二元
「流石の彼女たちも、次元と次元の隙間は管轄外だったみたいね。……さて、もしもし、もしもし、聞こえるかしら。ベル」
ベルは女の膝を枕に眠っていたようだった。まぶたを上げると、白のレースで申し訳程度に隠された大きな胸が女の顔も、周りの様子も見えなくしている。
ベルは寝ぼけ半分、もぞもぞと起き上がり、女は太ももを通じてそれを察したようだった。
「あら、ベル、起きた?」
その女のつけていた目と口が黒い笑顔の仮面と、その後ろにひろがる空間にベルは気圧された。
そこは何もないという形容が最も適している場所だった。硬い地面も、高低を掴めない深くて浅い空も夜空のような藍色をしていた。
そしてここにはベルと、先程ベルを膝枕していた女しかいなかった。右を見ても左を見ても、上を見上げても下を見下げても、藍色と藍色が交わるため存在すらあやうい地平線に目を凝らしても他には誰もいなかった。
「あの、ボクの他にも3人仲間がいたはずなんですけど、見ませんでしたか?」
「へえ、貴方優しいのね。私がベルの名前を知ってることよりも、ここはどこなのかってことよりも、そして私が何者かってよりも、お仲間さんの行方を心配するなんて。
貴方のお仲間さんたちのことだけど、安心して。無事よ。そして貴方もあと少しで皆のいるところで目を覚ます」
「目を覚ます? じゃあ、ここって夢なんですか?」
「夢? うーん、一番近い表現だと夢なのかもしれないわね」
そう言いながら女はコツコツとヒールを鳴らして小さな円を描くように歩く。かかとが床を叩く度に黄色い星の粒が飛び散る。
「ここはベル、貴方の精神世界よ。そしてそこに入り込んだ私はこの塔の管理者、名前はタリル。貴方のことなら貴方が今の貴方として生まれる前から知ってるわ」
タリルは急にベルの目の前で両手を広げタメを作ったあと、小さく、でもしっかりインパクトが残るように言った。
「もちろん、貴方のお母さんも」
「!!」
慌てて何かを口走ろうとするベルをタリルは人差し指で制止した。
「ムグッ」
「まったくもう、ベルはあわてんぼうさんね。メッ。貴方のお母さんの情報は取引よ」
「……取引?」
指が離れたベルはタリルのキーワードを反復する形で問う。
「そう。決して貴方にも悪い取引ではないわ。なぜなら私が要求することも貴方にとってメリットになることだから」
「ボクにも……?」
「ええ。結論から言うわ。貴方には、貴方と同じ顔をした4人の女を殺してもらいたいの」
「殺……?!」
言われて突然に思い出したのは大穴に自身を落としたあの修道女であった。それを見越したようにタリルは、
「そうね、あのシスターもターゲットの1人よ。因みに彼女は貴方のお母さんじゃないわ。良かったわね」
と言う。
「順を追って説明しましょう。最初私達塔の管理者は9人いたの。でも例の4人が私達のうちの3人を完全に破壊し、さらに4人の身体を完全に掌握してしまったの。つまり私たちはもう残り2人しかいない。ちなみにもう1人は別件にあたってるからここにはいないわ」
「ちょっと待ってください! なんでターゲットはみんなボクと同じ顔なんですか?」
「やっぱり気になる? 今言えるのは、貴方が特別だったからってだけ。それ以上言うと貴方のお母さんの秘密にも触れなきゃいけなくなるわ。ごめんなさいね。他に今までの説明で聞きたいところはあるかしら」
ベルはタリルの仮面を指差して言った。
「タリルさん、その仮面外してもらえますか?」
「あら、そんなこと? いいわよもちろん」
タリルが気前よく笑う仮面を外すと、そこには何もなかった。目があるはずの場所にも、鼻があるはずの場所にも、口があるはずの場所にも何もなかった。顔のパーツが付いていなければ、そこは顔のパーツがない顔と認識できるはずだが、そこにはそれすらない完全な虚無であると言い切れる無があった。タリルは5秒ほどで、
「いやん、やっぱり恥ずかしいわね」
と言いながら仮面を付け直した。ベルはその無に自身の心の機微の一欠片を欠落してしまったような気がした。
「で、私の顔は貴方の想像通りだったかしら」
「いえ……」
「これは彼女たちの襲撃の傷。私たち残された2人も無事じゃなかったのよ。じゃあ、他に質問ないかしら」
「いえ……」
「ちょっと、もう少ししっかりしなさい。男の子でしょ?」
「……はっ!」
タリルに肩を揺さぶられ、ベルは正気に戻った。
「よし、じゃあ、続けるわね。
管理者4人を完全に掌握した彼女たちは、塔の権限の一部を力ずくで奪い取って、塔の内部構造を勝手に変更し始めたの。それが今貴方たちが冒険をしている1階から40階。そして今から貴方が向かう地下世界。
私たちの目的は塔の管理者権限の全てを奪い返すこと。ただ私たちは彼女たちの支配する領域に干渉することができない。今も権限と権限の隙間を縫って、私とゆかりがある人物と会話するのが精一杯。だから私は貴方に取引を持ちかけたの。
これが今語れる全て。納得してくれたかしら? ベル」
ベルは頭の中でターゲットたちと戦うシュミレーションをしていた。少しのシュミレーションの後、述べた言葉は以下であった。
「勝てなく無いですか?」
「あら、どうして?」
「どうしてって、彼女たちは権限を持ってるんですよね」
「ええ」
「で権限を使うとどんな場所でも『地図殺し』みたいに床や壁とか天井とかを自由に操れると」
「ええ。それだけじゃないわ。呪いも自由にかけ放題よ」
「より勝てなくなってるじゃないですか! ……いやなんでそもそもボクが殺しの依頼を受けてるテイで話が進んでるんですか!」
ボルテージが上がっていくベルをタリルは笑いながらたしなめた。
「フフフ、面白いわねベルは。大丈夫よ、彼女たちは権限を使用したときにすべての記憶を失ってるの。だから誰も自分が権限を持ってることに気がついていない。……まあ少しだけ察している人もいるけど」
「大丈夫じゃないじゃないですか」
「まだ完全に目覚めてはいないから、倒そうと思えば倒せるわよ。それに、彼女が1人たりとも生きてはいけない切迫した理由が貴方にはあるじゃない」
「え? ボクに?」
「そう、貴方も薄々感じてない? あのシスターも、スズって呼ばれてたんでしょ?」
指摘されて今まで無理に忘れようとしていた危機感が湧いてきた。今アルスアさんを助けられるのは自分だけ。でももしあのシスターさんもボクと同じ匂いがするのならば……もし彼女のほうがボクよりもアルスアさんの呪いによる不眠を癒やすことができたのなら……そう思うと心がズキズキしてきた。
「そう、貴方の想像通り。1人でも彼女が生き残れば、貴方のアルスアは奪われる」
「!?」
「どうしてって顔をしてるわね。どうして貴方が嫉妬を抱いてるのかではなく、どうして寝取られるのかって顔。教えてあげる。それは貴方が正しくないから。彼女たちのほうが正しいから」
そのときタリルの体が透け始めた。さらに地平線の一部が白に染まり、白は床に空にも映り始めている。
「あら、もうそろそろ時間ね」
「ちょっと待ってください! ボクが正しくないってどういうことですか! 彼女たちが正しいってどういうことですか! それもボクのお母さんが関係してるんですか!」
「ええ、察しがいいじゃない。心配しないで、4人全員死ねば、当然アルスアは貴方のもの。全員殺して、唯一塔の頂点で逢いましょう? そこで全てを話すわ。じゃあね、地下100階の子よ」
そう言い切って、タリルは地平から降り注ぐ真白の光に溶けて消えた。
そしてその光はベルの視界を白に染めて、ベルは平衡感覚を失いながら落ちているのか飛んでいるのか、立っているのか倒れているのか分からぬまま気を失い、精神世界は消滅した。
面白い!続きが気になる!と少しでも思っていただけたならブクマと広告下の【☆☆☆☆☆】から評価をしていただけると作者のモチベーションが上がります。