領主リータス
「・・・セバスか。それでどうなったのだ?」
背後の扉が閉まる音に、このグリザリドの領主リータス・グリザリドは振り返りもせず声を掛けていた。
彼は羽織っていた豪奢なガウンがはだけてしまわないように抑えると、振り返っては手にしていたグラスを近くの机へと置いている。
その中には血のような真っ赤な液体が満たされており、僅かに香しい芳香が立ち上っていた。
「はっ・・・ギルドは旦那様の裁定を受け入れたようでございます」
彼の執事であるセバスは、軽く頭を下げると尋ねられた内容について答えている。
それは冒険者ギルドが、リータスによって下された裁定を受け入れたという報告であった。
「ふんっ、当然だ!!あのような生温い裁定、受け入れられて当然だ!!」
自らが下した裁定が受け入れられたにも拘らず、リータスは不満だとばかりにそのこぶしを机に叩きつけていた。
その衝撃に、彼が先ほどそこに置いたばかりのワイングラスが倒れ、そこから中身の液体が零れてしまう。
その液体は衝撃に跳ねて、彼のガウンにまでも染みを作ってしまっていた。
「っ!旦那様、お召し物が・・・」
「あぁ、すまないなセバス・・・それにしても、忌々しいのはエセルバードの爺よ。ようやくくたばって安心したかと思えば、孫娘を寄越してくるとは・・・どこまでわしを苛めば気が済むのだ、あの一族は!!」
それにセバスが慌てて駆け寄ってきては、その懐から取り出したハンカチでリータスのガウンを拭っている。
彼にそんな余計な苦労を掛けたことを軽く詫びたリータスはしかし、収まりきらない苛立ちに唇を歪めていた。
「旦那様があの方とお知り合いとは・・・存じ上げませんでした」
「ん?あぁ、別に大した縁ではないからな・・・お前が知らないのも無理はない、それに昔の話だ」
「はぁ・・・」
手早く、リータスのガウンの応急処置を終え、倒れてしまったワイングラスとその周辺の後片付けも終えたセバスは、彼に恐る恐る尋ねていた。
長年このグリザリドに使える執事であったセバスだが、そんな彼でも主人であるリータスがカレンの祖父であるエセルバードと知り合いだったというのは初耳であった。
しかしそれを尋ねられたリータスは、セバスから慌てたように背中を向けると、何やら誤魔化すように言葉を濁してしまっていた。
「あぁ、それにしてもまさかあの娘が、エセルバードの血縁者とはな。お陰であの程度の介入で手を留まざるをえんかったわ・・・死んだとはいえ、アレの影響力はまだ健在だからな。やり過ぎれば、逆にこっちに火の粉が飛んでくるわ。全く忌々しい!」
カレンが二階級降格という、リータスが手紙で指摘した内容にしては軽い罰で済んだのは、彼が彼女の祖父の影響力を恐れたからのものであった。
カレンの祖父であるエセルバードは、勿論既に亡くなっている。
しかし伝説的な冒険者であった彼の影響力は、いまだ健在であった。
そうした影響力を嫌い、彼を排除しようという勢力もあるにはあったが、リータスはそうした勢力との伝手を持ち合わせてはいなかった。
「旦那様。それほどの危険な試みであったなら、いっそやらないという選択はなかったのでしょうか?アシュクロフト様は決して、お嬢様に危害を加えようとした訳では・・・」
「・・・危害を加えようとはしなかっただと?結果、我が愛娘の命を危険に晒したのにか?」
エセルバードの影響力に、その孫娘であるカレンに軽い罰を与えるのも危険な橋であったと語るリータスにセバスは真剣な表情で顔を上げると、そんな無理をする必要があったのかと尋ねていた。
彼はカレンにはレティシアに危害を加えるつもりなどなかったと弁明するが、結果的にその命の危険に晒したという揺らがない事実に、リータスには鼻で笑われてしまうだけだった。
「そ、それは!アクシデントでございます!!あの森が、安全であることは旦那様もご存じでしょう?あそこに魔物が・・・しかもあのような危険な魔物が現れるなど、誰にも予想出来ませんでした!それを責めるのは余りに酷でございます」
「そうした危険を事前に予測し、未然に防ぐのも冒険者の仕事だろう?大体、依頼というのはアレに話を聞かせてやるというだけだった筈ではないか?その通りにしておれば何も問題なかったものを・・・わざわざ森に足を踏み入れ危険を招いたのは、あの娘の責任ではないのか?」
セバスはそんな主人の態度にもカレンを何とか擁護しようと、さらに彼に詰め寄っている。
彼はあの森は安全であり、あのような魔物が現れるなど誰も考えなかったと主張するが、そうした危険も未然に防ぐのが冒険者の役割だとリータスに簡単に切り捨てられてしまう。
「そ、それは・・・お嬢様がどうしてもと」
「ふんっ!アレがどんなにせがもうと、止めるべきだったな・・・それを見過ごした、それがこの結果だセバス!!!」
リータスの言葉に、セバスはレティシアが強くせがんだために止められなかったと言葉を濁す。
そんな彼の態度に再び机へとこぶしを叩きつけたリータスは、その手を窓へと向ける。
その先にはこの館の中庭が広がっており、そこには彼の愛娘レティシアの姿もあった。
「はぁ、トージロー様・・・今、何をしてらっしゃるのでしょうか?お会いしとうございます・・・」
空気を遮断する窓と隔てた距離にその囁きは聞こえなくとも、両手を組みうっとりと空を見上げるそのレティシアの姿に、彼女が誰かに恋い焦がれているというのはリータス達にもはっきりと伝わっていた。
「元々、アレを冒険者に関わらせるなど反対だったのだ!!しかしアレが余りにしつこいのと、相手が同年代の女だからと許してみれば・・・こうだ!!私よりも年上の爺に懸想するだと・・・ふざけるんじゃない!!!」
更にこぶしを机へと叩きつけ、何度もそれを繰り返すリータスは、目を血走らしては怒鳴り声を上げている。
それは彼がカレンを罰したのが、レティシアを危険に晒したことが原因なのではなく、それこそが理由なのだとはっきりと示していた。
「ふー、ふー、ふー!!大事な、大事な愛娘だ。『もうパパと一緒にお風呂入りたくない』などと言われた日には、一週間寝込んだほどに愛しい娘だぞ!!それが、それがどこの馬の骨とも分からん爺に奪われるだと!!?そんな事が許せるかぁぁぁ!!!!」
机に思いっきり叩きつけ過ぎたせいか、その指先から血を流し始めたリータスは、それを机に打ち付けたまま怒りを吐き出すように荒い呼吸を繰り返している。
しかしそんなもので収まる怒りではなかったのか、彼は頭を激しく掻き毟り始めると、またしても怒鳴り声を上げていた。
「だ、旦那様!?いけません、それ以上興奮なされては!!また倒れてしまいます!」
リータスの激しい怒りにセバスは慌てて彼に駆け寄ると、それ以上は危険だと彼を羽交い絞めにしていた。
そして何とか落ち着いたリータスは、そのままセバスによって元々座っていた椅子へと座らされる。
「はぁ、はぁ、はぁ・・・セバス。いいか、セバス?あれに、エセルバードの孫とやらに、これ以上好きにやらせるな。ギルドに圧力を掛けるでも何でもいい・・・奴から活躍の場を奪うのだ。奴が冒険者として活躍し、もう一度レティシアに近づかんようにな。そうすれば、あのトージローとかいうくたばりぞこないの事も自然と忘れよう・・・」
セバスに椅子へと無理やり座らされたリータスは、荒い息を何とか整えると、セバスを自らの口元へと手招いている。
そして彼は、カレンから名誉挽回の機会も奪うのだとセバスに命令していた。
「は、ははっ!畏まりました」
その言葉に、セバスも頭を下げては了承を返すばかり。
如何にカレンに味方したいと思っていても、彼の主人は目の前の男、リータスなのだ。
その彼のはっきりとした命令に、逆らう事など出来よう筈もない。
「ふ、ふふふ、ふふふふ・・・見ていろよ、エセルバード。いつまでもお前の好きにさせていたわしではないのだぞ・・・」
セバスも下がり、一人椅子にどっかりと座るリータスは、窓の外の景色を見詰めながら一人呟く。
その瞳には、鈍く昏い光が宿っていた。
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