14.作戦開始
翌朝。エリスたち三人は魔法屋アンティークの前に並んで立っていた。
動きやすい服装にエプロンをつけ、青いリボンのポニーテールに変えたエリスは気合たっぷりだ。
愚者の夢亭で着ているものと同じ制服に着替えたバレンシア、こちらも臨戦態勢だ。
一方で表に立つことを頑なに拒否したティーナは、フード付きコートを目深に羽織った上に、口の部分だけが露出した無機質な仮面をかぶるという奇妙ないでたちをしている。ぱっと見、不審人物にしか見えない。
三人の目の前には大きなテーブルが設置されており、上には薄水色の液体──「清涼水」がたっぷりと満たされた大きな壷が三つほど乗っていた。
エリスが手作りの宣伝のぼりをテーブルの横にかかげる。昨晩彼女が夜遅くまでかかって作ったものだ。
のぼりには可愛らしい文字でこう書かれていた。
【期間限定! 神秘の魔法薬「清涼水」を、お試し価格500エルにて販売中! このチャンスに是非お試しください!】
これこそが、前日三人で話し合って決めた作戦──名付けて『魔法薬で一般客を呼び込もう作戦』であった。
結局あのあとエリスとバレンシアの二人がかりの説得を受けたティーナは、最初は面倒くさがっていたものの──最後にはしぶしぶエリスのアイディアに同意した。
具体的な販売方法の詳細を詰めた結果、今回は「期間限定の清涼水特別販売キャンペーン」を実施することになったのだ。
今回の三人の役割分担はこうだ。
ティーナは当然、魔法薬作成役だ。
実は魔法式をちゃんと事前に紙に書いておけば『魔法薬作成』の魔法の成功率はもっと上がるうえに、違うものを作ってしまうという事態もなくなるのだという。
その話を聞いた際、エリスは内心(だったら最初からそうしてほしかったんですけどっ!)と恨みがましい目で睨みつけたものの、ティーナは悪びれもせず「魔法式を手書きでちゃんと書くのが面倒くさかったんだよ」とのたまい、ずいぶんとエリスのひんしゅくを買ったものだ。
次に、バレンシアの担当は販売員だ。
彼女は本職だけあって、接客やお金の管理はお手のものだ。
最初はエリスが担当する案もあったのだが、グラマーでセクシーなバレンシアから買う方がお客様も喜ぶだろうとエリス本人が強く主張したのだ。
そして言い出しっぺのエリスは、集客を担当することになった。
今回の役割分担が決まったあと、エリスはどうやって集客を行うかを一生懸命考えた。
病弱で引きこもりだった彼女にできることはそう多くない。まずは宣伝用ののぼりとチラシを作ってみることにした。
だが、これがなかなかに大変な作業であった。
結局、夜遅くまでかかってなんとか三十枚ほどのチラシを書くのが精一杯だった。
あとは、当日の呼び込みだ。
これはもう、気合でやってみるしかない。
(女は気合と根性、当たって砕けろだ!)
今日のエリスはものすごく気合が入っていた。
今回販売する〈清涼水〉の価格は500エルに設定した。これは愚者の夢亭のビールと同じ価格だ。
ビールなどを飲む感覚で魔法薬を体験してもらえれば、という思惑からだった。
「しかし、うまくいくかな?」
ティーナが眠そうな目をこすりながら呟く。彼女も昨夜遅くまで魔法薬を精製し続け寝不足だったのだ。
「まぁやってみなきゃわかんないでしょ? あたしも手伝うからさ」
バレンシアは気合とともに胸をどんっと叩いた。
なにせ彼女もこの道のプロだ。やるからには全力を注ぐのが彼女のポリシーであったので、売る気満々である。
「それじゃあ私、チラシを配ってきますね!」
エリスがチラシを片手に握りしめると、元気よく駆け出していった。
残された二人は、彼女の姿を見えなくなるまで見送った。
「……ほんといい子だよね、エリスは」
エリスの姿を見送りながら、バレンシアがこれ見よがしにつぶやく。
「あんたの店が繁盛するようにって、ほんとに一生懸命やってるよね。あのチラシだって三十枚はあったよ? あれを手書きで書くのに、いったい何時間かかったことやら」
「うるさいなぁ、そんなことわかってるよ」
ティーナは面倒臭そうにバレンシアから顔を逸らす。だが氷より冷たいと比喩される彼女の瞳は、仮面に隠されていても僅かに和らいでいるように見えた。
「ティーナ、あんたってほんと素直じゃないね。今日で三日目なんだけど、もう許可してあげてもいいんじゃない?」
ティーナはなにも答えずに、無言で──居心地悪そうに右手に持つかき混ぜ棒で軽く壷の中身を混ぜただけであった。
一方、たった一人でチラシ配りを始めることにしたエリス。
初めての経験だったので、なにをすれば良いかわからない。
大通りに立ち尽くしていても仕方がないので、勇気を出してとりあえず前を通る人にチラシを渡してみることにした。
「あ、あの……これどうぞ」
しかし、通行人は無視して通り過ぎてしまう。
(うぅ、いきなり心が折れそうだ)
エリスは心の中で早速弱音を吐いた。
実はエリス、今回配布するチラシに少しだけ細工をしていた。
チラシの下には、目立つようにこう書かれていた。
【このチラシを持ってきた人は特別に100エル引きします!】
つまり、このチラシを持ってくるお客さんがいれば、その人はエリスのチラシ効果と言えるわけだ。
エリスは密かに心の中で、このチラシを持ってくる客の目標を十人に設定していた。
しかし、この調子だとまずチラシを受け取ってもらうこと自体が大変そうである。
(でも……やるしかないっ!)
エリスは気を取り直すと、恥ずかしい気持ちを振り切って、なんとかチラシ配布を再開した。
──結局その日、魔法薬を買ってくれたのはたったの四人だけだった。
それでもエリスは、売れたという事実が本当に嬉しかった。
最初の客が味見をしているときなど、三人そろって魔法薬を飲む様子をじっと見つめていたほどである。
飲みにくそうにしながらも、客は一気に「清涼水」を飲み干す。
「……おぉ、う、うまいっ!」
客が思わずそう口にした瞬間、エリスとバレンシアは大歓声を上げて手を取り合い、ティーナは密かに成功を喜んだのだった。
だがこの日、エリスが渡すことができたチラシの数はわずか十二枚であった。
しかもこの日の客の中に、エリスのチラシを持ってきた客はひとりもいなかった。
「……まぁ、今日初めたばっかりだからね。こんなもんでしょ?」
バレンシアがエリスを軽い口調で慰める。
万年閑古鳥の魔法屋アンティークにしては、たった四人でも快挙といってもよい結果だろう。
だがエリスは、バレンシアの言葉に素直にうなずくことができなかった。
「あたしもこのあとお店でうまく宣伝しとくからさ!」
バレンシアに優しく肩を叩かれながら、エリスは改めて強い決意を抱く。
「私、もっとお客さんを集める方法を考えます。もっともっとがんばって──明日は今日よりも多くの方に来てもらえるようにしますね!」
エリスは瞳に闘志の炎を灯すと、心配そうな表情を浮かべる二人に向かってそう宣言したのだった。




