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散々悩んで、知恵熱まで出して、2日後復活した私は、もはや後戻りはできないと開き直った。とりあえず当日を乗り切ることに全力を注ぐ。その後のことはそれから考える。
私は生徒会室の扉を勢いよく開けた。
「お疲れさまです。お休みもらっちゃって、ご迷惑をおかけしました!」
「アルマ、もう大丈夫なのか?」
「大丈夫です。ほら、この通り」
私は力こぶを作った。実は服の下はそれなりに筋肉がついているが、袖に隠れて見えはしない。ただのポーズだ。
シルヴィスは安堵に表情を和らげた。一つひとつの言動が完璧すぎて怖い。どうやって人の動作をコピーできるようになるまで観察したのだろう。……多分考えてはいけない領域だ。
「それじゃあ、今日はこれを頼むよ」
「了解でーす」
緩い返事をして、私は書類を受け取った。
襲撃が何日にあるかまでは、小説の中で語られていない。ただ、アッシュとエレインとアルマが学園に揃っていることだけは確かだ。発生時刻は夕暮れ時。
小説の中でアルマが所属していた手芸部の活動があるのは週2日。午後魔法理論と剣術の授業がない日をピックアップすれば、候補日はおのずと絞られた。
Xデーは5日後だ。
エレインはアッシュの耳を引っ張って強制的に歩かせていた。
「アッシュ、今日という今日は逃がさないんだから! 絶対に一緒に勉強するからね!」
「いたたたた、わかったって、離せ!」
「離したら逃げるでしょ。ほら、さっさと座って!」
ちくしょー、いちゃついてやがるぜ。私は“喧嘩するほど仲が良い”を体現している2人をアルカイックスマイルで眺めた。前世でも今世でもろくに恋愛経験がない自分が悲しくなるが、この光景を見るのは嫌いじゃないんだよなあ。
2人に相談することは何度も考えた。自分の作戦が穴だらけなのももうわかっている。けれど、これ以上物語の流れを変えるのが恐ろしくて、私は結局一人で抱え込むことにした。
世界を救えるなら、私が死んでしまっても、まあいっか。そんな心境だ。
強制的に座らせられたアッシュが側に立つ私を見上げた。
「アルマ、最近よくシルヴィスと一緒にいるんだって?」
「ああ、うん。そうだよ。それが?」
「俺、今日から放課後の警備頼まれたから世話になるかも」
「会長に頼まれたの?」
「そうだよ」
私の問いにアッシュが頷く。このタイミングで加えられるとは、シルヴィスはついにアッシュに標的を絞ったのだろうか。
エレインが不安を露わにアッシュに言う。
「魔獣の件で? そんな、危ないじゃない。怪我するかも」
「でもやれる奴がやらないといけないだろ?」
「……じゃあ、毎日私の加護を受けて。じゃないと許さないから」
「心配性だなあ。わかったよ」
アッシュは無愛想に言ったが、金灰色の目は愛しくて堪らないという想いを隠せていない。最初はエレインからの一方通行だった。けれど、一途に自分を慕う少女に、いつの間にか彼も惹かれていたのだ。
特等席で2人の恋模様を見られる幸運に、私は感謝している。
「そうだ、エレインに聞きたいことがあるんだった。最近変なことってない?」
「変なことって?」
「誰かに呼び出されたり、絡まれて怪我したり……」
私の唐突な問いかけに、エレインが怪訝そうに私を見る。
「そんなことないわよ。何だか変に具体的だけど……もしかしてアルマがされたんじゃないでしょうね」
エレインの目が剣呑に細まった。
「シルヴィス先輩と仲がいいからやっかみを受けているの?」
「違う違う! そんなことないよ」
「もし何かあったらすぐに言ってね。私がぶっ潰すから」
将来の聖女らしからぬ物騒なことを言うエレインに、私は引きつった笑みを返す。アッシュも過激なんだけど、エレインはエレインで十分その相方にふさわしい性格をしている。
「エレインはアルマのことが本当に好きだよなあ」
「当たり前じゃない。落ちこぼれだった私を見捨てないでいてくれたのは、アルマだけだもの」
「……そのときに俺がいたら、エレインを貶すやつ全員懲らしめてやったのに」
「まあ……」
甘酸っぱい空気を醸し出し始めた2人に、私はまたかとため息をついた。目をそらしたり見つめたりを繰り返す彼らを生温かい目で見守っていると、我に返ったアッシュが私に聞く。
「それはそうと、本当に大丈夫なのか? 何かあったわけじゃないのか?」
「うん、変なこと聞いてごめん」
「何もないならいいけど……シルヴィスは、アルマに対しておかしなところはないか?」
「……優しいと思うけど、なんで?」
「なんか最近変な気がするんだよなあ。それが決まってアルマの話が出たときだから、なんか嫌な予感がして」
「私の話題なんてどうして出るのよ」
「俺たちの共通の知り合いなんてエレインとアルマしかいないからしょうがないだろ。俺の気のせいならいいんだ」
気のせいじゃないよ、とは言わなかった。物語の主人公が「嫌な予感がする」と言ったときは、だいたい当たるのだ。こうやって主人公はフラグを立てるのだなあと頬づえをつき呑気に思う。
シルヴィスがいつも通りにしているから、私は完全に油断していた。
「アルマさん、これの処理頼みます」
「わかりました」
役員に渡された書類を見て、私は目を見開いた。デメテルのネームプレートや残された荷物を処分する段取りが書かれている。デメテルは退学したということ? どうして、なんて、愚問すぎる。
私は他の役員がいなくなるのをじれったい思いで待ってから、シルヴィスのもとへ近寄った。
「会長、これって……」
「どうした?」
シルヴィスは書類を確認すると、ああと何でもなさそうに言う。
「俺のものに手を出したら処分しないとね?」
あどけなく首を傾げると、紫色の絹のような髪がさらりと流れた。いっそ無垢とさえ思えるまじりけのない非情さに、自分の中で警鐘が鳴るのが聞こえる。
私は圧をかけられているような息ぐるしさを覚えながら、呻くように反論した。
「私はそんなの望んでいません」
「俺は俺のしたいようにしただけだ」
「当事者は私のはずです!」
男が静かに立ち上がった。私の本能が逃げ出せと訴える。
シルヴィスは私の前に立つと、腰をかがめて耳元でささやいた。
「当事者が誰とか、どうでもいい。俺があの女を目障りと思ったから、一生見えないところへやっただけ」
「かいちょう……」
「アルマは、俺が何者かわかっているのだろう?」
ひやりと冷たい空気が私の頬をなでる。私は途切れ途切れになりながら、どうにか言葉を紡いだ。
「何者かって……何の話か……」
「今はまだそれでもいい。……それじゃあ、また明日」
シルヴィスは不穏な空気などなかったように表情をやわらかく一変させ、私に扉を示した。私はぎくしゃくとお辞儀をして、よろめきそうになるのを耐えて部屋を出る。
心臓の音がうるさい。絶対に何かがおかしい。シルヴィスも、私も。
身体がぞくりと震えるのは、そう、恐怖のせいに決まってる。