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破1


1.


 診療を終えたイシダ医師に、アイヤ・ヴィヤゾフスカ警部補がバッジを見せた。ホワイトブロンドの髪にダークブルーの瞳が美しい。

「話すことはないよ」

 レイス医師が襲われた時に、入れ替わりにアッシュがイシダ医師に呼ばれていた。

「そのことではなく、コウザイ警部補についてだ。彼女の予知夢について」

 事務的な強い口調だが、声が美しい。凛としたネイビーのパンツスーツ。

「君はどうみる?」

 質問を質問で返すのはおかしいと考えられなくもないが、学術的には仮説もなく質問してはいけないとされる。どのような思考があるのか誤謬 (ごびゅう) もふまえ知る必要がある。前提条件が違うとどこかの大統領のように狂気の侵攻をし始めるとも限らない。

「現代社会ではまったく説明できない。巨人の肩の上に乗る科学そのものを否定している野蛮な行為だ。ただし、元型――カール・グスタフ・ユングの〈影〉 (シャッテン) が具現化した映像という可能性を否定できない」

「実に興味深いがあいにく私の専門は外科でね。――〈影〉 (シャッテン) だと仮定すると、レイス医師が犯人あるいは共謀共同正犯ということになるが……」

「無意識は嘘をつかない。というか現実の投影でしかない。コウザイ警部補は無意識に〝それ〟を観た可能性がある」

「あらゆる可能性を考えるのか?」

「それは戦略だ。戦術は想定などしない、対処するだけだ。戦略の失敗を戦術、ましてや戦闘で挽回することは不可能だ」

 歴史が証明している。

「人間はよくやるがね」

「まったくです」

 笑む。

「君はロシア出身かい?」

「ウクライナです。ドクター・イシダ。気にしないでください。日本人 (ジャパニーズ) も中国人 (チャイニーズ) と間違われるでしょう?」

 イシダ医師が苦笑した。


 アイヤが警部のスマートフォンに連絡した。

「警部。ええ、また例の夢です。本人は覚えていませんでしたが、イシダ医師の証言は取れました。レイス医師が犯人だそうです。――信じたくないのも理解していますが今まで誤っていたこともないのでしょう? ――そうです。義務感から相棒 (バディ) を信じているのかもしれません。けれど、そんなものでしょう、警官は。切りますよ」

 解剖室前。ノックを四回。

「十三分署のヴィヤゾフスカ警部補だ」

 静寂。

 左脇のグロックに手をやり、ドアに左手をかけようとして止め、手袋をしてから銃を抜きドアを開けた。

 レイス医師が縊死していた。

「鑑識を。サ=イズミ記念病院の解剖室だ」

 直通で十三分署に連絡した。スマートフォンで本人確認をしているので、バッジナンバーは不要だ。

「警部補」

 アイヤが声のした方向に銃を向けた。

「誰?」

「アッシュ・ガウロン。探偵だ」

 両手をあげている。右手に手錠でアタッシェケースをつないでいるが。

「ラウラの恋人の?」

「昨日まではそう思っていた」

「ここで何を?」

「ラウラに頼まれた。確認したいことがあって」

「あら、そう」

 周囲を確認した。他に誰もいない。

「いちおう逮捕させてもらっても?」

「抵抗しない。とりあえず銃を下げてくれ」

 銃は下げず、身体検査した。手錠を台に乗せる。

「手錠をしろ。鍵穴を肘側に。前ではなく後ろ手で」

「了解」

 アッシュが器用に施錠した。

「さっきのは嘘ね。ラウラは気絶しているはずよ。浮気相手の妻に殴られて」

「では、あなたは犯人ではないな。呼び出されたんだ。カードがジャケットの右にある」

 紙には「鍵 (キー) を渡す。医学博士レイス」とある。

「鍵 (キー) ? アタッシェケースの? 違うわね。他に何を隠しているの?」

「警部に話す」

「時間の無駄よ。今日は休みだから」

「休日出勤している。地方検事のところにいるはずだ」

「ここで撃ってもいいのよ?」

「カメラがある。信用してくれ」

「このカードはどこで?」

 鑑識がやってきた。

「私はコイツを連行する。映像も確認しておいて」

「了解。――警部補、そいつは誰です?」

「ラウラの元恋人」

「ああ例の……」

 アイヤが銃を隠すように、アッシュに右前を歩かせる。アタッシェが邪魔らしく、歩きにくそうだ。

「車のウィンドウスクリーンワイパーに止められていた」

「車は?」

「駐車場」

 ゴミはゴミ箱にあるといった口調だった。


 黒の一九八九年式のBMW E三四 M五に近づいた。女の趣味はどうあれ、車のセンスはいい。ジョン・フランケンハイマー監督の『RONIN』でアイルランド人のディアドラ役のナターシャ・マケルホーンが走らせている。

「スラックスの右」

 アイヤがキーをつかって、ロックを外して運転席のドアを開けた。

「言っておくけれど――」

「――逃げたら撃つ、だろう?」

 右手の手錠を外してナルディのステアリングに手錠をつなげた。

 アッシュが運転席に乗るあいだに、アイヤが助手席に。

「録画録音は?」

 ドアを閉めた。

「他の誰も聞いていない」

 渡されたキーでエンジンをかけてあたたまる。シルキー六。

「どうして私を知っている」

「さっきドアの外から言っただろう、警部補。お名前を伺っても?」

「アイヤ・ヴィヤゾフスカ警部補だ。信用しろ。――このカードは?」

「さあ。指紋もついていない。あんがい宇宙人かもな」

 着ぐるみをきた宇宙人では、指紋のような分泌物は出ない。

「冴えないジョークね。ナホミの様子は?」

 銃のスライドを少し引いて初弾を確かめる。入っていない。ホルスターに戻す。

「軽い脳震盪で意識が混濁している。前後二時間は記憶が消えるかもな」

「『レイス医師が犯人』とは?」

「イシダ医師から聞いたんだ。ナホミがそう言っていたと。警部は信じていなかったが」

「信じるの?」

 アイヤがアッシュの瞳を観た。自分が映っている。疲れている顔だ。髪を耳に上げた。

「どうでもいい。わたしは、はやくラウラの心臓 (ハート) を見つけて解放されたいだけだ」

「キーとは?」

「グローブボックスを開けてくれ」

 USBメモリと、SIG SAUER P二二九・四〇S&W弾。

「銃の許可はとってある。撃ちたくはないが撃ってくるバカはいなくならない」

「あなたは賢いと聞いているけれど?」

「ただの傷痍軍人だよ。右目の視力が弱い。兵士としては使い物にならない」

「あなたは悪人 (バッド) ね。ただし、賢いので過失でしか犯罪はおこさない。ナホミは悪人 (バッド) だけれど、自分に正直よ」

「あなたは?」

「あなたと同じ賢い悪人 (バッド) 。賢い悪人 (バッド) と賢い善人 (グッド) とは仲が悪い」

 手錠を外した。

「息子……いや娘さんか?」

 アッシュもアイヤの瞳を観ている。

「〝心を読む〟というのは本当のようね。オレーナ――娘よ――との仲は最悪。別れた夫と話しているようよ」

 手をもんであたためた。

「子が親を選べないように、親も子を選べないからね」

「娘さんには会えているの?」

「いや。『忘れるのも愛情だ』と父――賢い善人 (グッド) だ――に言われたよ。『お前の考えが善 (よし) としてもそれがあの家庭にとってそうでないのであれば彼女は辛い生き方になる』とね」

「ナホミと別れて私と付き合いなさいよ」

「それを考えていた。そもそも付き合っていなかったらしい」

「何、それ」

 アイヤが引きよせ、キスをした。

「うん……相性はいい感じ。――どうしたの?」

 アッシュが痛みで気絶しそうになっていた。


 トランクに入れていたエプソンのラップトップPCを起動させた。Windowsではなく、CentOSというLinuxで動いている。

 メモリを認識させた。

 右目を閉じたアッシュが、追跡用のアプリを迷路に誘い込ませてから起動させた。これで探知されても偽装できる。

 データは一つだけ。一枚の地図だった。展開すると、スマートフォンのWi−Fiに自動接続するか聞いてきた。

 許可すると、インターネットの地図と連動され、ナビゲーションを始めた。

 北東三十キロメートルの目的地に宝島の財宝のマークがあった。

「『宝島』を読んだことは?」

 アイヤが聞いた。

「『ジキル博士とハイド氏』なら」

 同じ作者だ。

「不安な結末ね」


 途中、ガソリンスタンドで給油した。

 不思議と空腹感を感じないアッシュだが、昼前に〈アマランス〉で食事をしてから何時間だろう。

 時刻は十六時をまわっていた。

 先を急ぎたかったアッシュだが、アイヤが強く意見したので郊外のイタリアン タベルナ〈ネイプルス〉 (ナポリ) で軽く食事をした。なぜかキノコ料理が美味だった。


 USBメモリが案内したのは、古く巨大な邸宅だった。古城といってもいいだろう。

 巨大な門があったが開いており、道なりに奥に進むと噴水があった。水道をとめているのか、単に壊れているのかあるいはその両方か分からなかった。

 タイヤ痕がいくつか残っていた。二台、三台分ある。

 アッシュはサ=イズミのリムジンのタイヤに泥が付着していたか、記憶を再生させたが綺麗なものだった。それに轍 (わだち) からホイルベースは長いが、リムジンではない。あんがい小さい車両かもしれない。

 邸内には血痕が残っており、新しくまだ乾いていなかった。

 それでいて埃 (ほこり) もなく、最近まで使われているようでもあった。

 黙ったまま二人が進んだ。

 天窓から西の採光があり、暗くはない。

 手前に手術室があった。ただ、この部屋で何かをしたとは考えにくかった。血痕もこの部屋に続いておらず、通り過ぎていたからだ。それに、何かをするには古すぎた。百年二百年前の手術道具だった。衛生的に問題がある。趣味で何かをするにしても、破傷風やそのほかの病気になったとしても不思議はない。

 奥に進むと三階まで吹き抜けの大広間があった。前は大使館か迎賓館だったのだろう。あるいはその地位にある人物の邸宅か。

 二階に上がる階段の踊り場に肖像画があった。

 どこかアイヤ・ヴィヤゾフスカ警部補に雰囲気が似ていた。

「母……ではないわね」

 アイヤが目を細めた。

「フランス語だ。『麗 (うるわ) しの妻――エカチェリーナ』……エカチェリーナ? 二世? いやいや彼女はドイツ人だぞ」

 専制君主の代表であるエカチェリーナ二世はロマノフ朝のロシア皇帝だが、生まれはドイツでスラヴ民族ではない。

「あなたの出自は?」

「母はキエフ (キーフ) の生まれよ。父はロシア人だけれどその母親――祖母もオデッサ (オデーサ) の生まれよ」

 奥で物音がした。

「誰がいるのか?」

 男性の声だ。

「手伝ってくれ」

 進んでくる。アイヤが銃を向けた。

「ラウラ?」

 男性に抱えられた女性に見覚えがあった。

「違う。妹のガエターナだ。私は弁護士のディリクレ、フリードリヒ・ディリクレ。この子の後見人だ」


 アイヤが静止した。

「変よ」

「そうだな」

 アッシュも気づいていた。

〈セイレーン〉といわれる事象だ。〈セイレーン〉は恐怖の〝叫び声〟だ。実際に聞こえる訳ではなく、心が強く導 (みちび) かれる。

 静寂の時。二人の心音だけがあった。

 つまり、ガエターナとフリードリヒの脈拍の音が聞こえなかった。

「止まりなさい」

 アイヤが警告しながらスライドを引いて銃を構えた。

 抱えられたガエターナが手を上げた。何も持ってはいない。

 銃声。

 アイヤの銃がはじかれ飛んでいく。

 ぎこちなくガエターナが立ち上がり、フリードリヒがアイヤの銃を拾い二人に向けた。

「あなた銃は?」

「持っていない」

「バカじゃあないの?」

「そう思う」

 ガエターナとフリードリヒが二人を見ながら後退した。

 アタッシェで見えないようにしていた銃でアッシュが撃った。

 フリードリヒの心臓をダブルタップ。やや右下にズレる。

 フリードリヒは倒れず「車のキーを」と言った。

「渡しなさい。攻撃の意思 (※) はないわ」※刑法上の認識。意志ではない。

 スラックスから取り出して放り投げる。空中で反転してガエターナの手に落ちた。

 ガエターナの心臓にも二発撃つが揺れるばかりで倒れない。

 表に止めていたBMWで消えた。

「何アレ」

 肩をおとしたアイヤが口にした。

「わたしに聞くな」

「心臓を撃たれたのよ? 血も流れていた」

 アイヤがジャケットから袋を出して反転させて、床の血を拭い入れた。緑の粘着液もある。

「ヒトの血の匂い」

「他にいると思うか?」

 敵は?

「ここ? いないでしょうね。――ラウラに妹がいたなんて聞いていないわよ?」

「とりあえず鑑識だな。その間に他に何かあるか調べよう」

「予備の弾倉は?」

「ない」

 グローブボックスの中だ。

「あと十一発ある。あなたが持っていてくれ」

「九発よ」

 アイヤが手渡された銃の弾倉を確かめた。八発。薬室に一発。

「ああそうかダブルタップしたんだ。――実は数を数えられない病気なんだ」

「あらそう。――鑑識をお願い。場所は――そうそこ」

 スマートフォンで位置情報を送った。

「警部」

 電話をかけ直した。

 肖像画を見上げたが、埃で歪んでいたが少なくともアイヤに似ていなかった。「幻想かしら」と考えたが、口にしなかった。




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