31.クビ宣告
翌日、エリスは頑なな父の説得をあっさりと諦めて、別の作戦を取ることにした。
名付けて「こっそり抜け出しちゃえ」大作戦。
なお、この大作戦には母親の助けが必要不可欠だ。
エリスはまず手始めに家の入口を守っている衛兵のところに顔を出した。
入口を守っている衛兵さんは日替わりのようで、今日は若いお兄さんだった。
かなり退屈なのであろう、手に持つ槍で地面に何かを描いて暇つぶしをしている。
「こんにちわ、お仕事お疲れ様です!」
エリスは魔法屋アンティークでのアルバイト経験で培った満面の営業スマイルで衛兵に挨拶した。
ついでにマグカップに入った紅茶と手作りクッキーも差し出す。
「あっ、エ、エリスお嬢さま! お気遣いありがとうございます!」
少し照れながらも、衛兵の青年は喜んでマグカップを受け取った。
上々の反応に、エリスは心の中でガッツポーズをする。
「ありがとうごさいます、本当に大変なお仕事ですね?」
「いえいえ、当然のことですよ! なんでもエリスお嬢さまは悪い奴に狙われているらしいですね? このケインズが必ずお嬢さまを守りますので、安心しておまかせください!」
鼻息も荒くドンッと自らの胸を叩くケインズ。
彼は父親からからどんな説明を受けて派遣されているのだろうか。さすがにちょっと同情してしまうエリス。
だが、今の会話でエリスにはひとつ分かったことがある。
彼は、エリスの家出を警戒するためではなく、エリスを護るために派遣されていたのだ。
ということは、外から来る人物には警戒しても、家の中に居るエリスには警戒しないはずだ。
ふふふ、お父さんもそういうところは詰めが甘いね。エリスは心の中でほくそ笑む。
作戦は決まった。
裏庭からの脱出。それが今回エリスが取る手段である。
作戦が決まれば、次は母親のほうだ。
「お願いお母さん、直接ティーナに何にも話してないのにこのままなんて嫌なんだ。だから──行かせて」
眼をうるうるさせながら優しいシャンテに頼み込むと、彼女はしぶしぶ認めてくれた。
(本当にごめんなさい、お母さん。あなたの娘は、厳しい世間にもまれて悪知恵を身に付けてしまいました)
エリスは心の中で母親に詫びた。
こうしてエリスは無事実家を脱出することに成功すると、その足で魔法屋アンティークへと向かったのだった。
◇
エリスが魔法屋アンティークに到着したのは昼過ぎだった。
恐る恐る店内に入ると、カウンターで雑談するティーナとバレンシアがいた。
「こんにちわ、昨日は来れなくてごめんなさい。今日も遅くなりました……」
エリスの登場に気付いたバレンシアが、うれしそうに近寄ってきた。
「おおっ、エリス! 大丈夫なの? 家を出てきて」
「ええ……まぁ、なんとか。すいません、迷惑をかけて」
「お父さんにバイトのことバレたんでしょ? 昨日のジェスチャー面白かったね」
バレンシアがけらけら笑いながら両手を目に当てて泣きまねをする。
エリスもうなずきながら面白がって頭の上で輪を作ってみた。
二人でひとしきり笑ったあと、今度はカウンターに座ったままのティーナのところに近寄っていく。
いつものように気の抜けた挨拶を期待していたエリスであったが、すぐにその期待は裏切られることとなる。
「あ、あの……こんにちわ、ティーナ」
「やぁエリス、今日は遅かったね」
いつもと違う様子のティーナが、無表情のまま挨拶を返してきた。
氷のように冷めた瞳は、まるで以前の彼女に戻ったように感じられて、エリスは思わず息を呑む。
「で、昨日無断欠席して、今日遅刻した理由を教えてもらってもいいかな?」
「ちょっとティーナ、なに言って──」
「バレンシアは黙ってて、これはボクの店の話なんだから」
フォローに入ろうとしたバレンシアも、ティーナがぴしゃりとくぎを刺され、なんだか分からないといった表情を浮かべながら引き下がる。
援護のなくなってしまったエリスは、しどろもどろになりながらティーナに説明を続けた。
「あの、私……父親に黙ってアルバイトをしてて、ですね。それがおとといバレてしまって」
「ふーん、それで?」
「それで、ものすごく怒られて……昨日は反省のために一日家に閉じ込められてました」
「ほぅ。それで?」
「えーっとですね、それで、今日は説得してきて、アルバイトに出てきたのですが……」
「それはウソだね」
瞬時に嘘を見破られ、エリスは動揺を隠しきれないままさらに嘘を積み重ねた。
「う、ウソじゃないです! ちゃんと説得して……」
「それはおかしいな、いつ父親を説得したんだい?」
「それは……あの……今日の午前中に」
「それがまずウソだね。君の父親は朝から仕事だろう? 仕事に出る前の短い時間にどうやって激怒した父親を説得するんだい? そもそも説得するなら父親が家にいる夜だ。こんな真昼間に店に出て来ること自体が不自然だ」
「ううっ!」
「だいいち、エリスは両親に説明もせずにうちで働いていたのかい? それは最初に決めたルール違反じゃないのかい?」
「うぅ……」
もともとティーナは、エリスを雇う際の条件の一つに「両親の許可を取ること」を挙げていた。
しかしエリスは母シャンテには許可を取っていたものの、父親には許可が取れないと思ってスルーしていたのだ。
これは本当にまずい状況になってしまった。
エリスはようやく事態の深刻さに気付く。
「いいかいエリス。ボクはご両親の反対があってまでキミにここで働いて欲しいとは思っていない。ただでさえロクな商売じゃないんだ。お父上が心配されるのは当然といえば当然のことじゃないかな」
「ロクな商売じゃないなんて、そんなこと思ってません! ここのお仕事は素敵な──」
「そんなのは綺麗ごとだよ、現実はそんなに甘くないんだ。エリスだってわかっているだろう? 働くことの大変さを、お金を稼ぐことの難しさを」
「それは……わかってます。でも……」
ティーナの言葉にはすべて説得力があった。
エリスに対抗できる術があるはずがない。
だがエリスはここで引き下がるわけにはいかなかった。
引き下がれば、もう──彼女たちには会えないような気がしていたから。
「でも……働かないと『ラピュラスの魔鍵』を手に入れることはできないし、そうすると……ティーナたちにも会うことができなくなるわけで……」
「キミはご両親の気持ちをわかっているのかい? ご両親がどれだけキミのことを心配しているか理解している? それらを無視してでも働く覚悟はできてるって言うのかい?」
「うっ」
「カクゴとかシンネンってものはそういうときに使う言葉じゃない。そもそも、そんなものはこの世界ではなんの役にも立たない。勇気と無謀は別物だ。それでもキミは、すべてを捨ててまでやるっていうのかい? そんなのバカげてるよ」
一気に冷たく言い放ったティーナは、くるりと身体を反転させると完全にエリスから背を向けてしまった。
エリスには、それが彼女の拒絶の現れのように思えた。
「そんな……私……」
「家を抜け出してまで来るなんて間違っている。キミにもそのことはよく分かっているはずだ。だから、キミの良心に代わってボクが言ってあげるよ。今すぐ家に帰るんだ。そして、もうここには二度と来てはいけない。君は──クビだ」
「ティーナ!!」
それまで黙って話を聞いていたバレンシアが、堪えきれなくなって大声を上げた。だがティーナは表情一つ変えない。
「ティーナ! あんた言いすぎだよ! あんたこそエリスの気持ちをわかってんの? エリスは、エリスは──」
「バレンシア、いいんです」
エリスは俯いたままそれだけを口にすると、首から下げていた『ラピュラスの魔鍵』をネックレスごと外して、ことりとカウンターの上に置いた。
「ティーナ、ごめんなさい。私、あなたに迷惑をかけてばかりで。これまで一緒に居ることができてすごく楽しかった。ほんとうに、ありが……とう」
エリスは何かを振り払うかのように激しく頭を振ると、サッと身を翻して──ドアを突き破るような勢いで一気に外へと駆け出していった。
◇
魔法屋アンティークから飛び出したエリスは、瞳から流れ落ちる涙を拭こうともしないまま、イスパーンの街を駆け出していた。
「ティーナのばかっ! ばかっ!」
理解を示さないティーナが恨めしかった。
自分はこんなにもあの店で働きたいと思っているのに。
自分はこんなにもティーナたちと一緒に居たいと思っているのに。
なにも伝わらない。
なにも伝わってない。
それが──もどかしかった。
なにかにつまずいて、エリスは道に転がった。
受身を取ることもできず、真正面から地面に叩きつけられる。
周りにいた人たちが心配そうに近寄ってきたが、エリスはそのまま動くことができなかった。
我慢していた感情が一気に襲いかかってきて──エリスは泣いた。
一度泣き出したら涙が止まらなくなってしまった。
心の奥からこみ上げてくる熱く苦しいものが、エリスの全身を責めた。
擦りむいてできた膝の傷も、地面に打ちつけてできた肘の打ち身も、なにもかもわからなかった。
ただただ、涙だけが溢れてきた。
「うう……うぅぅ……うわぁぁぁぁあーーーん!!」
エリスは人目もはばからず、声を出して大泣きしたのだった。




