貴族の少女レティシア
「アシュクロフト様、こちらでお待ちください。今、主人を呼んで参りますので」
立派な屋敷の中には、それに相応しい立派な庭園が広がっていた。
そこには様々な植物が咲き誇っており、その中にはカレンが見たこともないような、不思議な形をした花々も混ざっていた。
その庭園の中心と言ってもいい場所にある東屋へと案内されたカレンに、執事は椅子を引いてはそこで待つように伝えている。
「ひゃ、ひゃい!!ど、どうじょ、お気遣いにゃく!!」
そんな彼の真摯な態度も、それに慣れないものからすれば緊張を加速させる仕草にもなる。
ギクシャクと勧められた椅子に座り、素っ頓狂な声で返事を返した彼女の姿に、それは火を見るまでもなく明らかであった。
「あぅ・・・思いっきり噛んじゃった。変な子だと思われたかな・・・?」
カレンが席に着いたのを確認すると、そのまま素早く身を翻し主人を呼びに行ったその執事に、彼女の素っ頓狂な振る舞いに対する反応は窺えない。
その後ろ姿を見送っては不安そうな表情を浮かべているカレンは、思いっきり噛んでしまった舌を痛そうに伸ばしていた。
「お嬢様、こちらでございます」
「ありがとう、セバス。ここはもういいわ、貴方は下がっていてくださる?」
「はっ、畏まりました」
実際にそこが痛い訳ではないのであろうが、そうする事で緊張を解そうとしていたカレンはしかし、聞こえてきたそのたおやかな声に慌てて背筋を伸ばしていた。
「っ!?痛たた、本当に噛んじゃった・・・うぅ、来ちゃった。ど、どうしよう!?実際に見たら、思ってたのと違うっていきなり帰されちゃったら!うぅん、それだけならまだいいよ!マナーとか全然知らないだから、失礼な事しちゃうかも!もしかしたら、それが原因で捕まって処刑なんて事に・・・ぶるるっ!?こ、この格好、変じゃないよね!?この爺臭い杖とか、失礼に当たるかな!?えーい、こんなのこうだ!!」
舌を出したまま慌てて背筋を伸ばしたカレンは、その勢いに出したままの舌を本当に噛んでしまう。
その痛みに涙を浮かべたカレンはしかし、それどころではないと激しく慌てていた。
周囲に人里すらない山奥の僻地で暮らし、その神殿の中の世界しか知らなかったカレンに、淑女としての振る舞いなど期待するまでもない。
そんな彼女にとって、貴族の御息女という存在は強大な魔物よりももっと恐ろしい存在に思えていた。
そんな相手が近づいてきたことに混乱するカレンは、椅子の傍らに立て掛けていた祖父の形見である霊杖を爺臭いと放り投げてしまっていた。
「あら?あらあらあら?まぁ、これは・・・」
混乱の極みにあるカレンが祖父の形見の杖を放り投げたのは、今回の依頼主である貴族の少女、レティシアの足元であった。
やけに硬質な軽い音を立てて転がるそれに、レティシアは不思議そうに首を傾げると、驚いた様子でそれに手を伸ばそうとしていた。
「ひっ!?しゅ、しゅみましぇん!!こ、これは、でしゅね!?違くてでしゅね!決して、貴方を害そうとかしょうゆう意図は―――」
相手の足元に向かって、自らの得物を投げつけた。
そんな宣戦布告と言っても過言ではない行為を結果的にしてしまったカレンは、それを理解すると息を呑み、退いた血の気にその顔を真っ青に染めてしまっている。
彼女は慌てて、土下座をする勢いで頭を下げているが、その謝罪の言葉も緊張のためかそれとも先ほど噛んでしまった影響なのか舌が回っておらず、何を言っているかもよく分からない有様であった。
「もしかして、あの霊杖ユグドラシルではございませんか!!?」
「・・・えっ?」
そして必死に頭を下げ、次にやってくる言葉に怯えていたカレンに掛けられたのは、予想もしない言葉であった。
その声に呆気に取られ顔を上げたカレンが見たのは、子供のように目を輝かせて、転がった杖に手を伸ばそうとしている黒髪の少女の姿であった。
「あ、あの!これ、触ってもよろしいでしょうか!?冒険者にとって、自らの得物は命よりも大切なものなのは重々承知なのですが・・・その新聞の記事を読んでから、私どうしてもこれに触ってみたくて!!」
「あ・・・どうぞ、ご自由に」
キラキラと輝く瞳をこちらに向けては、興奮した様子でカレンの杖に触りたいとお願いする黒髪の少女は、その妖精のような美しさと身に纏っているものの豪奢さえなければ、ただのミーハーな少女と変わりなかった。
その少女、レティシアに場合によっては処刑されるかもしれないと恐れていたカレンは、その余りに想像と違う反応に呆気に取られ、ポカンとしてしまっている。
そのためか、彼女の口から漏れた許可の言葉は、貴族に対するものとすれば有り得ないほどにぞんざいなものであった。
「本当に、よろしいんですか!?触れますわよ、私触れてしまいますわよー!!はぁ、はぁ、はぁ・・・はうぁ!!?」
「っ!?だ、大丈夫!?」
カレンの許可に、声を跳ねさせたレティシアは興奮した様子で息を荒げると、ゆっくりと床に転がった霊杖へと指を伸ばしていく。
そしてそれが触れるか触れないかという刹那に、彼女は悲鳴を上げると腕を引っ込めてしまう。
「ピリリと来ました!ピリリと来ましたわ!!持ち主を選ぶ杖というのは、本当だったのですね!!?キャー!凄い凄い!!流石は伝説の冒険者、エセルバード様の杖ですわ!!カレン様!エセルバード様が、これで吸血鬼ドラクロワを封印したというのは本当なのですか!?何でも、あの恐ろしい吸血鬼もエセルバード様とこの杖の力を恐れたとか・・・」
「え、何それ?初耳なんだけど・・・?」
「え、そうなのですか?では、これであの必殺のカレンファイヤーを放ったというのは!!?」
「へ?な、何の話をしているのレティシア?カレンファイヤーって、そんなの聞いたことも・・・」
レティシアが突然上げた悲鳴にカレンが慌てて駆け寄ると、彼女はさらにその瞳をキラキラと輝かせては、嬉しそうに伝説は本当だったと叫んでいる。
確かに以前、祖父の弟子を名乗ったデリックが同じような事を話していたと、レティシアの反応に納得したカレンに、彼女はさらに訳の分からないことを言い出していた。
「御存じありませんの!?ほら、つい先日カレン様がデリック様と共闘された際に、あのフォートレスオーガを倒すために放った必殺技ではありませんか!?あぁ、背中合わせで戦う隻眼の英雄と、うら若き金髪の乙女・・・私、実際にこの目に見とうございました」
「あぁ、そんな風になってるんだ・・・背中合わせって、実際は一人で戦わさせられたのに・・・」
それにカレンが疑問を口にすると、レティシアは激しく食いついてきては詳しく説明し始めていた。
そして彼女は記事に書かれた内容を思い浮かべては、うっとりと両手を組み合わせ陶然としている。
「あぁ!?」
「えっ!?な、なに!?あ、うん!嘘々!無理やり戦わさせられたとか、スパルタ特訓に付き合わされたとか、そんな事ないから!!」
記事の内容とは違う、夢のない現実についてカレンがぼそりと呟いていると、レティシアが突然驚いたかのように声を上げる。
それに驚いたカレンは、それが自分の言葉を聞かれたからだと考え、慌ててそんな事はないのだと言葉を重ね、更に墓穴を掘ってしまっていた。
「そ、その興奮してしまって・・・ご不快だったでしょうか?初めて会ったばかりだというのに、カレン様などとお名前を呼んでしまい・・・」
「あ、何だそんな事か。別にいいよ、カレンで」
「まぁ!?よろしいのですか!?でしたら、私の事もぜひレティシアとお呼びください!!あぁ、私ったら立ちっぱなしで・・・すぐにお茶の用意を致しますわ!!カレン様は席に座って、お待ちくださいませ!!」
カレンの焦りとは裏腹に、レティシアは了解もなく彼女を名前で呼んでいることを気にしていただけであった。
そんな事かと安堵したカレンはそれにあっさり許可を出し、それに胸を撫で下ろしたレティシアは、今度はおもてなしもせずに話し込んでしまったと慌ててお茶の準備をし始めていた。
「あれ?もしかして・・・楽勝じゃない、この依頼?」
そんな彼女の姿を目にしながら、カレンは呟く。
思っていたよりもこの依頼、楽勝だぞと。
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