37.説得!
エリスはついに、自分の答えにたどり着いた。
本当に大切なものに、ようやく気付いたのだ。
「私は──友達が欲しかったんだ」
気付いてみれば単純だった。
どうしていままで気付かなかったのだろう。
どうしていままで見失っていたのだろう。
エリスにとってティーナは、バレンシアは──。
「二人は私の──大切な友達だよ」
口にしてみて、改めて心に灯がともった。
まるで無限の力が心の奥底から湧き出てくるようだった。
今までの迷いがウソのように晴れていく。
どんなつらい思いも吹き飛ばすかのような勢いで。
どんな重い現実も跳ね飛ばすような力強さで。
「私はずっとどうすればいいのか見失っていた。だけど答えは簡単だった。私にとってティーナはかけがえのない存在。欠けることなんてもはや考えられない。私はあの笑顔を──失いたくないっ!」
答えが分かってしまえば、あとは簡単だった。
やるべきことは明確だ。
エリスの顔にみるみる生気が漲り、晴れやかな表情が蘇っていく。
そこにはもはや、悩みに沈んだ無力な少女の姿は無かった。
『ラピュラスの魔鍵』は教えてくれた。
──エリスにとって、唯一無二の答えを。
「私は、もう迷わない!」
伝えなければならない。
ティーナに大切な一言を。
自分にこんなにもたくさんのものをくれた、たくさんのことをしてくれたティーナに対して一言を!
そのためには、まずは目の前の両親を片づける必要がある。
エリスは気合一発、頭から一気にお湯をかぶると、勢いよく風呂場から飛び出した。
風呂から上がったエリスは、ゆっくりと身支度を整えた。
これから向かう戦いのために、きっちりとした身なりをしておきたかったからだ。
鏡を見ながら櫛を解き、ティーナにもらった髪留めを刺し、青いリボンで髪をひとまとめにきゅっと結ぶ。
さぁ、戦いの準備は万全だ。
エリスはよしっ! と気合を一つ入れると、両親を呼ぶために居間へと駆け出していった。
◇
娘に呼ばれたボルトンとシャンテは、緊張した面持ちでエリスの前に座っていた。
ボルトンは落ち着き無く何度も葉巻を口にし、シャンテもティーカップを何度も手に持ってはすぐに元に戻している。
「お父さん、お母さん」
エリスの表情がこれまでとは明らかに違うことに、両親は一目で気付いた。
だがあえてなにも言わずに続きを促す。
「なんだね? エリス」
「私、お仕事を続けたいと思っています」
「エリス! お前まだ……!」
「あなた、少し待って!」
反論しようとするボルトンを、シャンテが素早く制止した。
やさしい笑顔を浮かべる母親に感謝しながら、エリスは自分なりに見つけ出した答えを、言葉を選びながら両親に語り始めた。
「急に仕事が決まったこともあるけれど、お父さんに黙って働いていたことは本当に反省しています。だけど私は、以前から自分の道は自分で見つけたいと思っていたんです」
決められた将来への不安。
本当の自分を見つけたいという欲求。
未知の世界への憧れ。
エリスは、これまで自分が抱えていた悩みを正直に両親に話した。
覚悟を決めたエリスが語る内容は、これまで彼女をおとなしくて気の優しい娘だと思っていたボルトンにとっては衝撃的なものだった。
動揺を隠せない父親を前に、エリスは怯むことなく話を続ける。
「そんなとき、偶然にも立ち寄ったお店で、これに出会ったんです」
エリスは胸元にしまっていた『ラピュラスの魔鍵』を取り出した。
鍵は、鈍い光沢を放ちながらゆらゆらと揺れている。
「それが……」
「はい。これが私の──運命の『鍵』です」
エリスは、少し照れくさそうな表情を浮かべて頷いた。
「正直私にも、なんでこんなものが欲しくなったのかわかりません。だけど私はこの鍵をきっかけとして、ティーナとバレンシアという二人の素敵な女性に運命的な出会いをしました」
エリスは堰を切ったように二人のことを話した。
ティーナの冷静沈着な、だけど時折見せる他人を引きつけてやまない魅力的な笑顔を。
バレンシアの無限に溢れ出てくるような、包み込むようなやさしさを。
「私は、偶然この『鍵』に出会っただけかもしれません。だけど『鍵』が私にもたらしてくれたものは、予想以上のものでした」
娘が真剣に語る話に、両親は黙って耳を傾けていた。
エリスも両親に包み隠さず話した。
そのほとんどは、シャンテさえも知らない内容のものだった。
ただ、ティーナとの約束があったので、彼女が天使であることだけは言わなかった。
話がティーナの秘められた過去に触れたとき、両親は明らかに動揺していた。
草食竜との戦闘の話に至っては、ボルトンが驚きのあまり失神寸前になったほどである。
「私は妖魔の森でたしかに危険な目にあったかもしれません。だけどそれは偶然であり、魔法屋という商売の問題ではありません。なにより私を守ってくれたのは、他ならないティーナとバレンシアだったんですから」
「しかし、それでも──」
「お父さんの言いたいことはよくわかります。だけど、私は気付いたんです。そんな経験をしたからこそ、手に入れたり、気付くこともあるんだってことに。私は、大切な友達を見つけることができたんです」
「エリス……」
シャンテが瞳から大粒の涙をこぼした。
エリスには、それが嬉し涙だとわかっていた。
「私は大事な友達を失いたくない。大切な友達を守りたい。ティーナは今、復讐という心の闇に囚われているのかもしれません。だけど私は、彼女の友人として、その心を救ってあげたいのです。だから──」
エリスは言葉を止めると、大きく息を吸う。
心の奥底にしまいこんでいた言葉を、ゆっくりと吐き出す。
「私を──大事な友達といっしょにいさせてください」
ボルトンは、煙がくすぶっている灰皿をじっと見つめていた。
紫煙がゆっくりと湧きあがっていたが、やがてそれも収まり、静寂が部屋の中に訪れる。
「……いか……?」
「えっ?」
ボルトンの口から漏れた言葉に、エリスは耳を疑った。
いま、父は何と言ったのか?
「近いうちに必ず、二人を家に連れてきてくれないか? ちゃんと紹介してほしい。お前の、友達をな」
「あなた……」
「お父さんっ!」
シャンテが喜びに満ちた顔でボルトンを見つめた。
エリスは会心の笑顔で席から立ち上がった。
「そこまで言われて駄目と言えるわけないだろうが。まったく、いつからこんな娘になったんだか……」
「お父さん! ありがとう!」
エリスは喜びを全身に滲ませながら、愛する父親の胸に抱きついた。
父親の愛情が、優しさが、なによりも嬉しかった。
「よし! 話がついたところでそろそろ晩御飯でも食べようではないか! さすがにお腹が空いたぞ」
「うんっ! お父さん、お母さん、本当にありがとう!」
エリスは父親に次いでシャンテにも抱きつくと、踊るようにくるくる部屋を飛び回った。
娘が全身で喜びを表現する様子を、両親は愛おしげな視線を送りながら眺めていた。
「あの子は……本当に変わったな」
「ええ。女の子は一日で変わるんですよ?」
ボルトンの呟きに、シャンテが空になったティーカップを片付けながら答えた。
妻の返事に苦笑いを浮かべると、ボルトンは再び葉巻に火をつけた。
「そうか……エリスもいつかわしらの手元を離れる日が来るんだろうな。ずっと先のことだと思っていたが、案外すぐにやってきてしまうのかもしれないな」
吐き出した煙は、天井に向かってゆっくと拡がってゆく。
やがて紫煙は部屋中に充満し、溶けるように消えていった。




