29.バレちゃいました……
──『悪魔』
古来より天使とは対をなし、人々に忌み嫌われている存在があった。
心を悪に染め、自身のエゴや利益のために生きる存在。
それが悪魔である。
悪魔には天使とは対となる特徴があった。
天使の背中には、強大な魔力の象徴として白い翼が具現化する。
対して悪魔の背には──黒い翼が具現化した。
悪魔の発生条件には二種類ある。
ひとつは、邪悪な心を持った魔法使いが「天使の器」を見つけて覚醒した場合。
もう一つは──天使になった者が心を悪に染めてしまった場合である。
ちなみに後者は「堕落」と呼ばれ、魔法使いたちの中でもっとも忌み嫌われていた。
悪魔化した魔法使いの特徴として挙げられるのが、自己中心的かつ独断的な性格へと変貌してしまうことだ。
しかも悪魔に堕落すると、通常の天使よりも高い魔力を保有するため、「悪魔」は危険な存在として世界中に認識されていた。
ブリガディア王国においては、存在が確認され次第騎士団が派遣されて駆除される対象こととなっていた。
だからこそ、多用すると簡単に悪魔に堕落してしまう『悪魔薬』は、存在するだけでも大変危険な魔法薬とされた。
もし所有や取引をしようものなら、即刻騎士団に逮捕されてしまうような代物なのである。
◇
フォア氏から十分気を付けるようにと念を押されたエリスたちは、取引のお礼もそこそこにイスパーン商会を後にした。
結局ティーナは最後まで自分の世界に入ったままだった。
魔法屋アンティークに帰り着いても、必要最低限のこと以外ほとんど口を利かなかった。
ティーナはどうしてしまったのだろうか。
彼女の異変に気付きつつも、エリスには彼女の心の中を知るすべはない。
後ろ髪を引かれる気持ちを感じながらも、エリスはとりあえず帰宅することにした。
「ただいまーっ……って、ええっ!?」
家に帰り着いて玄関を開けた瞬間、エリスはその場に凍りついてしまう。
なぜなら目の前に──居るはずのない人物が立っていたのだから。
「エリス。これはいったいどういうことなのかな?」
「おとう……さん?」
エリスの目の前には、怒りに全身を震わせた父ボルトンの姿があった。
彼の後ろには、申し訳なさそうな顔をしている母シャンテの姿も見える。
「どういうことなのか、すべて話してもらおうじゃないか」
父ボルトンの声は、ふだんの穏やかな感じが微塵も残っていない。
エリスは、目の前が真っ暗になるのを感じた。
草食竜と対峙したとき以上に緊張するのが分かる。
(まずい、お父さんにばれちゃったんだ……)
ついに──エリスのやっていることが父親にばれてしまった瞬間であった。
◇
エリスの実家であるインディジュナス家の居間は、まるで空気が凍りついたかのような緊張感に満ちていた。
かしこまった格好で下を向いたままのエリス。
ダイニングテーブルを挟んで反対側に腕を組んで座っているのは、鬼の形相を浮かべた父親のボルトン。
「それで、毎日家を抜け出しては、その『魔法屋』とやらで仕事をしていたというんだな」
怒気を含んだボルトンの確認に、エリスはすっかり縮こまって頷いた。
目の前にはシャンテが入れた紅茶が置かれていたものの、誰も手を付けないまますっかり冷めてしまっている。
「シャンテ。お前はこのことを全部知っていたのだな?」
「ええ、そうです」
ボルトンの氷のように冷たい口調に、エリスの横に座っていたシャンテが観念したように頷いた。
「待ってお父さん! お母さんは何も悪くないの。私がわがままを言って──」
「エリス、お前はだまっていなさい! まったく、どういうことなんだ? たまたま早く帰ってきてみたら、このざまだ」
ボルトンは葉巻に荒々しく火をつけた。
紫煙が部屋中にゆっくりと広がっていく。
これまでボルトンは、病弱なエリスを気遣って彼女の前では決して煙草を吸おうとはしなかった。
だが今は、そんなこと御構い無しに荒々しく煙を吐き出している。
エリスは初めて見る父親が煙草を吸う姿に強いショックを受けた。
ボルトンは一口吸っただけで、荒々しく葉巻を灰皿に押し付けてもみ消すと、再びエリスに対して口を開いた。
「そういうわけでエリス、お前は当分外出禁止にする。わかったな?」
「え? ちょっと待って! それは……それだけはっ!」
「エリス! お前は自分がしたことが分かっているのか? これは私への裏切り行為だぞ?」
ボルトンの一言に、うっとうなるエリス。
「それに、私たちがお前の体のことを心配しているのはわかっているだろう?」
「でも……私、最近ずっと体の調子がいいんです。正式に働きはじめてからは一度も体調が悪くなったことはなかったし」
「そんなことは関係ない! しかもよりによって魔法屋などという、胡散臭い商売に手を染めるなどとは──」
「ティーナのお店はそんな変なお店じゃない!」
今まで見せたことも無い娘の強い口調に、はっとする両親。
だが、それでもボルトンは頑固な意思を変えることが無かった。
「胡散臭かろうと臭くなかろうと、貴族の娘たるお前が市井で働くなどもってのほかだ!」
「そんな……私はただ……」
「もういい! どっちにしろ、お前はしばらく外出禁止だ! 私の許可が下りるまで一切の外出を禁じる!」
その後、エリスは必死に父親に食い下がったものの、結局その日のうちにボルトンの外出禁止令が解かれることは無かった。
「うぅ、どうしよう……」
お風呂に浸かりながら、エリスは頭を抱えていた。
今朝まではあんなに浮かれていたのに、一日経ったらこんな状況だ。
舞い上がっていた過去の自分をどうにかしたい思いに駆られる。
だが、どんなに過去の自分を悔いたところで、時が戻ってくるわけではなかった。
あまりに楽しすぎて忘れていた。
いつのまにか、警戒心が飛んでしまっていた。
本来、自分のようなものがアルバイトするなど、極めて異質な状況なのだ。
加えて、図らずも言われてしまった──自身の身体のこと。
最近はすこぶる調子が良く、なんとなく体力もついてきた気がする。
それでも、本当に大丈夫なのか自分自身を疑いながら、おっかなびっくり日々を過ごしていたのも事実だった。
自身でさえそんな感じなのだから、両親が心配するのは当たり前だろう。
どう考えても、今回はエリスの分が悪い。
「うーーーん。参ったなぁ……」
エリスはぶくぶくと泡を吐き出しながら、湯船の中にゆっくりと沈んでいった。
次の日の朝。
昨日の出来事が夢でありますようにと祈りながら眠りについたものの、残念ながら現実は無情にもエリスに容赦なく押し寄せてきた。
ボルトンは朝から不機嫌だった。
エリスが改めて説得しようかと思っていた気持ちを簡単に挫くほど怒っていた。
仕事に行く時も「絶対に家から出るなよ!」と念を押すだけでは飽き足らず、「見張りも付けるからな!」と嘘か本当かはわからない脅しをかけてきた。
シャンテも障らぬ神に祟りなしといった風で、残念ながらエリスの味方になってくれそうもない。
昨日のお風呂でも良い案が浮かばず、もう一度朝頼み込もうと思っていたエリスの心は、父のトドメの言葉であっけなく折れてしまったのだった。
家に軟禁される形となったエリス。打つ手がなくなって本当に参っていた。
今の一番の心配事は、ティーナに無断で仕事を休んだことだった。
(急に来なくなったら、ティーナは心配するだろうな。どうにかして一言でも伝えなきゃ……)
めっきり凹んでしまった心の中で、エリスはそんなことばかり考えていた。
◇
「今日はエリス遅いね?」
いつものように魔法屋アンティークに遊びに来たバレンシアが、店内の魔道人形を弄びながらティーナに声をかけた。
魔道人形のスイッチを入れると、カタカタと音を立てて動き出す。リズミカルに動作する魔道人形を、ティーナは何も言わずぼんやりと眺めていた。
「ちょっとあんた、聞いてるの? それとも寝てる?」
「大丈夫、起きてるよ。それよりもバレンシアに頼みがある。心配だから一応エリスの様子を見に行ってくれないかな? どうせ親に黙ってアルバイトをしてたことがバレて外出禁止を食らったとか、そんなところだろうと思うけどさ」
ぶっきらぼうなティーナの言葉に、バレンシアはふっと笑いながら頷いた。
「ずいぶん素直になってきたじゃないか。わかったよ、ちょっとあたしが様子見てくるね。あんたは店にいて入れ違いにならないように待ってなさいよ?」
バレンシアはそれだけ言うと、さっそうと身をひるがえしてお店を出て行った。
「……まぁ、その程度のことだったら良いんだけどさ」
誰もいなくなった魔法屋アンティークで、ティーナは独りつぶやく。
カタカタと動いていた魔道人形が棚の端まで行き、かたーんと音を立てて床に落ちた。
床に落ちてもまだ動き続ける人形を、ティーナは感情の感じられない瞳でずっと眺めていた。




