【番外編】 在りし日のある一場面 ~ デイズの憂鬱 ~
「ほらほら、さっさと起きなこのゴクツブシ!」
デイズ・カリスマティックは大声で叱りつけながら、いまだにベッドで惰眠をむさぼっている少女の布団を捲し上げた。
「うぅ、やめてくれよ、おばあちゃん……」
少女は半分眠ったままの目で不満げな声を上げる。
朝に絶望的に弱く、強引に引っぺがした布団を元に戻そうとするこの少女。
彼女の名前はティーナ・カリスマティック。まもなく十三歳になる。
一応デイズ・カリスマティックの孫娘ということになっていたが、古くからの知人は誰もそのことを信じていない。
「そうはさせるかい!」
ぽかっ。
「あいたっ!」
最後はデイズに叩かれて、ようやくティーナはベッドから起き上がった。
これが、魔法屋アンティークにおける朝の日常風景となっていた。
「今日はアタシはちょっと作業があるから、あんたは今日は頼まれものの納品をしておいで。わかったね」
「はいはい」
「返事は一回!」
「はーい」
「ったく、あの娘は……。最初は口も利かないからどうしようかと思ってたが、慣れたら慣れたでこのザマだ。困ったもんだよまったく」
ふーっとため息をつくそのデイズの表情は、口調とは異なりニヤニヤと笑みが張り付いている。
「さて、しょうがないね。今日はあの手のかかる孫娘のために、いっちょがんばるかね」
デイズは腕をまくると、小さな部品をいくつか取り出して、なにやらアクセサリーのようなものを細工し始める。
一方で今日のティーナは、デイズに頼まれて「依頼品の納品」をしていた。
到着したのは本日三件目の納品先である魚屋だ。
「んー、ここかな? こんちにわー、アンティークでーす。お届け物持ってきましたー」
「おーおー、その愛想の無い声はティーナちゃんか! いつもすまないね!」
「いや、別に。いつものことだし」
「おぉ、今日は一人かい? まだ小さいのに偉いね! デイズさんは別件?」
「うん、なんだか朝から作業入っちゃってね。いい年なんだから大人しくしておけばいいのに」
「あはは、まぁそう言いなさんな。あのばあさんはほんっと良い仕事をするよ。実際この魔道具『製氷機』は【ほうきの魔女】デイズの造った傑作と言っていい。定期的に部品交換が必要なのが玉にきずだけどな。まぁお嬢ちゃんみたいに可愛い子に会えると思えば仕方ないかな」
デイズの造る魔道具は、下町に住む人々の生活を飛躍的に向上させるものが多かった。
たとえばこの製氷機。
氷を作り出す魔道具なのだが、普通に買うとべらぼうに高い。
それをデイズはコンパクトに設計し、安価に量産することに成功したうえ、住民たちに格安で販売していたのだ。
一見すると、下町の人たちのために貢献する善意の魔法使いのように見える。
だがデイズは「こういったものは消耗品や修理で儲けるものなのさ!」と豪語していた。しかも本人たちの目の前で。
実際、今回のように消耗品の交換を依頼されることは多い。
結果としてアンティークの安定収入となっていることも事実だった。
しかし、デイズを悪く言う下町の住人はほとんど居なかった。
デイズは誰に対しても平気で憎まれ口を叩く人物だったし、なにより彼女は本当は優しい人物であることをみんなよく知っていたからだ。
今日仕事を依頼しているこの魚屋も、その一人だった。
口が悪いが本音は優しい【ほうきの魔女】を、みながすごく信頼していた。
周りからの信頼を知るティーナは、魚屋の「修理代が高い」の愚痴を適当に無視しつつ、心の中では「おばあちゃんは人気者なんだな」と思っていた。
こうして今日も、製氷機の部品を交換しては魔力回路の疎通といった作業を黙々とこなすのだった。
「はい、あんがとさん! それじゃこれ料金ね」
「まいどありー」
ティーナは料金を受け取ると、ひらひらと手を振って魚屋をあとにした。
「今日は、残すところはあと八件か。鬼だなあのクソバアバァ」
ティーナはこれまでの作業でかかった時間と、これからかかるであろう時間を考えてため息をついた。
ティーナは残念ながら魔道具を作るスキルがまったくない。
魔道具を作る際には、細かい魔法陣や魔力導線を一つ一つ手書きで描いていく必要がある。
デイズは美しく効率的な魔力導線を描く、非常に優秀な魔道具職人であった。
一方ティーナは、まったくと言っていいほど魔道具を作ることができなかった。
理由は簡単。魔力が強すぎて、魔力導線を描く作業に必要な細かい魔力操作が出来なかったからだ。
なので最近の彼女は、魔法陣の修理や魔力導線を引く作業をほとんど必要としない、魔力をぶっこむだけの力作業のみをやらされていたのであった。
「ゴクツブシに食わせる飯はない!」
いつも格言のようにそう言うデイズの、これは命令であった。
夕方。
ようやくすべての客を回り終わったティーナは、へとへとになって愚者の夢亭に向かう。
「いらっしゃーい! 今日は一人?」
ほかのお客様に配膳をしているバレンシアが、嬉しそうに手を振ってくる。
先日十五歳になったばかりのバレンシアは、この頃は少し赤髪を伸ばしてポニーテールにしていた。
「ん、おばあちゃんはなんかまだ作業やってた」
「そっか、じゃあいつものとこに行ってて」
「はいはーい」
いつも座っているテーブルに着くと、バレンシアがどんどん料理を持ってくる。
目の前に運ばれる大量の料理を、脇目も振らず貪り食うティーナ。
しばらくして、出された料理を完食してもデイズはやってこなかった。
バレンシアも接客でまだまだ忙しそうだ。お店は今日も繁盛している。
退屈だったティーナは、ふと思いついて懐から小さなナイフを取り出した。
目の前のテーブルに勝手に「ティーナ専用」と彫り込む。
その横に「デイズ専用」と彫ろうとしたとき、ようやく一仕事落ち着いたバレンシアがやってきた。
「おまたせ、今日は客が多かったぁ! って、あんた何してんの?」
「ん、別に」
「ちょっと、店のものに勝手にいたずらしないでよね! まぁいいけどさ。それより聞いてよ! 今日さ、シリウスにまた負けたんだよ!」
バレンシアも遅い夕食を取りながら、いつものように二人の会話は弾む。
バレンシアの家もお店をしているため、家族そろって夕食を取ることはほとんど無い。
幼い弟や妹は先に食事を取り、今は寝てしまっている。
バレンシアにとっては、ティーナと夕食を取りながらいろいろとお話をすることが日常になっていた。
「今日はなんだかむしゃくしゃするから、久しぶりにちょっと『夜の散歩』に行かないか?」
「あ、いいねぇ。あたしも剣を持って行ってシリウス対策を考えるわ」
こうして二人は、夕食後に夜の妖魔の森へと向かっていったのだった。
◇
星の光すらあまり届かない妖魔の森に、周りが木々に囲まれ、街からは見ることができない広場のような場所があった。
「天国への扉!!」
その広場で──背中に天使の翼をはためかせながら、ティーナが『天使の歌』を発動させる。
白い大理石のような大きな扉が具現化しては消えていく様子を、バレンシアは剣を振る手を休めて眺めていた。
「あー、すっきりした。もやもやしたものが飛んで行ったよ」
ティーナが手に握っていた『ラピュラスの魔鍵』を懐にしまうと、背中に具現化していた翼は静かに宙に拡散していく。
すっきりした表情を浮かべるティーナに、バレンシアはタオルを投げてよこした。
「はいよ、ティーナ」
「お、ありがと」
「それにしても、あんたの天使の姿ってすごいよねぇ。何度見ても惚れ惚れするわ」
「そぉ? 別にありがたいもんでもなんでもないよ。現におばあちゃんも天使だしさ」
「しかし、あんたも難儀だね。こうやって時々魔力を発散させないと体調悪くしちゃうなんてさ」
「別に。発散さえしちゃえば実害は無いしね」
二人が雑談を交わしていると、ふいに街の方からキラキラと明るい光を放つ存在が接近してきた。
やってきたのは、ほうきにまたがって宙を舞うひとりの天使だった。
「おやおや、帰りが遅いと思ったらこんなところで油を売ってたのかい!」
「おばあちゃん!」
「デイズおばあさん、こんばんわ!」
デイズはゆっくりと降下してくると、二人の前にふわりと着地した。
ぱぁっと一面が白色に輝き、手にしたほうきと翼が拡散して消えていく。
「バレンシア、あんたもいつもこんなゴクツブシに付き合ってくれて悪いね。あのスラーフぼうやの娘とは思えないくらい良くできた子だよ」
「いえいえ、そんな」
照れるバレンシアを横目に、デイズがティーナになにかを投げてよこした。
あわてて受け取ると、細かい細工がされた耳飾りだった。
「おばあちゃん、これは?」
「あんたもうすぐ誕生日だろ? プレゼントだよ」
ティーナがじっくりと耳飾りを観察すると、細かい魔法陣がたくさん記載されているのが判った。
どうやらかなり手の込んだ魔道具のようだ。
「それはね、アタシの得意な封印魔法と魔道具の知識の全部を注ぎ込んで造った特別な魔道具だよ。あんたの有り余る余計な魔力を封印し、一部封殺する能力が込められている」
ティーナはデイズに促されて、耳飾りを左耳にはめた。
カチリと音を立てて装着された耳飾りは、まるでずっと以前からティーナのものであったかのように自然と馴染んでいた。
「あ、かわいいねそれ。月と星とハートの細工が入ってるじゃない」
「……」
バレンシアのほめ言葉に反応せず、ティーナは戸惑った様子で耳飾りを軽く手でもてあそんでいる。
「どうだい、自分の魔力が多少はコントロールしやすくなったろう? これで『夜の散歩』の回数も少しは減らすことができるだろうさ」
「これを今日ずっと造ってたの?」
「バカいうない! こんな手の込んだ魔道具が一日でできるわけないだろうが! ひと月かかったよ、ひと月!」
そう言われてティーナは思い出す。
確かにデイズはここ最近ずっと夜遅くまで作業をしていた。
それは、この魔道具を作るためだったのだ。
「おばあちゃん……」
「まったく、礼の一つでも言ったらどうだい。気の利かない孫だこと」
次の瞬間、ティーナはデイズに勢い良く抱き着いた。
とっさのことだったので、デイズは少しよろめいてしまう。
「ちょ、ちょっとティーナ?」
「ありがとう。大切にするよ」
ティーナの言葉に、デイズが一瞬顔を赤くしてうれしそうな表情をしたのをバレンシアは見逃さなかった。
「ふん、そんな言葉を言うくらいだったら、もっと家の手伝いをして欲しいもんだね」
「はいはいい。わかりましたよ、おばあちゃん」
「はいは一回だって言っただろう?」
最後にティーナはデイズの体をぎゅっと抱きしめた。
「ぐえっ。なんて力だいまったく……そうそう、その魔道具の名前はね、『黄昏の憂鬱』って言うのさ。アタシのあんたに対する憂鬱な気持ちを込めて造ったもんだからね!」
ところがティーナはもはや聞く耳を持たず、あっという間にデイズから離れてしまうとバレンシアに耳飾りの自慢を始めていた。
無邪気にはしゃぐ二人は、普通の十五歳と十三歳の女の子のように見えた。
「まったく、人の話を聞きやしない。あ、そうだティーナ。前にあんたに渡した髪留めは返しな。耳飾りと効果が重複するし、最悪干渉する可能性があるからね」
「え、そうなんだ」
ティーナは少し残念そうな顔をしながら、自分の髪に差していた星の模様入りの髪留めを外してデイズに返却した。
「まぁこれも少しは魔力を発散する効果はあったかい?」
「多少、ね。気休め程度だけどさ」
「そうかい。まぁその耳飾りはこの髪留めよりも数段上の能力を込めたから、多少ましだと思うけどね」
「ちぇっ。ちょっと気に入ってたんだけどなぁ、その髪留め」
「それじゃ、その耳飾りを返すかい?」
「いやだ!」
ティーナはケラケラ笑うと、またバレンシアのいるほうに戻っていった。
「まったく、本当に手間のかかる孫娘だね。いつまでのアタシの憂鬱な気分が収まることは無いよ」
デイズはため息とともに、空を見上げた。
空には満天の星が煌めいていて、妖魔の森にいる三人をうっすらと照らし出していた。




