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26.天使

 小屋から飛び出した三人が目撃したのは、ぐるるるぅと唸り声を上げてこちらを睨んでいる草食竜(グラスドラゴン)の姿だった。

 間違いない、この魔獣はあきらかに自分たちを探して追いかけてきている。

 エリスは確信するに至り、全身から血の気が引くのを感じた。


「どういうこと? もしかして、さっきの火球(ファイアーボール)で恨み買っちゃった?」


 確かに草食竜(グラスドラゴン)はプスプスと所々から煙を上げ、瞳は──怒りによるものなのか、真っ赤に充血している。

 だがティーナはバレンシアの言葉に首を横に振ると、じーっと草食竜(グラスドラゴン)の顔を観察した上で、こう断言する。


「いや、違う。こいつは──なにかに操られてる。たぶん正気じゃない」

「なんですって?」

「だったら、狙いはボクたちか。このまま逃げてても埒が明かないな」


 ティーナがちらりとエリスの方を見た。

 金色の瞳は、まるでエリスの心の奥まで見透かすように強い光を帯びている。

 ティーナの美貌もあいまって、エリスは状況も忘れて思わずドキリとしてしまった。

 やがてティーナはふぅとため息を吐くと、今度はバレンシアの方に向き直った。


「こうなったら仕方ない。バレンシア、ボクは『アレ(・・)』をする」

「ちょっと、あんた本気?」


 ティーナの言葉に、バレンシアが激しく動揺した。


「遅かれ早かれ、こうなることは分かってた。きっとエリスにとっても・・・・・・・・必要なこと・・・・・だと思ってたし」

「大丈夫なの? あんたはそれで良いの?」

「ああ、とっくに覚悟は決めてたから。ただ──もうちょっと先になると思ってたんだけどなあ」

「そっか……わかったわ。あんたが決めたならあたしは何も言わない」


 エリスには、二人の会話の意味がまったくわからなかった。

 ただ──なにやら深刻な話をしていることだけは理解できた。


「ほらほら! こっちだよ!」


 会話を終えたバレンシアが、剣をしっかり握り締めて「草食竜(グラスドラゴン)」に向かって大声を上げた。

 草食竜(グラスドラゴン)の注意を自分に向けるための威嚇行為だ。


 その甲斐あってか、「草食竜(グラスドラゴン)」が長い首先をバレンシアの方に向ける。

 魔獣の注意が逸れた隙に、ティーナがエリスに向かって語りかけてきた。


「エリス、よく聞いて。これからボクは──あること・・・・をする。そのことに関して、決して誰にも口外しないと約束して欲しいんだ」


 ティーナの今までにない真剣な口調に、エリスは無我夢中で頷く。

 返事を確認するや否や、ティーナは懐から「エンバスの紅玉指輪」を取り出した。


「デイズおばあちゃん。ボクに力を貸して」


 ティーナは小声で呟くと、指輪を右手の薬指に嵌め──ゆっくりと、まるで歌うように言葉を紡ぎ出した。


「今、ボクは願う。この身に力が現れんことを!」


 前触れもなく──ティーナが輝きだした。

 突然の激しい光の激流に、エリスは驚き途惑う。

 あまりの眩しさに目を開けることができない。

 白い羽のような光の粒子が、風に踊るように舞うのを見た気がした。

 ただそれも一瞬のことで、エリスは何もできずにその場に立ちつくしてしまう。


 しばらくすると──強烈な光が過ぎ去り、エリスはようやく目を開けることができた。

 徐々に目の焦点が合っていくにつれはっきりと映し出されてゆく光景に、エリスはすべての言葉を失ってしまった。


 白銀色の羽が舞い散る中心に──彼女(・・)は佇んでいた。


 最初に目に飛び込んできたのは、真っ白な翼だった。

 ティーナの背中に生える、真っ白でとても大きな翼。

 ただし、翼は一枚しかない。


 彼女の全身は、自らの存在を誇示するかのように淡い白色の光に包まれていた。

 黄金色の髪は太陽のように煌きながら、渦巻く気流になびく。

 純白の翼は、片翼ではあるものの──大空を羽ばたこうとするかのように大きく力強く拡がっている。


 だが、それらのすべてが──ティーナという圧倒的な存在を神々しいまでに演出する欠片パーツでしかなかった。


 純白の巨大な翼を一枚だけ背に宿し、片翼の天使となったティーナが──まるで天空から舞い降りた美の女神のように、エリスの目の前に光臨していた。


「ティーナ……あなた、『天使』だったのね……」


 ティーナの本当の姿・・・・に完全に目を奪われたエリスは、ただ──それだけを呟いた。


 ◇


 白く輝く天使となったティーナに、草食竜(グラスドラゴン)の注意が完全に向く。


「後はティーナに任せよう。もう大丈夫だよ」


 正面から対峙するティーナと草食竜(グラスドラゴン)を横目に──いつのまにかすぐ隣にやってきたバレンシアが、エリスを安心させるようにそう言った。

 だが事情が飲み込めていないエリスに、バレンシアの言葉は届いていない。


「どうして……なんでティーナは『天使』に? もしかして私に隠してたんですかね」

「それは違うよ。ティーナはいい加減なやつだけど嘘はつかない。そもそもあいつは自分の『天使の器(オーブ)』もまだ見つけてないし」

「だったらどうして……」


 エリスの疑問に、バレンシアは微笑みながら事情を説明してくれた。


「ティーナはね、特別な力を持ってるんだ。あいつは、自分の『天使の器(オーブ)』じゃなくても『天使』になることができるんだよ」

「えぇっ!? 魔法使いは、自分の『天使の器(オーブ)』じゃないと天使になれないんじゃないんですか? だからこそ魔法使いの人たちは、人生をかけて自分の『天使の器(オーブ)』を探すんだって……」

「そう、普通はそうなんだろうね。だからティーナは──歴史上・・・初めて・・・確認された・・・・・、自分の『天使の器(オーブ)』じゃなくても天使になれる存在なんだよ」


 エリスは驚きを隠せなかった。

 もしバレンシアの言っていることが真実だとしたら、ティーナは──これまでの常識を完全に覆す存在なのだから。


「そんなの──聞いたことありません」

だから秘密・・・・・だったんだよ。デイズおばあさんが亡くなる前に聞いたんだけど、ティーナはものすごく強大な魔力を持っているらしいのね。だからこうして自分の『天使の器オーブ』じゃない『エンバスの紅玉指輪』の力でも『天使』になることができるんだって」


 魔法使いにとって、天使になることは夢だ。

 だが、魔法使いが自分の天使の器(オーブ)に出会うことができる確率は限りなく低い。

 ところが、その天使(ゆめ)に、もし自力でたどり着くことが出来るのだとしたら──。


「わかりました、絶対に秘密にします」


 このことが世間に知られたら、ティーナがどうなることか想像もつかない。

 どこか研究施設に連れて行かれるのか、あるいは悪い人に連れ去られたりするのか。

 いずれにせよ、世間が放っておくわけがない。


「ありがとうエリス。実はあいつね、あたしと出会った頃には既に『天使』だったんだよ」

「ええっ? そんな小さな頃からですか?」


 エリスはバレンシアの説明に、さらに度肝を抜かされてしまった。

 たしか二人が出会ったのはもう五年以上前と言っていた。

 だとすると、ティーナは十歳の頃には既に天使だったということになる。


 エリスの知る限り、十八歳より前に天使になった人は、一部の王族や貴族、おとぎ話や英雄譚でしか聞いたことがない。

 ましてや十歳の天使など聞いたこともなかった。

 全てが、規格外の存在であると言えた。


「うん。だけどね、大きな力というのは時として『諸刃の剣』になるみたい。ティーナはね、それほどの強大な魔力を自分の力で制御することが上手くできないんだ。だから普段はその力をセーブしてるんだけど、色々と苦労があるみたいでね。例えば初歩の魔法に関しては、うまく魔力をコントロールできないせいでよく失敗するみたいよ」

「あぁ、それで魔法が苦手だったんですね」


  エリスは、これまでのティーナの魔法の失敗を思い出した。あれらは全て、魔力が多すぎるゆえのコントロールミスだったのだ。


「あとは、定期的に溜まった魔力を発散させないと体調を崩したりすることもあったね。もっとも、今までの説明は全部デイズばあさんに聞いた話の受け売りだけどさ。あたしも魔法使いじゃないし、ティーナはなんにも説明してくれないから、それ以上詳しくはわからないんだけど」

「あの……それじゃあ、ティーナの翼が片翼しかないのは?」

「あぁ、それはね……前はそうじゃなかったんだよ。ちゃんと二枚の翼があったんだ。ところが1年くらい前からティーナはああなっちゃって……」


 バレンシアはそこで説明をやめてしまった。

 どうやら言いにくい理由があるようだ。

 教えてくれないのは、それなりの理由があるに違いない。これまでの二人の関係から察することができた。

 一年前といえば、デイズが亡くなった時期に重なるわけで──エリスはそれ以上無理に尋ねなかった。


「そう、だったんですか」

「まぁ、説明はともかくさ。まず今は草食竜(グラスドラゴン)との決着を見届けようよ!」


 バレンシアに促されエリスは小さく頷く。

 確かに今はそれどころではなかった。

 問題は目の前の怒り狂った魔獣をどう撃退するかである。


 エリスは一旦色々な気持ちは棚に上げると、ティーナと草食竜(グラスドラゴン)の戦いに意識を集中することにした。


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― 新着の感想 ―
[一言] 3話更新、ありがとうございます。 ティーナさん、片翼モード。
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