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急3

3.


 アイヤがラムを飲み干し、グラスをそっとテーブルに置いた。

 予備の弾倉をスラックスのヒップポケットに入れると、玄関に向かった。

 誰かが戸口に立っていた。逆光で輪郭しか分からないが男性だろう。

 アイヤの後ろには、左手にSIG SAUER P二二九を握ったトオがいる。歩調をあわせる。

 静寂。

 セキュリティが自動解除される。

 アッシュ・ガウロンが入ってきた。

「……」

 二人の銃に気づいたアッシュが両手を上げた。

「何?」

 右手のキーがゆれている。

「こっちが聞きたい。どこに行っていたの?」

 アイヤがブローニングを向けたまま聞いた。

「それは言えない。わたしに言う資格がない」

「少佐の指示?」

「言う資格がないんだ。捕まってしまう」

 軍事情報を漏らせば軍法会議だ。「元KGBは存在しない」というのがロシアのブラックジョークだ。死ぬまで現役で、辞めることができない哀しい組織だともいえる。

「右足は? 怪我は?」

「アフガニスタンのときに。右目といっしょに負傷した。どうしてそれを? ああプロファイリングか。手を下ろしていいかな」

「ダメ。動かないで。――銃は?」

「車に。なあいいだろう? 手を下ろさせてくれよ」

 ゆっくり両手を下ろそうとした。

「動くな。私は本気だ」

「了解。手錠?」

「ああ……。膝をついて」

 アッシュがゆっくりと膝をつく。服装はトイレに行ったそのままの服装だった。一滴の血も、怪我もない。心音も聞こえる。

 手錠をもったトオがアッシュの左手に手錠をかけた。

 同時に、アイヤの右手に手錠がかけられた。

 横を見た。

 ――ナホミ・コウザイ警部補だった。

 ブラックアウト。


 目覚めると、アイヤ・ヴィヤゾフスカ警部補は二日酔いだった。

 悪夢の夜から逃れるために、許容量以上を飲んでしまったらしい。

「大丈夫ですか?」

 声をかけたのは、トオ・イバラキ女司祭 (プリーステス) だった。

 水とロキソニンを一錠もらう。

「ここは……」

 悪夢だ。

 アッシュ・ガウロンの寝室だった。外が明るい。

 記憶が曖昧だった。

「あれからどうなった?」

 なかなか薬を飲み込めず口の中で溶けそうになるのを無理に水で流した。

 鏡を見るまでもない。目の下に隈ができている。

「ミスター・アッシュが帰ってきたのは覚えていますか?」

「幻想だろう?」

「幻覚を見るほど飲むなんて……」

「魔女 (ウイッチ) は存在するのか?」

「いいえ。魔女 (ウイッチ) は存在しません」

 ゆっくり目をつむり、ゆっくり開く。

「アッシュが〝人形遣い〟 (パペッティアズ) になる夢を見た」

「それは現実です」

 隣のトオを見た。

 胸の十字架が光る。

 痛み。

 アイヤの右手の包帯を交換してくれていた。

「ナルミのティーカップ……」

「バカラのロックグラスです。割れたのは」

 トオが「正確には『割ったのは』ですが」と続けた。

「あと……あと何人、生贄 (いけにえ) にするんだ?」

「わたしには答える権限がありません。そもそも数 (すう) は関係ありません」

「『数 (すう) が関係ない』とはどういう意味だ?」

「そのままの意味です。警部補」

 文系のアイヤ・ヴィヤゾフスカにとっては、まったく理解できない概念だった。

 説明を受けるとしても、数 (すう) について何時間か学ばなくてはならないだろう。

「……私もあんな風になってしまうのか」

 話題を変えた。

「可能性は低いです。わたしが守りますから」

「もっと人員を増やす方法は?」

「二十四時間以内に起こったすべての事実を心療内科の医師に相談されますか?」

 トオに言わせると、これが本当のブラックジョークらしい。現実の世界にばかり生きていると現実そのものを歪めてしまうらしい。適度に夢の世界で生きることが有用だとか。

 女司祭 (プリーステス) の言うことはまったく理解できなかったが、善意の親切より悪意あるブラックジョークのほうが社会性が高いのは事実だ。

 つまり、魔女 (ウイッチ) は存在しない。

 プランBはまだ選択肢として残っており、必要とあらばすべてを灰にしても「魔女 (ウイッチ) が存在しない」世界をつくるだろう。北大西洋条約機構 (NATO) にはそれだけの力がある。

 かつての偉大なロシア帝国の首都だったサンクトペテルブルクで生まれた少年はその夢のために将来何万人もの人の命を奪うことになった。

 それに「魔女 (ウイッチ) が存在しない」理由を知る人員は少ないほうがいいのだろう。

「別のチームが対策をしている可能性は?」

「わたしには知る権限がありません」

 可能性は高いが、多くの人員は割かれていない。

 つまり、重要度は高いが少ない人員でクリアできる可能性が高いということだ。

 でなければ、少なくとも一個中隊二〇〇名ほどで殲滅するだろう。

 あるいは、大隊レベルで――違う。

 少佐はアドルフ・ヒトラーの〈最後の大隊〉 (ラスト・バタリオン) の話をしていた。一〇〇〇名の大隊を攻撃するのであれば、五倍の人員が必要になる。

 朦朧 (もうろう) としながらそうしたことを考えつつ。少し休むことにした。そもそも今日は休みなのだ。


 四回ノックして入ってきたのは金髪碧眼の美少年だった。

「やはりアッシュ・ガウロン准尉は〈心無いもの〉 (ハートレス) です」

 心臓 (ハート) が無い。

「〈心無いもの〉 (ハートレス) ……」#レ・ミゼラブル

 アイヤが天井を見た。蜘蛛の巣が一つ。八つの赤い眼。あんがい蜘蛛の視力はよくないらしい。

「紹介します。こちらがジャン=ジャック・フェルフルスト中尉です。こちらがアイヤ・ヴィヤゾフスカ警部補です」

 トオが両手を広げた。

「よろしく」

 握手しようと差し出したアイヤの手に、JJ (ジャン=ジャック) が片膝をついてキスをした。十三四歳の少年が軍服を着ているようにしか見えない。#デジャヴュ

「よろしくお願いします。アイヤ警部補」

「ちなみにもう一人同じ顔のジャン=ピエール・フェルフルスト中尉がいます」

 碧 (あおい) い瞳をみながらトオが言った。

「双子?」

「いいえ、違います」

 JJが訂正した。では三つ子?

 深くは聞かなかった。

「責任者は?」

 命令系統がはっきりしていれば関係ない。

「わたしです。少佐が総責任者です。二人とも優秀なので、わたしが決定するのは、どの結末にするかだけです」


プランA「排除」――――十分な火器による積極的消滅。#バーニング

プランB「焼却」――――市内を封鎖してすべてを灰にする。#バーンアウト

プランC「自然消滅」――必要な生贄を与えて放置する消極的消滅。#デフォルト


「例の古城は焼却しました。地下室にあった〈心無いもの〉 (ハートレス) も完全に灰 (アッシュ) にしました」

 ジャン=ジャック・フェルフルスト中尉がトオ・イバラキ女司祭 (プリーステス) に報告した。

「アッシュ……。〈心無いもの〉 (ハートレス) になるとどうなる? ――魔女 (ウイッチ) 〝人形遣い〟 (パペッティアズ) に心を動かされる訳か」

 自問自答した。

「思考はそのままに思想を動かされます」

「どうやって動かしているんだ?」

 頭をおさえつつ、残りの水を飲んだ。身体を起こす。片目をつむる。いろいろ痛い。

「緑の糸を遣 (つか) っています」

 JJが答えた。

「そんな非科学的な。まだコードレスで動いているというほうが現実的だ」

 綿シャツの胸のボタンをとめた。

「糸を切れば動かなくなります。その糸は胸につながっていて、その結束部分を破壊すれば動きが止まります」

「そうなの?」

 トオが質問した。

「まだ報告書にまとめていませんが、例の古城で確認しました。〈心無いもの〉 (ハートレス) の胸に銀弾 (シルヴァーブリット) を打ち込めば停止します。なお、確認するのに兵が七名亡くなりました。うち三名が〈心無いもの〉 (ハートレス) となったので、首を切り落としました」

「遺族になんと言えばいいか……」

「それを悩むのは少佐です。私たちではありません」

 現実的なJJが静かに言った。

「第二中隊だけが損耗率が高い……。この部隊です、警部補」

 第一中隊は何をしているのか?

 アーリントンで墓地を掘り返しているのだろう。


 ジャン=ピエール・フェルフルスト中尉の命令で、第一中隊がセプテンバー・イレブンの墓を暴 (あば) いていた。

 アメリカ同時多発テロ事件 (セプテンバー・イレブン・アタックス) の殉職者は英雄扱いなので、丁重に深く埋められていた。

 手作業では時間の無駄なので、油圧ショベルを使用している。

 該当区域は、危険物があるという事由で封鎖してある。

 ショベルの左右に小隊を配置していた。火器の線が交差してしまうと味方を撃ってしまう。

 棺 (ひつぎ) がビニールシートの養生の上に置かれた。唾をのむ兵士。安全装置を解除しているか確認する兵士。肩を叩く兵士。

 その傍らで、男装をした美しい女武芸者が本差 (ほんざし) の鯉口を切った。墓地に淡紫の着物が映える。ワンサイドアップの緑髪。

 兵士が巨大なバールを使って棺の蓋を開いた。

 隙間から緑の糸が飛び出して兵士の腕にからみつく。

 居合 (いあい) 。

 武術において居合はどちらかというと芸に近い。できるにこしたことはないが、それだけでは勝てない。

 すっと糸を斬ると、女武芸者が棺を二つにした。力ではなく技だ。

 陽光で、緑の糸が蒸発していくが、繰 (く) り出される糸のほうが多い。

 兵士にからみついた糸を斬りながら体当たりして、女武芸者が棺の前から逃げた。判断が速いが転 (こ) けた。

 銃声。

 自動小銃FN FNC。一九七九年からベルギー軍に配備されている。

 五・五六x四五mmNATO弾が横殴りの雨のように降りそそいだ。

 雨粒のあいまを縫 (ぬ) って糸が周囲に広がるが、銃弾によって本体から切られ、太陽の光で蒸発していく。

 だんだん小さくなり、赤い塊が見えてくる。

 弾倉が二回交換されてもまだ動いている。

 それも時間の問題だった。

 完全に沈黙した。

「撃ち方やめ!」#シーズファイア

 小隊長の号令で、射撃が停止した。

 兵士三名がFNCにつけた銃剣 (バヨネット) で赤黒い塊を刺した。

 一本の赤い糸が兵士の心臓めがけて飛び出した。

 一人の兵士のブリットプルーフベストに刺さるが、裂くことはできなかった。

 蛇のように喉に向かって這う。

 別の兵士が銃剣 (バヨネット) で半分に切ると、すぐに蒸発した。

 銃撃が再開され、塊が紫色に変色するまで撃ち続けられた。

 第一中隊が消費したのは、銃弾と人件費と時間だけだった。

 ジャン=ピエール・フェルフルスト中尉が封印するように命令した。

〝心臓〟が液体窒素で凍らされるが、その表面には一つの眼があった。

 ゆっくりと眼が閉じられる。

 それは半眼する三昧 (さんまい) 仏像のようだった。




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