32.ぐしゃぐしゃ
エリスが駆け出していったあとの魔法屋アンティークでは、バレンシアが怒気を発しながらティーナに詰め寄っていた。
「ちょっとティーナ! いくらなんでも今の態度は無いんじゃないの? エリス泣いてたよ!」
バレンシアがバンっとカウンターに手を打ちつけた。
激しい音とともにカウンターが大きく揺れる。
だがティーナの口から漏れ出たのは──。
「これでいいんだよ」
「は?」
「これでいいんだよ、バレンシア。これで、エリスはもうここには来ない」
「ティーナ、ちょっとあんた……?」
「バレンシア、悪いんだけどもうひとつボクのお願いを聞いてくれないかな?」
あまり見たことのない雰囲気のティーナに呑まれ、バレンシアはすぐに推し黙る。
「エリスにこの『鍵』を渡して欲しいんだ。これまでのバイト代だってことでね」
「これを?」
バレンシアはティーナに手渡された『ラピュラスの魔鍵』を受け取る。
鍵の感触はずっしりとしていて、重量以上の重さが感じられた。
「あんたは本当にそれでいいの?」
「いま追いかければまだ間に合うはずだ。だから、はやく……行ってくれ」
ティーナの瞳が小さく揺れた、ような気がした。
だがすぐに波打つ黄金色の髪に包まれてしまい、バレンシアにはそれ以上伺い知ることができなかった。
「わ、わかったわ……」
ティーナの様子が気にはなったものの、飛び出していったエリスのほうが心配だ。
受け取った『鍵』を両手で握り締めると、バレンシアは急いで魔法屋アンティークから飛び出していった。
バレンシアがエリスを追いかけてイスパーンの街を走り抜けていると、なにやら人だかりになっている場面に出くわした。
「すみません、どうしたんですか?」
嫌な予感がして足を止めたバレンシアは、人ごみを掻き分けて騒ぎの中心部へと向かう。
目に飛び込んできたのは──トレードマークとなった髪留めと青いリボン。
アンティークを飛び出したエリスが、地面に倒れたまま泣き崩れているではないか。
「エリス!」
慌てて駆け寄ると、すぐにエリスを抱えて道の端へと抱えて座らせるバレンシア。
周りの野次馬たちをさっさと退散させ、ぐしゃぐしゃになったエリスを落ち着かせようと自分も横に座る。
エリスは両膝を抱えたまま、うつむいて泣いていた。
転んだ拍子にスカートの膝の部分が破れ、わずかに血が滲んでいる。
バレンシアは近所の家に駆け込むと、もっていたハンカチを水に浸し、エリスの傷口にそっと当てた。
思わず「うっ」と声を漏らすエリスに、バレンシアが優しく語りかけた。
「こうしないとばい菌が入って化膿しちゃうからね。エリスはかわいい女の子なんだから、こういうの大事にしないとね」
「うぅ……バレンシア……ひっく」
嗚咽を漏らしながら、僅かに顔を上げるエリス。
バレンシアはにっこりと微笑むと、懐からもう一つのハンカチを取り出してエリスに渡す。
「ほら、涙をふいて。せっかくのかわいい顔がぐちゃぐちゃだよ」
重ねてかけられた優しい言葉に、エリスは再び激しい感情の奔流に襲われ、バレンシアにしがみつくと──大声で泣き出した。
バレンシアはエリスをやさしく包み込むと、頭をそっと撫でる。
エリスは涙が枯れるまで泣きつづけた。
泣いている理由が分からなくなってしまうほどに。
自分の存在までもわからなくなってしまうほどに。
──どれくらいの時間が経過しただろうか。
ようやく落ち着きを取り戻したエリスが、ゆっくりとバレンシアから身を引き離す。
「……ごめんなさい、お洋服汚しちゃって」
エリスは最初に、自分の涙やほかの何かでぐちゃぐちゃになってしまったバレンシアの服を見て謝った。
「あはは、いいんだよこんなの。どうせただの安物だし」
バレンシアのおどけたような口調に、エリスが一瞬だけ笑顔を取り戻す。
再度ハンカチで顔を拭くと、今度は自らの頭をバレンシアの肩にもたれかけた。
バレンシアも、エリスの頭の上に自分の頭を乗せる。
道行く人々がちらちらと二人に視線を送っていたが、二人ともまったく気に留めなかった。
「私、クビになっちゃいましたね」
エリスがおどけたように口にした。
「何言ってるの。あんなの関係ないよ」
バレンシアが、やさしく返事を返す。
それからしばらくは、また二人とも無言になった。
何も言わず、そばにバレンシアが居てくれるだけで、エリスは自分の心が落ち着いていくのを感じることができた。
「ありがとう……バレンシア。私を心配して追いかけてきてくれたのでしょう?」
「ん? なんのことかな?」
とぼけた様子のバレンシアに、エリスは感謝の気持ちを抱く。
何も言わない優しさが、本当に心地よかった。
今なら素直に、自分の気持ちを晒し出すことができるような気がした。
だから、一番の疑問をバレンシアにぶつけてみることにした。
「ティーナは、なんであんなに怒ったんでしょうか?」
エリスには、ティーナがなぜあれほどまで怒り、自分を拒絶するのかがわからなかった。
むしろ、家を抜け出してまで来た自分を誉めてくれるのではないかと思っていたくらいである。
バレンシアはしばらく押し黙ったあと、ゆっくりと口を開いた。
「あたしはね、態度に問題はあったかもしれないけど、ティーナの意見には概ね賛成だな」
一瞬悲しそうな顔をするエリスを見て、慌ててバレンシアは次の言葉を付け加える。
「あ、でもそれはエリスをクビにするのが賛成って意味じゃないからね? あたしはエリスが魔法屋アンティークに無理してでも来てくれたはすっごく嬉しかったよ。だけどさ、やっぱりご両親の反対を押し切ってまで来たっていうのはどうかなって思うんだ」
「……正確には、お父さんに黙って家を抜け出して来ちゃいました」
「でしょ? それはさすがにまずいよね。きっとご両親も心配されるだろうし、なによりティーナのお店に行くことへの反発的な気持ちが働いちゃうしね」
「それは分かります。だけど、お父さんは私の気持ちも全然聞いてくれなくて、ただ駄目だってしか言わないんです。お母さんは理解してくれたんですけど……。それが悔しくて」
「だから、家を飛び出してきたんだ?」
バレンシアは笑った。
エリスは恥ずかしそうに頷くと、バツが悪そうに顔を背けた。
「ホントはエリスも分かってるんだよね、やっぱりそれはまずいって。あたしが言いたかったのはね、他にも方法はあったんじゃないかなっていうことなの。例えば、何度も説明して理解してもらうとか、条件付きでも妥協案を示して了解をもらう、とかね?」
バレンシアは短い髪の毛を軽くかきあげた。
「ティーナは──あいつは素直じゃないから口にはしないけど、本当はエリスにずっといて欲しいと思っているんだよ」
「えっ?」
バレンシアの言葉に、エリスは驚いて顔を上げた。
エリスの目の前に、『ラピュラスの魔鍵』がゆらゆらと揺れている。
「バレンシア、これは……」
「ティーナがあなたにって」
エリスは恐る恐る『鍵』を手に取った。
相変わらず『ラピュラスの魔鍵』は金属特有の冷たさを持ち、なんの暖かさも感じられない。
だがエリスには、それがなによりも大切なもののように感じられて、ぎゅっと両手で握り締めた。
枯れたはずの涙が、もう一粒だけエリスの頬を流れ落ちた。
「ティーナは『これまでの仕事代』って言ってたけど、それはウソ。あたしにはわかる。まちがいなくあいつは、あなたにずっといて欲しいと思っているよ。だけど、そうはできない理由が何かあるんだと思う。だから今回の件は、単なるひとつのきっかけだったんじゃないかと思うんだよね」
バレンシアは空を見上げながら、小さくため息をついた。
「……バレンシア?」
「なんかね、ティーナのやつ、あたしらに隠し事をしているみたいなんだよ。たぶんあいつはなにかに気付いてる。そのなにかからエリスを遠ざけようとして、わざと冷たい行動を取ってる気がするんだ。だけど、それが何なのか、あいつはあたしらには決して言おうとしない」
バレンシアは悔しそうにぎりりっと歯ぎしりをした。
きっとティーナがいつも一人で抱え込んでしまうことが悔しいのだろう。
だけどそれはエリスも同じ思いだった。
「正直、あたしにはそれが何なのかわからない。だけど、ティーナの意志は組みたいと思ってる。だからね、あたしは──エリスはしばらく魔法屋に顔を出さないほうが良いと思ってるんだ。でもさ、理由や根拠もなくそんなことを言われても、エリスも納得しないでしょ?」
バレンシアの言葉に、こくこくと頷くエリス。
しばしの逡巡のあと、バレンシアは重い口を開いた。
「納得するためには、ティーナの考えを知る必要がある。それには、あいつの過去を知るのが一番手っ取り早いんだ。だからあたしはエリス、あなたにティーナの過去を話そうと思う。きっと、あなたになら話してもいいと思うんだ。ティーナの過去を──」




