがバレ姉!?」
意味を理解し、すぐにでも助けに行きたい衝動に駆られたが、すんでのところで騎士としての心が彼の行動を留める。
『騎士たるもの、危機を察知した場合、まずは何を差し置いても仲間に情報を知らせなければならない』
騎士道精神その一を思い出し、シリウスは対応に悩みながらも目の前にいるであろうエリスに声をかける。
「ちょっとエリスさん。俺が今からすぐにこの小屋に向かうから、あなたは騎士団の詰所へ──って、えっ??」
ところがシリウスの目の前に、もはやエリスの姿は無い。
「ウソだろ?」
慌ててエリスの姿を探しはじめたが、そのときにはもう視界から完全に消え去ったあとだった。
その頃エリスは──すでに妖魔の森の入り口付近に到達していた。
不気味な雰囲気を醸し出す妖魔の森にも、もはや怖気付くことはない。
(急がなきゃを早く行かないと手遅れになる! 待っててね、バレンシア、ティーナ! 絶対に無事でいてねっ!)
エリスは心の中で呪文のように繰り返しながら、迷うことなくたった一人で妖魔の森に突入していったのだった。




