酒場、日常の一幕にて
唯一塔がいつ頃できたのかはどの文献にも残っていない。あるとすれば、神が創り給うたといった科学的根拠のない眉唾物の神話ばかりである。
人々は唯一塔に浪漫を感じ、我こそが真実を暴く勇者にならんと数々の人間が乗り込み、閉鎖世界で独自の進化を遂げたモンスターたち、まるで照明のように輝く不思議な鉱石ピカリライト、塔内部の文明の存在を示唆する塔文字、探索者に洗礼のように襲いかかり、祝福と呪詛を与える呪い。これら以外に多くの発見が地上世界に持ち帰られた。
そして、それらが有用性を示すものならば、その発見そのものを欲しがろうとする者も現れるわけで、あれこれをどれだけ取ってこい、というような依頼をする者と、それを承る者も出てきた。そしてその依頼をこなすために、また探索者の傷を癒やすためという理由で、唯一塔の入り口は、幾度の改修を得て巨大な酒場と化していた。
「あの、少し恥ずかしいし、多分それなりに重いと思うので、もう降ろしてもらって大丈夫ですよ……聞いてます?」
その店内を、ベルはアルスアに背負われながら進んでいた。呪いのせいで全身にウロコが生えたり、肉体が岩石に変質している者も居るため、ベルとアルスアのことを格別気にかける者もいない。
「でも、な〜んでこんな目と鼻の先に建てたんでしょうかね〜。モンスターとかに荒らされる危険もあるでしょうに」
酒場の壁には大きなコルクボードが掛けてあり、そこにたくさんの依頼が貼り付けられている。ベルがアルスアの背中からそれらを見て、
お母さん捜索の依頼とかすればよかったかも。
でも一緒にいたのはボクが5歳くらいまでだから顔とかよく覚えてないもんなあ。名前に関してもホントにスズって言い切れるのか心配になってきたし。
それにそもそも報酬とか用意できそうにもないしなあ……。
などとぼんやりと考えていると酒場の出口、即ち塔の中の迷宮の入り口から野太い声が響いた。
「怪我人だ!変な呪い持ってるやつは手伝ってくれ!」
「え?どういうこと?」
奇妙すぎる文章が頭を刺激し、ベルの口から自然と疑問が吐いて出た。さらにベルの頭の中の疑問符を加速させるように、周囲の人間はそれを変なことだと思わず、
「またあいつか、ハッ」
と笑う者もいたり、実際にウロコ人間は怪我人がいるであろう人集りに入っていった。
「アルスアさん、少し近づけますか?」
アルスアとベルは人の頭と頭の隙間から人集りドームの中心を覗き込んだ。
奇妙な治療光景だった。辛うじて判別できるほど歪んだ眼鏡を顔にちょこんと乗せた、全身切り傷だらけ、ドクドクと呪いを持つ者特有の黒く淀んだ血が流れ出る重症患者が、ウロコ人間の鱗だらけの腕を撫でてハァハァ言っているのである。
誤解が生じないように言うと、患者もウロコ人間も男である。
更に説明すると、その怪我人の吐息も、大怪我を負ったからであると考えることが可能である。多分。
ただ、その光景を見たベルにとって、それは変態が死ぬ寸前に自分の欲望を果たしているさまにしか見えなかった。
「え、ええ……?」
ベルが変態(ベルの主観だが)に困惑していたその時である。
目が、合ってしまった。
こちらに気づいた変態(ベル主観)はユラユラと腕を伸ばし、ベルに向かって指を指した。その場にいた全員がこちらを見る。そして、最期だからと気を利かしたのか、人々の移動によって変態(主観)とベルを繋ぐ一本の道とも言える空間が出来上がった。
「〜〜!!! おろして!降ろしてください!」
先の自分を襲った変態(客観的視点)がフラッシュバックしたベルはパニックに陥り、アルスアの肩をバンバン叩きながら降ろすように指示する。そうしてアルスアの背中から飛び出したベルはそのまま踵を返して……
「なんっっっっって素晴らしい『呪い』なんだっっっっっ!!!」
「……え?」
ベルの足が止まり、振り返ってみると、そこには自分を付け狙う変態ではなく、恍惚とした表情でアルスアの顔を撫でてハァハァ言う丸眼鏡の変態がいた。
「え?え?」
そして更に困惑することに、
「初めてだ!この呪いは!!見たことない!!!どんな効果だどんな代償だ……ん?前髪で隠れていたが額の部分にも呪いが……うわぁー!!!『視点』の呪い!!!まさか生きてるうちに見られるとは……な、涙が出てくるよ……」
と勝手に叫んで勝手に感極まってる変態の傷は完全に治っているのである。それを見て、野次は、
「よかったじゃん」
「兄ちゃんナイス!」
なんて言いながら散り散りになっていく。突然外国の大都市に連れてこられたときのような混沌の情報に混乱しているベルは、どうしたらいいかあちらこちらを見ていたが、不意にあの丸眼鏡に見つめられていることに気付いた。そしてなぜかソイツはキレイなブリッジをしてこちらを見ていた。
え?なんでブリッジ……?でなんでボクの方を見てるの……?
ベルの頭の処理能力が限界を迎えかけたとき、男の口が開いた。
「貴女はこちらの彼の仲間なのかね?お嬢さ……」
「あ、ボク男です。」
ギリギリ使える脳みそは、13年間、ベルがされ続けてきた誤解に対しとても敏感であった。
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