序3
3.
時計台が見える聖ルチア大学の駐車場は、すでに片づけられていた。
事件性があるとはいえそれはオカルトの部分であり、いちおうは自殺として処理されている。担当したコウザイ警部補がすでにそう報告していた。警部 (キャプテン) は休みだが。
アッシュが停車されていた場所から道路まで観てまわった。
「何もないわよ」
パトカーにもたれかかりながら、この寒いのにナホミがピスタチオとライチの二段ジェラートを食べていた。ピスタチオはシバの女王の、ライチは楊貴妃の好物だ。女性の美への執念はつきない。
「ないな」
「だから言ったでしょう『何もない』って」
食べ終えたナホミが指をなめた。
「違う。『運び出した形跡がない』と言っている」
「はあ?『何』を?」
「ラウラ・フィボナッチの死体 (ボディ) はどこだ?」
「そりゃあ遺体安置所 (モルグ) でしょ」
「モルグにどうやって運ぶ?」
「救急車。ん?」
救急車のタイヤの跡がなかった。
「アーシュラは?」
ドアを開けたナホミ・コウザイ警部補がアーシュラ・ワシントン検視官の所在を確かめた。
茶泉 (サ=イズミ) 記念病院に到着した二人がエレベータで地下に降りた。
「コウザイ警部補!」
ボタンを連打するナホミだが、オシリス・レイス医師がエジプト人のような走り方で割り込んできた。いやまあエジプト人なのだが。#JJ3
「今日こそは正式に謝罪してもらうぞ」
「何かしら?」
目をそらして右上を見た。
「解剖室で〝プレイ〟するのは遠慮していただきたい。君がどう考えているのかは知らないが、私はこの職務を神聖なものだと考えている」
アッシュが頭を傾けながら、GTのアタッシェを胸でかかえた。
「死者を冒涜 (ぼうとく) することはやめたまえ」
〝プレイ〟の最中に、静かな観客がいたらしい。
「アーシュラは?」
まったく聞いていないナホミが確かめた。
「いいかね! 私は――」
「――ドクター?」
ドアが開いたので、アッシュがうながした。
「アーシュラ・ワシントン検視官は?」
「どうして君に答えねばならんのかね?」
アッシュが口を手でおおいながら、レイス医師の耳に囁いた。
「……であるならそうなのだろう。――いや見ていない。私がここに来たのは八時前だ」
「ラウラ・フィボナッチは?」
「こちらだ」
案内され、遺体を確かめた。
心臓のない美しい遺体 (ボディ) があった。
アーシュラ・ワシントン〝元〟検視官がそこにいた。
十三分署の最上階は畳が敷きつめられており、早朝には合気道で使われている。
土佐三郎 (サブロウ・トサ) 警部が目を瞑っていた。黒帯七段。
その前にはナホミ・コウザイ警部補と、アッシュ・ガウロンが正座させられている。広い空間には他に誰もいなかった。
「休日に一人鍛練すべく来てみれば、これか」#五輪書
ゆっくり目を開くと、叱咤 (しった) した。
「ドン・フィボナッチの嘆 (なげ) きはいかばかりか」
「あの……」
「ミセス・アーシュラとは肉体関係にあったのか?」
「恋人です」
「そちらのミスター――」
「――セックスフレンドです」
きっぱり言った。
「レイス医師からの〝口頭〟による報告では、ミセス・アーシュラと解剖室で楽しんだとあるが、事実か?」
「……」
「事実なのか?」
「……はい」
蚊の鳴くような声。
「君も不謹慎にも、楽しんだのか?」
「いいえ。今朝まで、そうした人物だとは知りませんでした」
「レイス医師との約束は守れるのか」
「医師 (ドクター) が誠実であるなら」
「聞かなかったことにしよう。――問題は」
問題は山積みだった。
「第一に、ミス・ラウラの心臓の確保」
「遺体は……」
「黙っていろ」
静かであるほど怒りが大きい。
「はい」
「君たち二人は、ミス・ラウラの心臓を確保しろ」
「……アーシュラの浮気の件は?」
「ミセス・アーシュラの妻が判断する。その件には当局は関知しない」
「そんなあ……あの女、他にも恋人がいたんですよ? 理不尽だと思いませんか!」
男二人が口を開けた。
警部はアッシュの手首につながれたアタッシェケースについて一切質問しなかった。
「あの口調からすると、ドン・フィボナッチに対して多少の恩義があるのかもしれないな」
アッシュが階段を下りながら、ナホミに言った。
「そりゃあ多少はあるでしょう。この街に住んでいるのであれば。あなたも元軍人とはいえ、ROCに関係しているのでしょう?」
「犯罪組織とは関係がない。前にヴァシーリからソフィアを頼まれただけだ」
「コルヴィン・ペールがどうして?」
「ソフィアの兄のほう。高校時代の友人でね。彼が跡を継ぐと思っていた」
「案外、継いでいるんじゃあないの?」
視線をアタッシェに向けた。
「何が入っているの?」
「知らなくていい。知りたいのか?」
「腕落とされるわよ」
アッシュが肩をすくめながら、先を急いだ。
レイス医師によると、ミセス・アーシュラの死因は銃によるものらしい。
しかし――。
「心臓が切り取られたあとで、亡くなっている」
「死ぬ直前で抜かれたということ?」
眉をひそめながらナホミが聞いた。
「いや、切り取られたあとでもしばらくは生きていた。その形跡がある」
かなり流血している。
「どれくらいの時間?」
「二分……いや三分か……ひょっとしたら五分かも」
ほとんどの血液が流れ出ていた。
「そんなありえない」
ナホミが口の中で舌を巻いた。
「だから問題視している。心臓を取り――出したのに、まだ生きていたから銃で撃った?」
レイス医師が一瞬言葉に詰まった。
「そんなバカな。まるで、死霊ね」
「死霊ならどう倒す」
アッシュが聞いた。
「心臓に銀の銃弾 (シルヴァー・ブリット) 」
「心臓がないぞ」
「あ……」
「それに、それはライカンスロープの倒し方だ」
「ライカンスロープって?」
「ルー・ガルー、狼男 (ウェアウルフ) 。伝説の生物だよ」
レイス医師が鉗子で、胸の奥から銃弾を取り出しながら言った。
「――」
大きく息を吸った。
カルトン (トレイ) に輝く金属が落ちた。
潰れてはいるが鈍色 (にびいろ) の鉛ではなく、美装された銀の銃弾 (シルヴァー・ブリット) だった。
――アーシュラが白目を剥 (む) き、ナホミの喉を食い破った。
――ナホミ・コウザイ警部補が全裸で飛び起きると、銃を探した。
枕元にあったグロック二三のスライドを引いて・四〇S&W弾を装填した。
標的を探しながら、予備弾倉を手探りする。
自宅。
鏡にうつるナホミ。
予備弾倉を掴むがやわらかくすべり落ちてしまう。
拾おうと屈むと、床が鏡になっており、青白い自分の顔があった。
――もう一度、飛び起きた。
グロックのスライドを引いて初弾を装填。
スライドを少しズラして装填を確認した。
息を整える。
「夢?」
肩を落とし、銃口を下げた。
「夢……そう夢」
ノック。四回。
――ミセス・アーシュラ・ワシントンの告別式で、ナホミがアーシュラの娘に右頬を叩かれていた。左頬も。
元夫のJ・J・ダグラスが犯行を認め、有罪は確実になった。
しかし依然、ラウラ・フィボナッチの行方は不明だった。
二つの心臓も。




