2.魔法屋アンティーク
ぎぃぃいぃいぃ。
入り口の扉が、不気味な音を立ててゆっくりと開く。
「ごめんください……」
恐る恐る声をかけて入った魔法屋アンティークの店内は、まだ太陽が昇っているというのに薄暗く、かなり埃っぽかった。
くしゅん。思わずくしゃみが一つ出る。
(うわー、これは……)
小さな店中には、所狭しと様々な品物が置かれていた。
壷や皿といった実用的なものから、干からびた草、何か得体の知れない生物の干物などの正体不明の物体まで、無秩序に木製の棚に並んでいる。
(これはひどい、ゴミ捨て場にしか見えないよ)
店内のあまりの汚さに加え、置かれている怪しい商品の気持ち悪さもあいまって、さっきまでハイテンションだったエリスの気持ちは一気にトーンダウンしていく。
(……なんだかここに長居してると病気になってしまいそう)
不謹慎なことを考えながら店の奥に向かうと、ふいに──薄暗い「毒キノコの館」の中でもひときわ目立つ存在が飛び込んできた。
はじめエリスは、それが髪の長い等身大の人形かと思った。
だがよく見てみると、わずかに胸を上下に揺らしている。
人形だと思っていたものは──椅子に座ったまま眠っている女性らしき人物だった。
すぅすぅと気持ちよさげに寝息まで立てている。
「あの……すみません?」
エリスは遠慮気味に声をかけてみたものの、深く寝入っているのかピクリとも反応しない。
「あのー、すいませーん……すいませーーーん!」
「ん……うーん……」
三回ほど声をかけたところで軽く身じろぎし、ようやく顔を上げる。
その瞬間、エリスは──今日一番の驚きを体験することとなった。
──絶世の美少女。
そう呼べる存在がこの世にいるのか、これまでエリスは考えたこともなかった。
だが、今彼女の目の前にいる少女以上に、その称号がふさわしいものが存在するとは思えなかった。
黄金の波を想像させるような、金色のウェーブがかった長い髪。
薄暗い部屋の中でも浮き立つ、透明で真っ白な肌。
どんな芸術家でも創り上げることが不可能な、瑞々しい唇。
髪の毛と同じ色の、すべてを魅了するような黄金色の切れ長な瞳。
彼女を形作るパーツすべてに、この世にある最高級のものが使用されていた。
目の保養とは、このことを言うのだろうか。
エリスは初めて見る「絶世の美女」に、しばし見惚れてしまう。
(あぁ……自分がせめてこの半分でも美人だったら、もうちょっと楽しい人生が送れたのかなぁ?)
「……ん、お客さん?」
響くような透明な声で呼びかけられ、エリスはようやく我に返る。
「あ、いえ、あの、その……」
「違うのかい? だったらなにか買う気になったら起こしてくれよ。それじゃあ、おやすみ」
美少女はぶっきらぼうにそう口にすると、今度はカウンターにつっぷして、すぐに気持ちのよさそうな寝息を立て始めた。
(えっ? また寝ちゃうの?)
エリスは今日何度目か分からない「あっけにとられる」という感覚を味わった。
目の前に見知らぬ人がいるというのに、なんの迷いもなく二度寝するとは。無防備というか、無警戒というか、豪胆というか……いずれにせよ並の精神の持ち主ではない。
(すごいなぁ……)
エリスは想像する。
おそらくこの少女は、オーナーである魔法使いの代わりに店番をしているのではないだろうか。
あるいは、店主である魔法使いの娘とかかもしれない。
(でもこんなに不真面目に店番してたら、あとで怒られたりしないのかな?)
しかし、これはエリスにとってまたとないチャンスでもあった。
いま店の中にいるのは、とんがり帽子を被った恐ろしげな老婆の魔女や、いかつい顔をして長い髭を生やした気難しい魔法使いなどではなく、熟睡する美しい少女のみ。
せっかくなのでエリスは、この機会にじっくりと店内を観察してみることにした。
「毒キノコの館」こと魔法屋アンティークには、実に様々なものが商品として置かれていた。
一見価値がありそうなものから、どうみてもゴミにしか見えないようなものまで、雑然と山積みにされている。
もしかすると本当にゴミを置いているだけかもしれない。いや、確認するとほぼ全てのものに値札がついているので、ちゃんと販売はしているようだ。
ゴミの中に紛れるようにして、価値ありそうな宝石や指輪も無造作に置かれていた。
そういった商品の値札には、エリスの所持金では到底購入できそうもない値段がついている。
(いったい誰がこの店でこんな高価なものを買うんだろう……)
他にも、魔法屋らしく魔導時計や魔導人形などの魔法道具が所狭しと置かれている。ただ、今のところエリスの心を引きつけるような商品は見当たらない。
店の壁に備え付けられた棚には、魔法に使うのであろう不気味な素材らしきものがたくさん置かれていた。
なにかの骨や不気味な干物、さらには夢に出てきそうな悪相の仮面まで。
あまりのグロテスクさに、エリスはそちら側の棚には近寄ろうという気さえも湧かなかった。
こうしてエリスが店内を半分ほど観察し終えた頃──十分な睡眠を取ることができて満足したのか、ぐっすりと眠っていた少女がようやく目を覚ました。
小さく伸びをするとあくびをしながら首をこきこきと鳴らす様子に、エリスは実におっさんくさ……いや、美少女に相応しくない仕草だなと思った。
「……ああ、まだいたんだ」
やがてエリスがまだ居ることに気づいた美少女が語りかけてくる。左耳の大きな耳飾りが、窓から入る光を反射してきらりと鈍く輝く。
「あ、その……お邪魔でしたか? ごめんなさい」
エリスとしては心の中でお店のことをぼろくそにこき下ろしていたことも込めて詫びていたのだが、残念ながら相手に伝わった様子はない。
「なにも謝ることなんてないよ。ただキミみたいな貴族のお嬢さんがこんな店に来るなんてめずらしいなと思っただけだから気にしないでくれ」
「え? 貴族のお嬢さんって……私、そう見えますか?」
「顔や服装を見ればわかるよ。誰がどう見たってキミはいいところのお嬢さんじゃないか」
お世辞半分で受け取ったものの、自分が貴族の娘に見えるというなら、この美少女はどこかの国のお姫様にしか見えないなとエリスは思う。
「まぁ気が済むまでゆっくりしていくといいよ。どうせほかに客なんてろくに来ないんだからさ」
美少女はぶっきらぼうに言い放つと、それまでの氷のような無表情を僅かに溶かして、エリスに向かって笑いかけた。
ほんの少し微笑んだだけだというのに、この破壊力。
(綺麗……まるで神話に出てくる女神さまの微笑みたい)
あまりの魅力的な笑顔に、同性であるエリスでさえも思わず顔を赤らめてしまう。
だが美少女はエリスを気に留めた様子もなく、机に置いてあった眼鏡をかけると魔術書らしい本を広げて読みはじめる。
どうやら既にエリスへの興味を失ってしまったらしい。彼女の興味はもう魔術書に移っていた。
美少女の視線が逸れたことにホッとしたエリスは、せっかくなのでお言葉に甘えて再び商品の置かれた他の棚に目を向けることにする。
カウンター近くの棚を覗き見ると、魔法道具や家庭用品がいくつか置かれていた。
トンカチやペンチ、そして──鍵?
エリスの視界がそれを捉えた瞬間──全身がまるで電撃に貫かれたかのような凄まじい衝撃に襲われる。
──それは、本当に奇妙な感覚だった。
長い間──それこそ何百年も探し続けていたものにようやく巡り合えたかのような、それでいて見つけてはいけないものを発見してしまったかのような……複雑な感覚。
エリスは、自身の鼓動が早くなるのを感じていた。
どくどくどくどく、と全力疾走しているかのように胸が高鳴る。
同時に、全身から噴き出す大量の汗。
自分の胸の前で汗ばんだ両手をぎゅっと握りしめる。
やがて覚悟を決めたエリスは、自分にそれだけの衝撃を与えた「モノ」をしっかりと観察するために、ゆっくりと手を伸ばした。