どん底
「あ、お帰りなさいカレンさん!どうしたんですか?いつもより、お早いですね?」
カレンがこの街で拠点としている宿『小鳥の宿木亭』に帰ると、そこの看板娘である青髪の少女、タルカの明るい声が響く。
その明るさは今のカレンにとってとても温かく、思わず涙が零れ落ちそうになってしまう。
「うん、ちょっとね・・・」
「・・・どうかされたんですか?いつものカレンさんらしくないです・・・その、何か悩みがあるなら相談に乗りますよ?私なんかじゃ頼りにならないかもしれませんけど・・・」
零れてしまいそうな涙は空を見上げて何とか堪えたカレンは、それによって潤んだ瞳を隠すようにタルカから顔を背けている。
しかしそんな彼女の振る舞いと、その暗い声に何かを察したタルカは、カレンへと駆け寄ると心配そうに声を掛けてきていた。
「・・・タルカは優しいね。でもいいの、これは私の問題だから」
タルカの優しさに再び込み上げてきた涙は、何とか押し留めてカレンは彼女に断りを入れる。
宿屋の娘でしかない彼女に、領主に睨まれて苦しんでいるなど相談しても、余計な心配を掛けるだけだ。
「そうなんですか?それなら、はい・・・でも、いつでも言ってくださいね?私、大したことは出来ませんけど・・・聞き上手だっていつも言われるんです!」
手を翳して、それ以上聞いてくれるなと示すカレンに、タルカは残念そうな表情を浮かべると、それでもいつでも声を掛けてと笑顔を見せている。
聞き上手であることを示すために力こぶを作って見せるというタルカの的外れな明るさは、今のカレンにすら思わず微笑みを浮かばせるほどのパワーを秘めていた。
「あ、そうだカレンさん!突然なんですけど・・・」
暗い話題を切り替えるように両手を合わせて音を立てたタルカは、明るい表情でカレンに何かを伝えようとしていた。
彼女の性格とその表情を見れば、そこに何の悪意もないことは誰の目にも明らかだ。
しかしカレンはそこに、嫌な予感を感じてしまっていた。
『他にはそうだな・・・領主の息のかかった店から、出禁にされたりな。あぁ、宿から追い出されるって事も考えられる。そうなったら、流石にどうしようもないだろ?』
デリックが予言した不吉な未来は、次々に現実となっていった。
であれば、次は。
彼は、宿を追い出されると話してはいなかったか。
「っ!?わ、私はここを出てかないからね!!絶対出てなんかいかないからー!!!」
タルカにその先を話させてしまえば、自分はここを出ていかなければならなくなる。
そう確信したカレンは、タルカの言葉を打ち消すように大声で叫ぶと、先手を打つように宿を飛び出していってしまっていた。
「カ、カレンさん!?宿代は一か月分先払いで頂いてるので、それまでは大丈夫ですよ!?それに、そんな追い出すことなんか・・・あぁ、いっちゃった」
一目散に飛び出していくカレンをタルカは慌てて追いかけ宿の外に出るが、既にそこに彼女の姿はない。
カレン達の宿泊代は既に一か月分先払いされているから、追い出すことなどないとタルカは叫んでいたが、彼女の耳にそれは届いてはいないだろう。
「はぁ、何だったんだろ?今日の晩御飯は何がいいか聞きたかっただけなのに・・・うーん、何か悩みがあるようだったしカレンさんの好物を作ってあげようっと!えーっと、カレンさんの好物は・・・」
カレンの奇妙な振る舞いに頬に手を当てては首を傾げているタルカは、宿へと戻ると一人呟いている。
当然ながらタルカはカレンを追い出そうとしたのではなく、彼女に今日の晩御飯に何が食べたいか尋ねようとしていただけであった。
そんな優しい心遣いをぶち壊されてしまってもなお、タルカはカレンの事を考えて頭を悩ませる。
そしてタルカは帰ってくるカレンのために彼女の好物を用意しようと決めると、上機嫌な様子で厨房へと向かっていくのだった。
「くっ、まさかあの優しいタルカにまで手を回してくるなんて・・・これが領主の力だというの!?」
宿から飛び出し、タルカの下から逃げ出したカレンは、彼女が追ってきやしないかと何度も後ろを振り返っている。
そこにその姿ないと知ったカレンはようやく足を緩めると、その場に座り込んでしまっていた。
「・・・お腹空いたな。そういえば朝御飯食べてなかったんだった・・・晩御飯はついてるけど、そっちは有料だからな」
道端に座り込んだカレンのお腹から、可愛らしい鳴き声が響く。
それにようやく朝から何も食べていなかったことを思い出したカレンは、思わず空を見上げる。
デリックと豪華な昼食を楽しんだのは、一体いつだっただろうか。
それが随分、昔の事のように思える。
「あ、あれ・・・いつかの押し売りの時の屋台だ。確か、サンドイッチを売ってったんだっけ?買おうかな・・・あの、すいません!」
「はいはい、何にしましょうか?」
空腹に空を見上げたカレンが地上へと視線を移すと、そこにはいつかの押し売りの時に見かけた屋台が映っていた。
結局口にすることのなかったその味が少し気になっていた彼女は、腰を上げると屋台を引いている主人へと声を掛ける。
「あ、そうだった・・・お金、ないんだった。その、すみません。何でもないです・・・」
「はぁ・・・」
お客の登場に愛想よく応じた屋台の主人にも、カレンはその前で立ち尽くすことしか出来ない。
何故なら彼女の財布の中身は、今空っぽなのだから。
それを思い出し申し訳なさそうに屋台の主人に断りを入れるカレンのお腹からは、空腹を示す鳴き声が響いている。
その耳にしながら、屋台の主人は不思議そうな顔で屋台を引いては彼女の横を通り過ぎていった。
「はぁ、ひもじいよぉ・・・私、これからどうしたらいいんだろう?」
空腹を満たす術すらなくなったカレンは、鳴き声を上げ続けるお腹を隠すように蹲ると、溜め息を漏らしている。
懐は空っぽで、宿すらなくしてしまったと思い込んでいるカレンは、これからの未来に絶望して途方に暮れる。
そんな彼女に、近づいてくる人影があった。
「でさー、聞いたかあの話?」
「おぅ、聞いた聞いた!いやー、笑ったよな!」
「はははっ、確かに」
それは、この街のどこにでもいそうな若者達であった。
しかし、カレンの認識はそれとは違う。
彼らはどこにでもいそうな若者達なのではなく、自分の熱烈なファンであった若者達であった。
「か、隠れなきゃ!!」
かつて自分の熱烈なファンであった彼らに、今の自分の姿は見せられないと、カレンは慌てて隠れられる物陰を探そうとしている。
「・・・違う。違うよ、カレン。ここで隠れたって何も解決しないでしょ?あの人達は私のファンだったんだ。だったら協力を頼めるかもしれない・・・領主と戦うなんて大それたことじゃなくてもいい、何かちょっとしたことでも・・・うん、それぐらいならきっと協力してくれるはず!!」
どこか身を潜むことの出来る物陰を探してその場を右往左往していたカレンは、ふと立ち止まると何かを否定するように首を振る。
そしてこのまま逃げ続けても何も解決しないと決意した彼女は、その若者達の方へと向かっていく。
「ねぇ、貴方達!ちょっといいかしら?」
「あぁ?何だよ急に・・・うわっ、カレンじゃん!?」
勇気を振り絞って彼らに声を掛けたカレンに、彼らの中の一人が反応しその名前を口にしている。
その反応に自らの考えが間違っていなかったと確信したカレンは、さらに一歩彼らへと踏み込んでいた。
「そう、カレンよ。そのカレンから貴方達に協力して欲しいことが―――」
「おい、さっさと行こうぜ。こんなのに係わってるのがバレると、俺らまで・・・」
「おぉ、そうだな」
その反応に少なくとも、彼らが自分のファンであったことは間違いないと確信したカレンは、早速とばかりに彼らに協力を頼もうとする。
しかしカレンがそれを言い終わるよりも早く、彼らの中の一人が彼女を厄介者のように扱うと、その場から急いで遠ざかろうと仲間を急かしていた。
「ははっ、聞いたかおい!そのカレンから・・・だってよ!いつまで自分が有名人のつもりなのかね?」
「有名人なのは変わりねぇだろ?ま、今は悪い方にだけどな!」
小走りにカレンの傍から退散していく若者達は、その距離がある程度離れると彼女の方を振り返り、馬鹿にするように笑い声を響かせている。
「ははっ・・・何を期待してたんだろ。馬鹿だなぁ、私・・・」
その声にまざまざと現実を見せつけられたカレンは、肩を落とすとトボトボと歩き始める。
その先には、その若者達が先ほど目にしていた壁新聞があった。
「あぁ、そうなんだ・・・もう、とっくに・・・」
その壁新聞には、カレンの事を酷評する記事が載っている。
そこに描かれた彼女のイラストには、誰がやったのか酷い落書きが施されていた。
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