23.宝物
『妖魔の森』は、王都イスパーンの街外れに広がる巨大な森だ。
ブリガディア王国の国土の一割を占めているこの森は、巨大な木々で覆い尽くされており、豊かな自然に守られて数多くの野生動物達が生息していた。
「ピクニック~♪ ピクニック~♪」
エリスののんきな鼻歌を先頭に、三人は軽い足取りで『妖魔の森』の奥へと進んでいく。
この日、エリスにしては珍しくハイテンションだった。
それもそのはず。ずっと病弱だったエリスがこうやってピクニックに出かけるのは、生まれて初めての経験なのだ。
これまで憧れて続けていたピクニック。しかも隣にはティーナやバレンシア。
エリスのテンションはいつになく高かった。
「あっ、野うさぎだ! かわいい!」
『妖魔の森』に侵入したエリスたちを出迎えてくれたのは、恐ろしい魔獣などではなく、可愛らしい野うさぎだった。
目の前に迷い出た野うさぎを、エリスが捕まえようと追いかけてみるものの、すぐに逃げられてしまう。
「あら残念、捕まえられたらいいオヤツになったのにねぇ」
笑いながらとんでもないことを言うバレンシアに、捕まえなくて本当によかったと心の底から安堵するエリスであった。
のんびり歩いてきたせいか、目的の場所に到着したのは昼過ぎだった。
たどり着いた場所は──木々が開けた場所にある、見晴らしの良い小高い丘の上だった。
この丘にアクエリス草が群生しているとのことだったが、非常に見晴らしが良く、妖魔の森の全体が一望できた。
遠くにはイスパーンの街並みもわずかに見え隠れしている。
「素敵……」
素晴らしい絶景を前に、エリスは思わずため息を漏らした。
ここに来ることができて本当によかった。目的地に無事着いた安心感もあって、エリスは心の底からそう思った。
「あぁー気持ちいい! ここいらでお昼ごはんにでもしない?」
バレンシアの提案にとくに反対する理由もなかったので、三人は少し遅い昼食を取ることにした。
今日のお弁当はバレンシアの手作りだ。
お弁当のフタを開けた瞬間、エリスはうわぁと歓声を上げてしまった。
お弁当の中身は、可愛らしいタコさんソーセージやから揚げ、玉子焼き、サンドイッチなどの豪華なおかずがぎゅうぎゅうに詰め込まれた、ボリューム満点の特製弁当だった。
バレンシアの手作りとあれば、見た目だけでなく味のほうもきっと間違いないであろう。
豪華なお弁当を前に、再度テンションが上がるエリス。
空腹でお腹が悲鳴を上げていた三人は、ワイワイ言いながらあっという間に全部平らげてしまった。
お弁当を食べ終わると、三人は満足感に浸りながら思い思いにくつろぎはじめる。
「あぁ、お腹いっぱいだ。もう食べれない」
ティーナが満足げな声をあげて草原に横たわると、腕をまくらにして空を流れる雲をぼーっと眺めはじめた。
その横ではバレンシアが、タンポポの綿毛を摘んでは、息を吹きかけて種を飛ばしている。
エリスは二人がくつろぐ光景を見ながら、自分が『妖魔の森』にいることも忘れて、のどかなピクニック気分を満喫していた。
「うーん、これで美味しい紅茶でもあれば完璧なのになぁ。お湯が無いから無理だなぁ」
「ん? お湯が必要なら沸かそうか?」
エリスの独り言に反応したティーナが、上半身を起こしてエリスに思いがけない提案を投げかけてきた。
「えっ? ティーナはお湯を沸かせるんですか?」
「そりゃあボクは魔法使いだからね、火くらい起こせるよ。こんなこともあろうかと火打石持ってきたし、『火球』でも使えば一発さ」
「ティーナ、やめときな。また失敗するよ?」
「うっ、くっ」
バレンシアの言う通り、ティーナは魔法薬作成でも失敗するくらいなのだ。『火球』のような派手な魔法を使った場合、どのような恐ろしい事態となるのか。
一面が火の海になる様子を想像して、エリスは血の気が引くのを覚える。
「ざ、残念ですけど、今日はお茶道具の準備がないので」
「あ、そう。それじゃあしょうがないね」
ムキになって『火球』の魔法を使いそうになっていたティーナが諦めてくれたようで、エリスは心の底から安堵する。
「そういえば二人は、たまにこうやって魔法の材料を取りに来ているんですか?」
「そうそう。デイズおばあさんが健在だった頃は三人でよく来てたんだ。こうやって小さな頃から冒険ごっこを楽しんでたんだけどねぇ」
バレンシアが昔を懐かしむかのように、目を細めて空を見上げた。
「あの頃は本当に楽しかったわ。どんなことだって怖くなかったし、どんなときだってなんとかなると思ってた。デイズおばあさんが『天使』だったって話は知ってるよね?」
「ええ、たしか……『ホウキ』の能力を持つ『天使』だったとか」
「そのとおりだよエリス。デイズばあさんは、ホウキを駆使した天使の歌を歌う、とても優秀な天使だったわ。それこそあのアホ貴族なんかとは桁違いの、ね」
バレンシアが苦笑いを浮かべる。
エリスの脳裏にもあのアホ貴族が一瞬浮かんだので、あわてて頭を振って消し去った。
「デイズおばあさんの翼はね、それは綺麗な白色の翼でさ。背中に『天使の翼』を具現化させてホウキにまたがって空を飛ぶ姿は、本当にカッコよかったわ。今でもはっきりと覚えている」
そう言うとバレンシアは、遠い目をしながら昔話をゆっくりと語り始めた。
◇
昔──まだティーナとバレンシアが知り合ったばかりの頃、デイズに無理を言って三人でこの森に連れてきてもらったことがあった。
当時かなりの無鉄砲だったバレンシアは、勝手に森の中を一人で散策しに行った挙句、迷子になってしまう。
人々が「魔獣」という凶悪な獣が住むと噂していた妖魔の森で迷子になるということは本当に心細く、彼女は一人で大きな木の下でわんわん泣いていた。
そんなとき──空が光り輝いたかと思うと、大きな天使の翼を持ったデイズが、ホウキにまたがってゆっくりと降りてきたのだという。
生まれて初めて天使を見たバレンシアには、デイズの姿が──まるで天女様が降臨してきたのように見えた。
「そのときね、あたしは思わずデイズばあさんに頼んじゃったのよ。『弟子入りさせてくれ!』ってね」
「そんなこといきなりお願いしちゃったんですか?」
バレンシアはけらけらと笑いなら頷いた。
「そうよ。だってあたしも空を飛びたくなったんだもん。もっともあたしには魔力がほとんどないから、そんなこと無理だったんだけどね」
「……その気持ち、なんだか分かる気がします」
「でしょ? でもさ、自分に魔力がないことはすぐにわかったから、魔法使いになるのはさっさと諦めてね。今度は親父に一生懸命剣術を習ったんだ。魔法使いがだめならせめて一緒に冒険できるような存在になりたいってね。思えば、あの時かもしれないなぁ……あたしが本当に冒険者になりたいと思ったのは。今となっては宝物みたいな大切な思い出だよ」
「そんな素敵な思い出があって、夢が──目指すべきものがある。とってもうらやましいです」
エリスは青く広がる空を見上げながら呟いて──唐突に気づいてしまった。
エリスは自分に無いものを持っている二人がうらやましかったのだ。
語るべき夢を持ち、夢を叶えるために努力しているバレンシアが。
魔法使いとしての才能や魔力を持ち、一国一城の主として自立した生活を営んでいるティーナが。
なぜなら、それらはエリスが求めてやまないものだったから。
曲がりなりにも貴族の娘であるエリスの未来は、ほぼ決まっていた。
今はまだいい。高等学校に行くことは必須ではないので、無理して女学校に行き花嫁修業をする必要はない。
だが、自由が許されるのはそこまでだ。
十八歳を過ぎれば、きっと無理やりお見合い等させられるのだろう。そして、親が選んだ見たこともない貴族の次男や三男を婿養子として迎えるのだ。
仮に結婚しなかったとしても、ぼーっと日々を過ごせるわけではない。社会の一員──貴族の端くれとして、なにかをしなければならない。
予想される未来に、自分の意思をはさむ余地はほぼ無い。
そのことが、エリスにはどうしても耐えられなかった。
先日父親の意見に反発した理由がこれだったのだ。
だからエリスは常々自分の意思で、自分の力で人生を歩んでいきたいと強く思っていた。
だがそのためには、父親を説得するだけの理由が必要だった。それが、才能や力、あるいは夢だと思っていた。
しかしエリスには、自分の意思でやりたいことも、なりたいものも、何かの才能も無かった。
自分には何もない。
思い描く夢もない。
何か特別な才能もない。
歩んで行きたいと思う未来もない。
あるのは──他人の敷いたレールの上を歩いて行くだけの人生なんてまっぴらごめんだという、薄っぺらい自尊心だけ。
それが、エリスの抱えていた正体不明の焦りの原因だった。
そのことに今回、初めて気づいたのだ。
事実に気づいて、エリスは愕然とした。
なんと自分はちっぽけでつまらない人間なのだろうかと。
エリスは、ティーナから預かった「ラピュラスの魔鍵」を手で弄びながら、自分の悩みをバレンシアに伝えた。
自分の置かれている立場のこと。
自由のない未来に対する拒絶感。
でもなんの逆らう術も持たない自身への無力感。
バレンシアは一通り黙って話を聴いたあと、少し返答に悩みながら──言葉を探るようにして口を開いた。
「そうだね……正直あたしは貴族とかじゃないからエリスの苦悩はよくわからない。だけど、エリスの言っていることはちょっとだけ分かる気がするよ。実はあたしも家業を継ぐことを期待されててさ。いずれは良い旦那でも見つけて継いでほしいって言われたことがあってね。それに反発して家を飛び出そうと思ったことは一度や二度じゃないよ。実際、家を出て冒険者になることを何度も真剣に考えたしね」
エリスはバレンシアの告白に少し驚いていた。
面倒見がよくて優しいお姉さん肌で大きな悩みなど無いと思っていた彼女であっても──同じような悩みを抱えてるとは思いもしなかった。
「だけどさ。やりたいことをやるって言えば聞こえはいいけど、実際は世の中そんなに甘くないんだよねぇ。あたしらが一人でこの世の中を生きていくには、あまりにもいろいろなことがありすぎるんだよ。例えば冒険者なんて聞こえはいいけど、実際は体のいい便利屋さ。まともに食っていけてるのは、ほんの一部の才能のある──それこそ『勇者』レイダーみたいな英雄クラスの人たちだけ」
そう、バレンシアの言うとおり現実は厳しいのだ。
一人の女の子が、誰の力も借りず、好きなことをして生きていけるほど世の中は甘くない。
「それに──残されたご両親はどうするんだい?」
痛いところを突かれ、エリスは思わず顔を歪める。
自身の自由を考えたとき、必ず心に引っかかるのが両親の存在だった。
エリスの両親──ボルトンとシャンテは、魔法の力はまったく持たないものの、貴族の中ではそこそこの地位にあった。
聞くところによると、昔は現国王ジェラードの近衛兵まで勤めていたらしい。
父ボルトンはそのことを一切口にしなかったが、国王の近衛兵を勤めるほどの名家を、自分のわがままで潰してしまうことにはさすがに抵抗があった。
加えて、両親はエリスを溺愛していた。
不器用なりに精一杯の愛情を注いでくれる両親を裏切るようなマネを、エリスはできなかったのだ。
「結局そうなんですよね……私は自分の運命に逆らうことなんてできない。本当は全部わかっているんです。私が言う自由なんて、ただのワガママで世間知らずの戯れ言でしかないんだってことを」
いつもエリスは思っていた。
もし自分に、前に踏み出すに足る知識や技術の裏付けがあれば。
もし自分に、定められた運命に立ち向かうだけの才能や魔力のようや強さがあれば。
だが同時に理解もしていた。
自分には現状を変える力もなければ行動力もない。
自分は、口先だけのただの小娘だってことを。
「何言ってるんだよ。まったく」
突然エリスの後ろから声が聞こえてきた。
驚いて振り返ると、いつのまにか目を覚ましていたティーナが起き上ってこちらを見ていた。
「ティーナ……?」
「なに勝手に他人や運命のせいにして諦めてるのさ。限界がなんだよ。運命がなんだ。そんなものはくそくらえだ。現にキミはいま『ラピュラスの魔鍵』を持っているじゃないか」
「えっ?」
エリスは手でもてあそんでいた『鍵』に視線を落とした。
ラピュラスの魔鍵は、相変わらず鈍い輝きを放っていた。
「ちょっとティーナ。エリスの持ってる鍵にはなにか特別な魔力でもあるの?」
「そういう意味じゃないよ。そもそも『天使の器』は、基本的には天使を目覚めさせるための道具に過ぎない」
「それじゃあ……」
「エリス、キミはその鍵をどうやって手に入れようとしている? そのために何をしてきた? その鍵は──キミにとってどういう意味を持つんだい?」
ティーナはこれまで見たこともないような真剣な表情でエリスをじっと見つめた。
「そ、それは……」
「キミがどんな人生を歩むのかはわからない。どんな道に行きたいのかも知らない。だけど、目の前にある現実から逃げてるだけではなにも始まらないし変わらない。運命を変えるのは、持って生まれた才能や力なんかじゃない。最初の一歩を踏み出す勇気なんだ」
エリスの瞳を見つめながらティーナが放つ言葉は、エリスの心の奥にずんっと重く響いた。
「運命に逆らうことはできないって言ったけど、キミはその鍵を求めた。あのときキミはボクに働かせて欲しいって言ったよね? その瞬間、キミは今までの自分の殻を打ち破ったんじゃないのか? 自分の道を、自分の足で一歩踏み出したんじゃないのか?」
小高い丘に一陣の風が舞い、ティーナの黄金の髪を宙に踊らせる。
「キミはもう分かっているんだろう? 人はなにかのキッカケで大きく変わることができる。そのキッカケに気付くことができるかどうかが──大切なんじゃないか?」
ティーナの言葉に、エリスは深く頷いた。
そうだ、自分は『魔法屋』での生活でずいぶんと変わった。
今までの自分は、知らない人と話をすることすらまともにできなかった。
なのに、何十枚ものチラシを作って道行く人々に配ったではないか。
何よりも、ティーナとバレンシアという大切な存在を得ることができた。
確かにきっかけは、この『ラピュラスの魔鍵』との出会いだったかもしれない。
だけど、自分がこんなにも他人のために一生懸命になれたのも、新しい自分を知ることができたのも、大切な人たちに出会うことができたのも、いずれも『鍵』の力ではない。
他のなにものでもない、自分の足で小さな一歩を踏み出したからではないのか。
「『天使の器』というものは、人の運命を変える力があるのですか?」
エリスの問いに、ティーナは風に躍る金色の髪をかきあげながら首を横に振った。
「さっきも言ったとおり『天使の器』にそんな力はないよ。でもね、キッカケが何であれ、キミは一歩を踏み出した。そんなキッカケとなった鍵は、キミにとって大切な宝物になるんじゃないかな? だからその鍵は、他の人にとっては単なる『天使の器』かもしれないけど、キミにとってはただの『天使の器』じゃない。他の誰にも評価することができない──キミだけの価値があるんじゃないか? そういうものこそ、真の『天使の器』なのかもしれないね」
ティーナの言葉に、エリスは心の底から頷いた。
もはやこの鍵は、エリスにとってなくてはならない大切な宝物となっていたから。
それにしても、ティーナの言葉はとても重くて心に響くものだった。
一つ年上なだけだとは到底思えない。
いったいどんな人生を歩めばこのようなことが言えるようになるのだろうか。
エリスは改めてティーナの不思議な魅力に魅了されていた。
これまで二人のやりとりをニヤニヤしながら黙って聞いていたバレンシアが、いたずらっぽい笑みを浮かべながら口を挟んできた。
「おやぁ? いつもはクールで他人事には首を突っ込もうともしないポリシーのティーナが、今日はえらい熱の入れようね?」
「うっ……」
バレンシアの言葉に、急に顔を真っ赤にしてそっぽを向くティーナ。
「あれあれぇ? もしかして照れてるの? 柄にもなく熱くなっちゃって照れてるの?」
「う、うるさーい! さ、さっきのは失言だ、忘れてくれ!」
ティーナの照れる姿を見て、エリスは幸せな気分になった。
いつもクールであまり感情を表に出さないティーナが、自分のために熱く語ってくれたのだから。
「ありがとう、ティーナ。すこしだけ、心が軽くなった気がします」
「ボ、ボクは知らないよ! 勝手にしろよ」
お礼を言われてさらに照れてしまったティーナは、捨てゼリフを吐いて完全にふてくされてしまった。
そんなティーナには聞こえないように、エリスはそっとひとり言をつぶやいた。
「本当にありがとう、ティーナ。私は魔法屋で働いて良かった」




