34.一年前、そして突きつけられる現実
──時はさかのぼること一年前。場所は愚者の夢亭。
「本当だって、デイズおばあちゃん!」
ティーナがムキになって、目の前に座る初老の女性に食って掛かった。
黒髪を編み上げ、ギロリと鋭い目つきで睨む初老の女性。
彼女こそが、ティーナの祖母である『ほうきの魔女』デイズ・カリスマティックであった。
「昨夜、妖魔の森にあるおばあちゃんの小屋にバレンシアと行ったんだよ。そしたら、間違いなく何者かに利用された形跡があった。素人目には分からないレベルで片づけられてたけどね」
同意を求めるようにバレンシアのほうを向くティーナ。
ティーナの後ろに立っていたバレンシアは、その視線にあいまいにうなずいた。
実は昨晩、ティーナとバレンシアは妖魔の森に「夜の散歩」に出掛けていた。
帰り道にデイズの管理している『薬草採取小屋』に立ち寄った際に、ティーナは室内の異変に気付いたのだ。
いわく、物の配置が少しずれている。嗅いだことのない薬品のにおいがする、など。
正直、バレンシアにはティーナの言う違和感がよく分かっていなかった。話がこじれそうだったので、あえてそのことは黙っていたが。
「犯人は密猟者だと思う。痕跡は消されてたけど、残り香から判断するとたぶん悪魔草だね。妖魔の森のなかで実入りが良いものと言ったらそれくらいだし。仮にそうだとすると、密猟者の正体は──狂った魔法使い、最悪は『悪魔』という可能性もある」
「ったく、バカいってんじゃないよ!」
黙って話を聞いていたデイズが、手に持っていたマグカップをテーブルにドンッと叩きつけた。
「なにが『悪魔』だい。悪魔がこんな大きな街、しかも王都だよ? そんなところにノコノコ現れると思うのかい? それこそ騎士団に見つかったら一発で『排除』だろうが」
「でも、もし悪魔だったらおばあちゃんが大事にしているあの小屋が──」
「いちいちうるさい子だねぇ、ちょっと頭の回転が速いからっていろいろと難しく考えすぎだよ。どうせどっかの猟師が道に迷って泊まっただけじゃないか?」
「ない、それはない。だったらボクには判る」
「ってく……誰に似てガンコに育ったんだか。ろくでもないねぇ、やっぱり食い物が悪いからかい? ねぇ? スラーフ坊やよ」
デイズが厨房に聞こえるようにわざと大きな声を出し、厨房から顔を出したスラーフが苦笑いをする。
愚者の夢亭の、これが日常のやり取りだった。
「まぁいいさ、あんたがそれだけ言うならちょっとだけ様子を見に行ってくるよ。それで満足かい?」
「うん、ボクも一緒に行くよ。相手が悪魔だったら油断はできないからね」
「あぁ、それは必要ない。あんたの正体を見せると、いろいろあとが面倒だからね。いくらアタシが記憶の封印もできる天使だとしても、捕まえた後いちいち悪魔の記憶を封じるなんて面倒はごめんだよ」
毒を吐くだけ吐くと、デイズはティーナの頭をひと撫でして席を立った。背中から、ふわりと天使の翼が具現化する。
右手に持つほうきにまたがると、デイズはそのまま妖魔の森へ飛んで行った。
この時交わした言葉が──二人にとっての最後の会話になるとも知らずに。
その日の夜。
バレンシアが自室で寝ようとしていると、窓ガラスをこんこんっとノックする音がした。
不審に思いながらもカーテンを開けて外を見ると、深刻な表情を浮かべたティーナが立っていた。
「ティーナ、どうしたの? めずらしいじゃない、こんな夜中に」
「おばあちゃんが帰ってこない」
「えっ?」
聞けば、食事のあと妖魔の森に行ってからデイズは自宅に帰ってきていないらしい。
事態の深刻さに、バレンシアの眠気もすぐに吹き飛ぶ。
「ちょっと、それはまずくない?」
「うん、だからボクはこれからあの小屋に行く。バレンシアは騎士団に知らせてほしいんだ」
「わかった。シリウスのコネがあるからそっちは何とかなると思う。それよりも、あんたも一人で行くのは危険じゃない?」
「大丈夫、無理はぜったいにしない。それよりも気になることがある」
デイズは天使の中でもかなり上位の力を持つ存在だ。
たとえ相手が悪魔とはいえ、簡単に後れを取るような人物ではない。
そんなデイズが帰ってこないということは──極めて危険な存在が、あの森に居る可能性が高いということを意味していた。
「クソッ。こんなことならおばあちゃんに話さなければ良かった。ボクが不用意に仮説を伝えたりしなければ……もうすこし慎重に動いていれば……」
「ティーナ! いまはそんなこと言ってる場合じゃないよ! それよりあたしも親父を起こして事態を伝えるからさ、あんたもちょっと待ってなさいよ?」
だがバレンシアが父親に事態を伝えて部屋に戻ったときには、すでにティーナの姿はなかった。
結局バレンシアが騎士団とともに妖魔の森の小屋に辿り着いたのは──ティーナと別れた一時間後のことだった。
その場所で──バレンシアは、一生忘れることの出来ない光景を見ることとなる。
◇
「あたしたちが着いたときはもう手遅れだった。小屋には、変わり果てた姿になったデイズおばあさんと、抱きかかえて呆然としているティーナがいたんだ」
バレンシアがふぅと、大きく息をついた。
思い出すのも辛いのだろう、いつものバレンシアの快活さはそこに見られない。
「ティーナが着いた時には既に手遅れだったのか、それともまだ息があったのか……それはわからない。誰がやったのかも分からない。ただ、デイズおばあさんが殺されたことだけは確かだった」
「そんな……じゃあティーナは」
「ティーナはそのときのことを含めて、あたしたちには何にも話してくれなかった。騎士団には、自分が到着した時にはこうなっていたと伝えたみたい」
バレンシアはこめかみを強く押さえつけた。
そして、まるで辛いことを振り払うかのように頭をひと振りする。
「葬儀の時には、たくさんの人が来てたよ。魔女みたいなおばあさんだと思ってたけど、本当に多くの人に愛されてたんだ。でもそのことで、ティーナの心が慰められることは無かった」
エリスはなにも口にすることができなかった。
重い現実の前に言葉を失い、バレンシアの言葉を黙って聞くことしかできなかった。
「ショックのあまり食事すら取らない状態が続いて、あいつは骸骨みたいにガリガリになってた。あたしたちは本気で死ぬんじゃないかと心配したよ」
心配したバレンシアは、毎日ご飯を持って行った。
最初はぜんぜん口にしなかったものの、半ば無理やり食べさせるようにしていると、一週間ほどして少しずつ食べるようになった。
一ヶ月も経つ頃にようやくティーナは外に出るようになり、愚者の夢亭にも姿を現わすようになった。
「二~三ヶ月したら、今までと変わらないくらいにまで回復してたよ。だけどあたしは気付いてた。あいつが大きく変わってしまったことに、ね」
バレンシアは右の拳で、強く地面を叩きつけた。
鈍い音が辺りに響き渡る。
「王国騎士団も必死に捜査をしたけど、結局犯人はわからなかった。ティーナも事件に関して一切口を開こうとしなかった。だけどあたしは、デイズおばあさんのような『天使』を殺害することができるのは、それ以上に強い力を持つものしか考えられないと思ってる。つまり犯人は──『悪魔』、しかもかなり強大な力を持った悪魔じゃないかってね」
「『悪魔』……」
エリスは以前聞いた「悪魔」についての説明を思い出していた。
強い力を持ち、「天使」と正反対の力を持つ存在。
自らのためだけにその力を使い、誰にも屈さず、目的のためなら手段でさえも選ばない、悪の象徴。
「現に事件以来、ティーナは『悪魔』と聞くと目の色を変えるようになった。存在が噂されると、死に物狂いで探し回った。それと並行してあの子は『力』を求め始めた。エリスは、なんでティーナが魔法屋を続けているか分かる?」
エリスは首を横に振る。
元々エリスは、ティーナが生活のために働いていると思っていた。
だが、そんな簡単な理由でバレンシアがこんな質問をしてくるはずが無いことは十分にわかっていので、エリスは話の続きを待つ。
「あの子はね、魔法使いのご多分に漏れず、自分の『天使の器』を探しているんだ」
「えっ? でもティーナは『天使の器』を持ってますよね?」
「うん。だけどそれはあいつの本当の『天使の器』じゃない。今でも一応『天使』になることはできているけど、しょせんかりそめの力であって、真の力を出しているとは言えないからね」
「あれだけの力を持っているのに、ですか?」
「だって相手はデイズおばあさんでさえやられちゃうほどの力を持つ『悪魔』だよ? 普通の相手じゃないことは明白さ。だからあいつは強敵に対抗するための『力』を求めている。餅は餅屋と言うけれど、もし魔法使いが『天使の器』を探すのであれば、魔法屋でいることが一番情報が集まるからね」
「それで魔法屋を……」
「そうさ。それにもし自分の『天使の器』を買うことになった場合には、ご存知のとおり普通の人には簡単に手に届かないほどの大金が必要になるしね。だからあの子は、魔法屋を続けているのさ。デイズおばあさんを殺した犯人を探し出して──復讐するためにね」
ちりーん。
エリスの手から、ラピュラスの魔鍵が零れ落ちる。
慌てて「鍵」を拾おうとするものの、手が震えてうまく持てない。
エリスは──バレンシアの話に強い衝撃を受けていた。
まさかティーナが、あれほど美しく不遜なティーナが──まさか復讐のために生きていたとは。
「だけどね、復讐を糧にして生きていくにはティーナは優しすぎたんだ。あいつは自分が修羅の道を歩んでいることを自覚していたから、他人を巻き込まないようにするために──自然と他人を遠ざけるようになってしまったんだよ。実際このあたしでさえ、しばらく避けられていたくらいだからね。まぁあたしに関しては絶対に離れなかったから、しまいには諦めたみたいだけどさ。でも、他の多くの人たちはティーナの側から離れていった」
バレンシアは強く自分の唇を噛み締めていた。
うっすらと唇の端に血がにじみ出ている。
「エリス、あんたはやさしい。ティーナの心に、あたしには与えることができなかったものを与えてくれた。だからこそ、あの子は『天使』の力を隠すことなく見せたんだと思う。でもそれは、エリスを自分の運命に巻き込むことを意味していたんだ」
エリスは「鍵」を握り締めたまま俯いていた。
その肩が、小さく震えていた。
「ティーナはね、エリスのことを気に入ってしまったんだよ。最初はそれでよかったのかもしれない。だけど昨日、悪魔が関係してきそうな話を聞いたとき、たぶん思い出したんだと思う。自分は普通の人間じゃないんだってことを」
「……」
「そして決めたんだと思う。エリスを巻き込んではいけないってね。復讐なんてものは誰も喜ばないってことを、本当はあいつが一番わかっているんだ。だけど、それでも──ティーナは復讐に生きる道を選んだ」
エリスは泣いていた。
これまで一度も言葉にされることのなかったティーナの想いが、エリスの胸をぎゅっと締めつけていた。
「だからエリス、素直に家に帰りな。そしてさっきも言った通り、魔法屋のことは忘れて今までどおり両親を大切にして──幸せな生活を送ったほうが良いと思う」
「バ、バレンシア!?」
「さぁ、これがあたしがティーナについて知っていることの全部だ。もうティーナの置かれている状況、それからティーナの考えが分かったと思う。そしてエリス、今のあんたがティーナに対してできることは──残念ながらなにもないんだよ」
「……」
「でもね、それはあたしも同じ。あたしにできることは、せめてあの子の人生を負の方向へ向けないように、可能な限り力を注ぐことだけ。そしてエリスにできることは──ティーナがどんなに望んでも手に入れることが叶わなかった『平凡な幸せ』をつかむことなんじゃないかな?」
バレンシアはパタパタとお尻をはたくと、エリスの肩を両手でつかむ。
「あたしだって、本当はエリスにいてほしい。だけど、ティーナはこれ以上エリスが深入りすることを望まなかったんだよ。だから──素直に帰りな。そして、ご両親としっかりと話すんだよ」
バレンシアは最後にエリスの頭をそっと撫でると、ゆっくりと立ち去っていった。
エリスの視界には、彼女の姿がかすんで見えた。
エリスにはなにも言うことができず、ただただ涙を流し続けていた。




