1.エリス、魔法屋に迷い込む
ブリガディア王国の王都イスパーンは、街全体がやっと来た春に浮足立っていた。
人々の活気に満ち溢れたイスパーンの街にある商店街《 輝き地区 》にあるメイン通り『輝き通り』を、一人の少女が──場違いなまでにどんよりとした表情を浮かべたまま、とぼとぼと歩いていた。
肩まである紅茶色の髪に、少し垂れ気味の眉毛。
まんまるな瞳とわずかに赤みを帯びた頬が印象的な、愛嬌のあるかわいらしい顔立ち。
少女の名は──エリス・パルメキア・インディジュナス。
インディジュナス男爵家の一人娘であるエリスは、なぜ浮かない顔をしているのか。その理由は──。
◇◇
はーーーっ。
せっかく久しぶりに外出してウインドーショッピングしてるのに、ぜんっぜん気持ちが晴れないよ……。
エリスは《 輝き地区 》をとぼとぼと歩きながら、心の中で大きなため息をひとつ吐いた。
彼女がひどく落ち込んでいる原因は──ついさきほど父親とやってしまった口げんかにあった。
「お父さんには分からないんだよっ!」
「こら、待ちなさいエリスっ!」
「私の気持ちもわからないくせに勝手なこと言って!」
「なっ……」
「私だって、好きでこんな身体になってるわけじゃないっ!」
「っ!?」
感情の赴くままにぶつけてしまった言葉。
言葉を失った父親の、ひどく傷ついた表情。
(私、ひどいこと言っちゃったなぁ……)
飛び出してしまったときに言い放った一言が、彼女の心に暗い気持ちを湧き上がらせる。だがエリスにはエリスの言い分があった。
(だってさ、「おまえもそろそろ将来のことを考えてみたらどうだ?」なんて言うんだよ!? ほんっと頭に来たんだから!)
あぁ、お父さんは私のことを何にも分かってくれてないんだな。そう感じたエリスは、感情の赴くままに言葉をぶつけてしまった。
しかしショックを受けた父親の様子にいたたまれない気持ちになり、そのまま家を飛び出してしまったのだ。
「……私だって分かってるよ。自分が普通じゃないことくらい」
エリスはずっと病弱だった。
あまりによく高熱を出すので、小さい頃はほとんど寝たきりなくらいであった。
こんなにも病弱な自分だから、たぶんまともな結婚なんて期待できないだろう。それどころか手に職を持つことさえも厳しいかもしれない。
だとしたら──。
私はいったい、なんのために生まれてきたのだろう。
私はいったい、これからどうすればいいのだろう。
そもそも私は、なにがしたいのだろう。
なにもわからないまま、ただ……漠然とした不安をいつも抱えていた。
だから父親から、いや抗えない現実から逃げるために──家から飛び出したのだった。
ところが飛び出した先の〈輝き地区〉の人々は、今を一生懸命に生きていた。
喜怒哀楽を抱えながらも、それでも日々の営みをしていたのだ。
「……私の悩みなんて、貴族という恵まれた立場に居る者の贅沢な悩みなのかもしれないなぁ」
果たして自分は、家を出て自分一人の力で生きていくことができるのか。
今のエリスにはその能力も、準備も、覚悟も何もなかった。
「……帰って、お父さんに謝ろう」
居心地が悪くなったエリスは、肩にかかったストールで顔を隠すと、人目を避けるように人通りの多いメイン通りから小さな裏路地へと入り込んでいった。
◆
(近道そうだから思わずこの路地に入っちゃったけど……大丈夫かな?)
よく言えば慎重、悪く言えば小心者のエリス。普段の彼女であれば、見ず知らずの道を選ぶなどというリスクのある行動は決してしなかっただろう。
ただ今日はなぜだかいつもとは違うことをしたい気持ちだった。
(引き返したほうがいいかな? でも、そうしたらなんか負けたみたいでイヤだなぁ……よし、思い切って行ってみよう!)
だが〈輝き地区〉の裏路地は複雑に入り組んでおり、しばらく進んだところでエリスは自分が迷子になっていることを自覚する。
(やばいっ、どうしよう……)
それまでの高揚していた気持ちが急激に冷めていく。自分の行動を後悔しはじめたが、時すでに遅し。
誰かに道を尋ねることも考えたが、もともと引っ込み思案で人見知りするエリスにとってはなかなか難しいことであった。なにより、通りすがる人々のガラが悪すぎる。
どうやらエリスは、あまり入ってはいけない路地に紛れ込んでしまったようだ。春だというのに、背筋を冷たい汗が流れていく。
元来た道に戻ろうか、それともこのまままっすぐ進んでいこうか。
悩みながらも歩を進めるエリスの視界に、突然──ある建物が飛び込んできた。
「なに……これ……?」
それは──建物と呼ぶには他の建物に失礼とも思えるほど、いびつで圧倒的な存在感を示していた。
まずはその形。
建造物としての常識を覆す円柱形の本体。その上には、無造作に置いているようにしか見えない円錐型の屋根。
(……うん、キノコだ)
建物の壁は白色に塗られており、なんとなく清潔感を醸し出そうとしている努力は認められたが、その屋根は赤黒く、しかも一部は苔などに覆われていた。
(うん、だれが見ても毒キノコにしか見えないよ)
入口らしき木製の扉はかわいらしく花で飾られており、建物の雰囲気とのアンバランスさが余計に建物の禍々しさを増幅させていた。
この絶望的なまでのセンスのなさはどういうことだろうか。
だが、なによりもエリスを一番驚かせたのは、目の前にある毒キノコの建物が「店」であるという事実であった。
建物の扉の上には、大きな商売用の看板が立てかけられていた。看板には、かわいらしい文字でこう書かれていた。
【 魔法屋 アンティーク 】
「……ここ、『魔法屋』なんだぁ」
エリスはポツリと独り言を呟くと、取り憑かれたようにその場に立ちつくした。
◇
魔法屋という名を見て、エリスは自分が知る限りの「魔法」についての知識を思い起こす。
詳しい理論は解明されていないが、「魔法」とは物質の核を構築している「原子」や「電子」に対して、人間に秘められた「魔力」という力を働きかけることによって、様々な変化をもたらすことを指す。
例えば、水に力を働きかけることによってお湯に変えたり……といったものだ。
この世界において、すべての人間が「魔力」を持つと言われている。
しかしそのほとんどは存在することさえ分からない程度の微弱な魔力しか持たず、比較的高い魔力を持つものでもせいぜいマッチ代わりに小さな火をおこす魔法が使える程度であった。
魔法はあたりまえに存在していたものの、多くの人々にとっては気軽に使える身近なものとは言えなかった。ただし、一部の例外を除いて。
一部の例外──すなわち実用に耐えるほどの高い魔力を持つ存在を、人々は「魔法使い」と呼んだ。
魔法使いと呼ばれるレベルになると、ある程度体系化された「魔法」を使うことができる。
基本的なものでは、薬草を配合し魔力を注ぐことで完成する「魔法薬」を精製したり、火種を元に巨大な火球を発生させたり、魔力によって動く時計などの「魔道具」を創ったり……といったものだ。
魔法使いのほとんどが、そういった「魔法」を使う仕事を生業としていた。
魔法使いが経営する、「魔法」を利用した仕事や自作した「魔道具」の販売を行う店。
人々はそれを「魔法屋」と呼んだ。
◇
(魔法屋 アンティーク、かぁ……)
エリスは、小さいころに魔力が皆無であることをすでに調べられている。
魔力を持たない彼女にとって魔法はもっとも縁遠い存在であった。
もちろん「魔道具」であればとても身近な存在だ。男爵家であるインディジュナス家にもたくさんの魔道具が当然のようにありふれている。
たとえば夜になると室内を照らす魔光機や、ボタンを押すと火がつく調理用の魔道具。ほかには生活に密着したものとして「冷蔵庫」や「製氷機」、「暖房器具」などなど。
いずれも近年普及し始め、庶民の生活の必需品となってきているものばかりだ。
また、病弱だったエリスが飲んでいた薬の多くは、魔法使いが作った「魔法薬」と呼ばれる薬剤だった。
これまでのエリスであれば、「魔道具」や「魔法薬」を創る人たちに興味を持つことはなかった。当然、魔法など見たこともない。
しかし、今自分の目の前には奇妙な姿形をした魔法屋が存在している。
当然、店主は「魔法使い」なのであろう。店主が魔法使いでない限り、魔法屋は名乗れないのだから。
(魔法使い……そう、魔法使い!)
エリスは「魔法使い」という言葉の響きに、自分のテンションが自然と上がっていくのを感じていた。
世間知らずなエリスにとって、魔法使いは異質な存在だった。
彼女がイメージする魔法使いといえば、ローブに身を包んだ長いひげのおじいさんが火球をさく裂させて魔獣を退治したり、鷲鼻の老婆が大きなツボの中の液体をかき混ぜて変な魔法薬を作る……といった人物像だ。
まさに物語に登場するような存在が、この怪しい家の中にいるかもしれない。
魔道具や魔法薬を作るために、様々な魔法が繰り広げられているのかもしれない。
そう思うと、いてもたってもいられなかった。
(……見てみたい。どんな商品が置かれているのか見てみたい!ついでに店主の魔法使いにも会ってみたい!)
エリスはもう、強い好奇心を抑えることができなくなっていた。
怪しい毒キノコの家。魔法屋。そして魔法使い。
魅惑的な三つの要素のコラボレーションに、エリスは迷子になっていたことさえも忘れて──気が付いたときには、魔法屋アンティークの扉を開けていた。