一方上では
海に海賊、山に山賊がいるように、塔にも塔族がいる。その中でも特に駆け出しの冒険者が注意すべきは、唯一塔8階にアジトを構えるキニトス団という塔族組織である。10階以上を登るベテラン冒険者をして、
「出会ったら大人しく荷物置いて逃げろ」
と言わしめるほどの恐ろしさの秘密は、首領のドン・キニトスが持つ『振動』の呪いにある。ただ、その呪いはキニトスの肉体を細かく振動させるという微力な能力であり、さらに彼自身は呪いの代償によって全身の肉体が著しく肥大化していて、指一本動かすこともできない。ならどうしてこの呪いが脅威となるのか。それは、
「逃亡者、3番の偽陽の広場に西から入ったぞ!」
ちょうどキニトス団が獲物を追いかけているようなので実例をして説明しよう。
この叫び声は団員の耳に装着された骨を加工したアクセサリーを震わせる。この骨はキニトスの身体から切り出した骨である。キニトスの能力によって、アクセサリーが声の振動を受け取ったと同時に他の骨が振動する。そしてそれらの骨々も当然加工され別の団員の耳飾りになっている。すると何が起こるのか。
叫んだ団員とは別の場所にいる、また別の団員がつけているアクセサリーから音が聞こえてくるのである。
『逃亡者、3番の偽陽の広場に西から入ったぞ!』
と。
つまるところ、遠距離でのタイムラグほぼ無しでの会話による意思疎通。それがキニトス団が恐れられる秘密である。
さて、場所は6階、時はアルスアがクラヤミネズミにアッパーをかますよりも少し前である。キニトス団が3番と設定している偽陽の広場は、ほかの広場よりも広く、中に入って捕まえるよりも外で捕まえた方が成功率が高い。なので他の団員は、
「了解!出口を塞ぐ!」
とすぐに広場の北側の出入り口に向かった。無論逃亡者もどうせ出口がもう封鎖されている可能性があることも分かっている。逃亡者は男である。銀髪で伸ばした前髪は左目を隠している。そして一番目を引くのはその移動方法。
直立した姿勢のまま、飛んでいるのである。
そして彼はその姿勢のまま広場を突っ切って飛ぶ。どんどん加速する。その広場は広大な面積を畑に利用されているが、作物の葉っぱが起きた風になびいた。出口が見えてくると、ベルトにつけた袋の口を開ける。中から小指ほどの大きさの鉄塊がまるで操られているかのように飛び出して、衛星のように逃亡者の周りを飛び始めた。
1周。また1周するたびにどんどん速度が上がっていく。ある程度の速さになると、逃亡者は出口の方を指差した。長袖の先から、月桂樹の葉が連なっているような呪いの模様が見えた。
「飛べ」
そう命令すると、衛星たちはそれに従って狼のように鋭く出口に向かって飛んでいった。質量の大きな物体であるため、壁にぶつかって大きな音と砂煙を立てた。そこを悠々と逃亡者は抜けていく。
あと少しのところで出口にたどり着くはずで、そのために命拾いした団員はその場で腰が崩れてしまい動けなくなっていた。
「お……おっかねぇ」
この声もアクセサリーに拾われている。
その後も逃亡者は高速飛行と遠距離の投げ道具で追跡を躱し続けてきたが、統制の取れすぎた人海戦術という圧倒的な戦略により、遂には前にも後ろにも塔族、塔族。退路を断たれてしまった。団員の一人がアクセサリーになにか話しかけている。おそらく増員を呼んでいるのだろう。個々人は大したことはないが、流石に数が増えると危険だ。そう思い鉄塊が入った袋に手を伸ばして気づく。もう4分の1も残っていない。
苦虫を噛み潰したような顔をして追手たちとの距離を測る。4、5メートルほどしか離れていない。
「少々危険だが、仕方がない」
誰にも聞こえないように呟くと、彼が背負っていた皮のバッグから何が飛び出した。
出てきたのは鉄球であった。しかしただの鉄球ではない。大小2つの鉄球が1メートルほどの長さの鉄の鎖によって繋がれている。この武器が彼の周囲2メートルを自由自在に飛び回り敵を牽制する。膠着した状況が数秒間続いたが、それは急な事象によって崩壊する。
その事象はまずは大きな揺れによって確認された。宙に浮いている逃亡者も目視で気づくほどの大きな揺れ。下からは何か大きく硬いものが爽快に砕ける音がなる。どんどん大きくなっていく。そして、その音が最大になったそのとき。
地面に亀裂が走った。
「ックソ! 地面が崩れる! 何かが下から来る!」
逃亡者は急いでバッグから煙幕弾を取り出し安置にいる塔族の足元に向かって投げつける。
「な、ケムリか!?」
突然に視界を奪われた族たちはどこから飛んでくるかわからない鉄球にノーガードで打ちのめされ吹き飛ばされる。
そうやって空いたスペースに逃亡者が滑り込むと同時に、先居た地面が吹き飛ばされ地面を破壊したそれが天井に突き刺さる。振り返って逃亡者は驚いた。
それはクラヤミネズミの死骸であった。
ほぼ同時刻、1階ではベルとクーロン、二人が唖然と上を見上げていた。二人のもとにアルスアがまるで曲がり角を右に行ったら行き止まりだったときのような平常のテンションで戻ってきていた。
「え……アルスアさん、スゴい……」
ベルは尊敬混じりの眼差しでアルスアを見上げる。
アルスアの右手にはもう呪いの模様はない。
「天井を4枚も抜くほどのパンチ、そして一瞬手に現れた呪い、そして顔の未知の呪い。考えられる可能性はすなわち……フフ……」
「クーロンさん! 血が! 鼻血出てますよ?!」
クーロンが慌てて血を拭いたとき、地面がまた大きく揺れた。
「変化期! こんなにすぐ始まるんですか?!」
「逃げるぞ! アルスア君! 頼む!」
アルスアの背中にベルが乗り、クーロンは右脇に挟まれた。
「さあ! 地図殺しを抜けましょう!」
「ベル君待って!」
「え?! どうしたんですかクーロンさん」
クーロンはアルスアが開けた大穴を見上げた。最上に当たる6階では戦闘が起こっているのか煙が漂って様子が分からなかった。
「2階に跳ぼう。僕の予想が正しければアルスア君ならできるはずだ」
「え、2階? ……アルスアさん、いけますか?」
言われたアルスアはゆっくりとしゃがみこんだ。ズボンと革靴の隙間に覗くくるぶしあたりに新しくタトゥーが出た。
「やはり、アルスア君の能力は……」
それを確認したクーロンの独り言を掻き消すようにアルスアは地面を蹴り飛び上がった。跳躍有り余って2階の高さを楽々越えていった。
「え、え、えええええ!?!?」
ベルが驚愕の声を上げる少しだけ前、6階。煙の中で逃亡者は1つの決断をする。
下に降りる。下にはぶっ飛んだ破壊力を持つ怪物が待っている可能性があるが、ここで粘ってジリ貧になって捕まるよりマシだ。
煙の中、逃亡者は直立姿勢を保ったまま煙で蔓延した穴を降りていく。
だから気づかなかったのだろう。顔が一番最後に出るから、降りゆく彼の軌道と驚くべき跳躍を見せたアルスア一行の軌跡が重なることに。
「うえええええ!?!?」
「うわああああ!!!」
「なッッ?!」
衝突することに気づいた3人の悲鳴もきっちりと重なった。
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