22.ピクニック
「それじゃあ、行ってきます!」
エリスは大きく息を吸い込むと、母親のシャンテに大声で伝える。
いつもスカートのエリスにしては珍しくズボンを履き、頭には髪留めを付け、青いリボンでポニーテールにしている。
首からはアクセサリー代わりのラピュラスの魔鍵を下げ、実に動きやすそうな格好をしていた。
そう、今日は──エリスがとても楽しみにしていた、ティーナたちと3人で森にピクニックに行く日だったのだ。
◇
アホ貴族ことマイネールがやって来た日の翌日、事前にアポイントを取っていたイスパーン商会の会長フォア氏が魔法屋アンティークを訪れた。
フォア氏は老齢の域に近づきつつある御仁で、白髪混じりの灰色の髪を後ろになでつけ、整えられたヒゲを生やしたなかなか渋い雰囲気を持つ人物だった。
もっとも、彼の外見にだまされてはいけない。ただのセンスの良い初老の人物のように見えて、このイスパーンの街で最も大きな力を持つもののひとりなのだから。
最初はティーナたちも、フォア氏はダマダ宝具店と同じように吸収合併の話をもってきたのだと思っていた。
だがフォア氏が提案してきたのは、まったく違う内容のものだった。
「清涼水を販売する権利を売って欲しい?」
「うむ。厳密に言うと、君たちが行っていたキャンペーンの権利を買いたい、という意味だね。別に客に頼まれて売るぶんにはかまわないよ。だけどあのキャンペーンはもう行わないで欲しいんだ」
エリスは首をひねった。ダマダ宝具店やイスパーン商会が、既に同様の販売キャンペーンを勝手にしていることを知っていたからだ。
「つまり、あのキャンペーンをマネするけど黙ってろ。弱小個人店は大人しくしてろってことかな?」
「そうではないよ、むしろ逆だ。我々は君の店を高く評価してる。ついでに言うと、買収などの提案にも同意しないことも知っている」
フォア氏は説明する。
実は魔法屋アンティークが行ったキャンペーンを見て、いくつか商売のアイディアが閃いたそうなのだ。
例えば、販売用の清涼水を入れるツボに特殊な魔法処理を施して冷たく冷やしたり、搾りたてのレモンを入れて爽やかな味にしたりする等。
軽く聞いただけで、いずれもすごく魅力的なアイディアだとエリスには感じられた。
「そんなわけで、今度大々的にうちもキャンペーンをやろうと思ってるんだが、その前におたくの店に仁義を切っておこうと思ってね。今回こうやって挨拶に来たってわけさ」
「これまで勝手にキャンペーンをパクってやってたくせに?」
「あはは、確かにその通りだ。だがね、正直に言おう。うちもダマダ宝具店もそうだが、残念ながらこれまでのキャンペーンで思ったほどの効果──売上が得られなかったのだよ」
他の店のキャンペーンがうまくいかなかった理由は、魔法薬の味と効果に大きな違いがあったからだという。
なんでもティーナが作った清涼水のほうが、他の店のものよりはるかに美味しかったらしい。
「ぶっちゃけて言うとな、ワシも並んで飲ましてもらったのだよ。エリスくんだったかな、そこの君についでもらったんだがね」
「えええ!?」
「いやー、若い娘に注いでもらって飲む魔法薬ってのもオツなもんだな! ワシは一発で君たちのファンになったよ。あと十歳若ければ放っておかなかったんだがなぁ! ワハハハハ!」
驚くエリスに大笑いしながらウインクしてくるフォア氏。
「そんなわけでだな。本当は身内に君たちを引き込みたいのだが、それが無理ならせめて手を繋ぎたいと──そういう思っとるわけだよ」
今回、イスパーン商会から提示された金額は10万エルだ。
勝手に人のアイディアを真似することもできるこの世界で、これだけの金額を出してくるのは破格と言える。
だがティーナは簡単には首を縦に振らない。
「ふーん。それで、こんなはした金でボクたちに黙ってろと?」
「いやいや、それだけではない。イスパーン商会は、君たちに仕事を依頼したいと思ってな。むしろ今回の本題はこっちだ」
フォア氏が依頼してきた仕事の内容、それは『清涼水の作成』、もしくはその原料となる『アクエリス草の採取』であった。
「ほう……つまりイスパーン商会はうちの店から仕入れをしたいと、そういうこと?」
「そのとおりだ。さっきも言ったとおり、身内が無理ならせめて味方に、ということだよ。できれば今回だけじゃなく、これからも定期的に仕入れをお願いしたいと思っているが──どうだろうか?」
さらにフォア氏は、ティーナに対してアクエリス草の買取価格も提示した。比較的容易に採取可能な草の値段にしては破格の条件だった。
「ほら、どうせ飲むなら可愛い子が採取したり作った魔法薬を飲みたいと思うのが人情というものではないかね?」
屈託なく笑うフォア氏に、エリスは悪意のようなものは感じ取ることはできなかった。
「ねぇ……これってすごく良い条件じゃない?」
バレンシアが二人にこっそりささやく。
ティーナはすぐに返事をせず、エリスのほうに向き直った。
「エリス、今回のキャンペーンを考えて実行したのは君だ。だから、この話を受けるかどうかは君に決めて欲しい」
「……ええっ? 私ですかっ!?」
突如自分に振られたことに動揺を隠せず、オロオロしてしまうエリス。
「そ、そんな大事なことを私が決めて良いんですか?」
「最初の約束だっただろう? 自分の力で稼いだと思える分を賃金にする、と。言い出したのはキミじゃないか」
いや、たしかにそんな話はした記憶はあるものの、まさかこんな大事を決めることになるとは思っていなかった。
エリスは責任の重大さに思わず尻込みしてしまう。
だがティーナは眼光鋭くエリスを見つめ、彼女が逃げることを許そうとはしなかった。
(うぅ、困った……)
エリスは悩みに悩んだ末、ティーナにこう伝えた。
「その、ティーナが良いのであれば、私は受けても良いと思います。フォアさんも信用できると思いますし……」
エリスの返事を受けて、ティーナは満足気にうなずくと、フォア氏に向き合って答えた。
「わかったよ。薬を作るほうは手が足りないからお断りするけど、仕入れの件はこっちの都合に合わせてもらうって条件で良けれは受けるよ」
「そうか、ありがとう!」
フォア氏は嬉しそうに顔をほころばせた。硬い握手を交わすフォア氏とティーナ。
続けてフォア氏はエリスにも手を差し伸べてきた。
「援護してくれてありがとう、かわいいお嬢さん」
耳元でそうささやかれ、エリスは少し照れた。
このような経緯により、魔法屋アンティークはアクエリス草を採取する仕事をイスパーン商会から請け負った。
ちなみに余談となるが、今回の商談でエリスのボーナスは五万エルになり、これまでのアルバイト代や前払い金と合わせて借金のおよそ一割を返却したことになる。
さて、せっかく請け負った仕事であるが、問題はそのアクエリス草がどこに生えているかということになる。
「大丈夫、この草は近くの森に群生してるよ。今度ピクニックがてら行こう」
このような経緯で三人は、『森で薬草狩りを行う』という名目のピクニックに向かうことになったのだった。
◇
エリスは元気いっぱいに家を飛び出し、魔法屋アンティークを目指して通いなれたいつもの道を軽やかなステップで駆けていく。
「おはようございまーすっ!」
「おはようエリス」
「やぁ、いい天気だね!」
いつもは寝坊して起きてこないティーナが、珍しく起きて身支度を整えていた。その横には既に到着したバレンシアも待機している。
二人の出立ちを見て、エリスは驚いた。
ティーナは普段のやぼったい服を脱ぎ捨て、長袖長ズボンにブーツという動きやすい格好をしていた。
腰にはウエストポーチ、背中に小さなリュックを背負い、色々な魔法道具や触媒を格納している。
バレンシアに至っては革鎧に剣まで携えている。まさに準備万端、本格的な冒険者のようだ。
「あの……ふたりとも、なかなかの重装備ですね?」
「ウンウン。行く場所が場所だからね。念には念を入れて、と思ってさ」
「えーっと。そういえば、今日はどこに行くんですか?」
「町外れの『妖魔の森』だよ」
「ええええっ!?」
ティーナの口から出た『妖魔の森』という単語に、エリスは思わず驚きの声を上げてしまう。
「よ、『妖魔の森』って、正体不明の魔獣が出てきて、生きては帰れないって言われている、あの……?」
妖魔の森といえば、イスパーンの街の近郊にありながらエリスが小さい頃から絶対に近寄っていけないと教わってきた森だ。
迷い込んで二度と帰ってこなかった子供の話や、森をさまよう亡霊の話など、恐怖のエピソードは一つや二つではない。
「あははは、そんなのは子供が遊びに行かないようにするための方便だよ。魔獣が出てくる奥のほうまで行かなければ平気さ」
「うえぇ、やっぱり魔獣が出るんですか!?」
バレンシアがエリスを安心させようと説明したものの、逆効果だったようだ。
心底怯えているエリスを見て、ティーナがふふっと笑いながらバレンシアの意見に同意を示す。
「ボクもバレンシアも昔から何度も行ってるところだから平気だよ。もし仮になにか出たとしても、この筋肉女が守ってくれるしさ。そのための護衛だし」
「はぁ? だれが筋肉女ですって!?」
「キミ以外のほかに誰がいるって言うのさ。この世に右手一本で大剣を振り回して大の男を叩きのめせる女なんてそうそういないって」
「本当に……大丈夫なのですか?」
「まぁ、念には念を入れていろいろと準備はしてるさ」
それでも不安を隠せない様子のエリスに、ティーナがウエストポーチをポンっと叩く。
「念のため聞きますが……何が入ってるんですか?」
「んー、火打石)とか?」
「そんなもので魔獣を撃退できるんですか?」
「ふふふ、それは魔獣に出会ってみてのお楽しみ」
自信満々に答えるティーナに、エリスの不安は強くなる一方だった。
こうして三人は、近くにある「妖魔の森」へと向かっていった。
片手にお弁当箱を持って。
やはりピクニック気分が抜けていない三人であった。
◆
魔法屋アンティークから意気揚々と出発する三人の姿を、建物の影からこっそりと見張る存在があった。
「なるほど、『妖魔の森』ですか。これはマイネール様にお伝えしなければ……」
怪しい人物は独り言を呟くと、サッと身をひるがえして街の中へと消えていったのだった。




