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 いったいぜんたい、どうしたらこの人に恋心を抱けるというのだろう。同じ部屋にいるだけで背筋に悪寒が走るというのに。

 私はお茶を置きながら、議長席に座る男の高貴な顔を盗み見る。


「ありがとう」

「いえいえ~」


 律儀にお礼を言うシルヴィスに、私は気の抜けた笑顔を返した。へらへら笑ってでもいないと逃げ出すか切りかかってしまいそうだから、シルヴィスに対するときはいつも意識的に脱力するようにしている。


「それでは、今回の議題は最近頻出している魔物についてです」


 私が末席に座るのを見届けると、役員たちを見回してからシルヴィスが口火を切った。普段は柔和に微笑んでいる目元が、今は厳しく引き締められている。


「改めて概要を説明します。1件目の発生は約一月前、ヨーテ1体が学園の敷地内に侵入しました。これは偶然入り込んだと見なされて問題視されませんでした。次がその10日後、今度はヨーテ5体でした。教師と警備員が対処し、幸いにも生徒に怪我人は出ませんでした。故意の犯行である疑いが浮上する中、3日前、3件目の事件が発生しました。それがルーフです。俺と、もう一人居合わせた生徒が協力して対処しました」


 誇示するわけでもない淡々とした言葉に、役員たちは感嘆の息を漏らした。

 ヨーテは草原狼に似た魔物である。大きさは大型犬と同じくらいで、単体であればさほど脅威ではない。しかしルーフとなると、見た目こそ森林狼に似ているがそれより更に大きい。ヨーテと比べれば3倍はあるだろうか。

 危険度の高い魔物をたった2人で倒したというのだから、生徒たちが感心するのも無理はない。ちなみに居合わせた生徒はアッシュだが、公にはなっていない。私が知っているのは小説で読んだからだ。


「これが人為的なものであれば、次がいつ起こるかわかりません。また、更に規模が大きいものになると予測できます。よって教員、生徒の中で戦闘に秀でた人に、警備要員として協力を依頼します。異議のある人は挙手してください」


 シルヴィスはよく通る声で話した。反対者は出なかった。

 この重大な事象に生徒会主導で対応しているのは、それほどシルヴィスが教師たちの信用を勝ち得ているからに他ならない。会議室には顧問もいるが、シルヴィスの発言に口を挟む素振りも見せない。

 私は内心で教師たちの怠惰を非難した。そんなことだから、簡単に敷地内に魔物を入れられてしまうのよ。

 他の誰でもない、一連の事件の犯人はシルヴィスなのである。自分で魔物を引き込んで自分で殺し、手柄に変えている。悪魔公爵である彼にならルーフの一体や二体問題にはならない。赤子の手を捻るように始末できるだろう。

 目的は勇者を探し出すため。恐らく前回のルーフのときに、アッシュが勇者である可能性を低くなく見積もったに違いない。しかし確信には至っていないため、次で明らかにしようとしている。それがおよそ半月後にある魔獣襲撃事件であった。

 十数頭が一挙に押し寄せることになるこの事件では、少なくない数の負傷者と一人の犠牲者が出る。しかし事件そのものをなくすことはできない。まさにこれが、アッシュが勇者として覚醒するきっかけとなるイベントだからである。

 イベントがなくなれば、魔王を倒し世界を救う勇者が現れなくなってしまうかもしれない。自分の命が大事でも、そこまで物語の改変をする勇気はない。私はこの世界が好きなのだ。

 私の生死は半月後にかかっている。




「会長、最近遅くまでお仕事されているみたいですね。何か手伝いましょうか~?」


 私は心配顔を作ってシルヴィスに話しかけた。一秒たりと同じ空間にいたくないのが本音だが、背に腹は変えられない。少しでもシルヴィスの行動の規則性を見つけたい。

 シルヴィスは一縷の隙もない美しい笑みを返した。


「ありがとう。それじゃあ、これを手伝ってもらおうかな」

「わかりました。……協力者にどこにいてもらうか、ですか」


 私が欲しいと思っていた情報がそこにはあった。こくりと喉が鳴る。

 逸る気持ちを抑え、何気ない仕草で紙をめくり、あれ、と拍子抜けした。


「アッシュが入ってない」

「どうしてアッシュが入っていると思ったんだ?」


 私はこれ以上ない自分の愚かさを罵った。馬鹿じゃないの、これまでの努力を無駄にする気か。

 私は力なく笑って頬をかいた。


「あー……すみません、実はエレインにちょっと聞いちゃったんです。ルーフを会長と2人で倒したらしいって」

「ああ、君は彼女と親しかったね。アッシュには口止めしておいたのに、しかたないな」


 何とか誤魔化せたようだ。まったく、嫌な汗をかいた。


「アッシュは警戒要員に入ってないんですか? 彼がいたら力になりそうですけど」

「できる限り一般生徒は動員しないようにしている。基本的には教師、警備員、役員から選出しているよ」

「なるほど」


 となると、当日シルヴィスはどうやってアッシュを見つけ出すつもりなのだろう。アッシュ以外の候補者もいるのだろうが。さすがに悪魔公爵といえど、人ひとりを遠くから探し出すことはできないと信じたい。

 小説では、アッシュはシルヴィスに協力を頼まれて持ち場を見張っているところで襲撃を受けた。30もの魔獣に囲まれて窮地に陥った瞬間、彼は勇者として覚醒する。魔獣には何とか勝利を収めるものの満身創痍となったところで、完全に擬態を解いたシルヴィスが現れ止めを刺されそうになる。この登場シーンでアッシュは「シルヴィス、おまえ……!」と叫ぶのだが、それはどうでもいい。

 アッシュは死を覚悟したが、直前で聖女の加護を受けていた彼にシルヴィスは致命傷を与えることはできなかった。それどころか逆に反動を受けて傷を負ったシルヴィスは、心惹かれていたエレインを攫って逃げるのである。

 どうして物語が変わってしまったのだろう。変わったというには些細な変化だが、気になる。


「会長はずっとここにいらっしゃるんですね」

「ああ、司令塔が現場に出るわけにはいかないからね」


 間違いない。トップは全体を見通して状況を把握した上で指示を出すのが仕事だ。その役割を悪魔公爵が担うというのが薄ら寒く感じるが。


「よかったら、しばらくの間アルマは俺の補助をしてくれないか?」

「え? はい、私でよければ喜んでお手伝いしますよ。今日もそのつもりでしたし」


 願ってもない頼みである。一緒にいられれば行動パターンを予測できるし、Xデーに少しでも邪魔できるかもしれない。程合いを見誤れば虫けらを潰すように殺されかねないが、勇者が見つかっていない段階では正体を知られる危険は避けるだろう。

 Xデーさえ乗り越えられれば。あの日はアッシュが戦闘直後で疲弊していたためシルヴィスを止められなかったが、万全の状態ならエレインを守り切れるはずだ。私がエレインを守ろうとして死ぬこともなくなる、そのはずだ。




 私はシルヴィスと行動を共にすることが多くなった。エレインはやっぱりという顔で私をにやにやと見るが、実害はないので放っておく。

 厄介なのは、他の生徒も勘違いしていることだった。こんなふうに、飛びかかる火の粉を払う手間が煩わしい。


「アルマさん、あなた最近シルヴィス様につきまとっているようだけど、ご迷惑をおかけして恥ずかしいと思わないの?」

「シルヴィス様が優しいからって、図々しいわよ」

「同じ役員というだけで調子に乗らないことね」


 放課後の人もまばらな時間帯に、私は3人の女生徒に呼び止められて、嫉妬心剥き出しの言葉を浴びせられていた。私のことが羨ましいならいつでも代わって差し上げたい。もれなく死亡フラグ付きだけれど。

 絡まれるのは面倒ではあったが、話している相手が嘘をついているかどうか一発言ごとに探る必要がないのは気楽だ。ただ悪意をぶつけられているだけなのだから。

 シルヴィスと話すときは気が抜けない。基本的には全て嘘をついているものだと思っているが、本当のことが混じっていないとも限らない。数日前にやらかしたようなミスを犯さないためにもずっと気を張っているから、自室に戻ったときにはぐったりと精魂尽き果てている日々だ。

 さて、どのタイミングで切り上げようかと頃合いを見計らっていると、反応を見せない私に業を煮やした女生徒の一人が手を振り上げた。躱すことは簡単だが、これで怒りが収まるならいいかとあえて平手を受ける。

 バチンと重たい音が響いた。思ったよりも強い力で頬を張られた。口の端から血が伝うのを感じて舌で舐めると、鉄の味がして気持ち悪い。指輪は外しておいてほしかったなあ。

 私を殴った女生徒は、唾が飛ぶ勢いで私にまくしたてた。


「なんの取り柄もない庶民のくせに、私たちのシルヴィス様に近づくんじゃないわよ! シルヴィス様だけじゃないわ、アッシュ君にまで取り入って、恥ずかしいと思わないの!?」

「ちょ、ちょっと、さすがにやりすぎよ」

「うるさい! あなたたちだって思っていることでしょう。エレインとかいう女は美人だからいいけど、あんたなんか私より上なところ何もないじゃない!」


 連れの生徒に諫められても痛罵は止まる様子がない。自分と同じレベルの女が人気者に近づいているのが許せないようだ。すごく真っ当に悪役してるなあと私はかえって感心した。悪役としては小物だが、ヒロインに対する悪役としてはこれぐらいがちょうどいいのだろう。

 そこで私は引っかかりを覚えた。聖女であるエレインは、小説上で絡まれ怪我をするシーンがある。しかし、あくまで脇役のアルマにはそんな描写はなかったはずだ。書かれていなかっただけで実は起こっていたのだろうか? 手芸部で目立たずに活動しているアルマは、本来なら生徒会長とは接点がない人間である。生徒会に入ったことで、物語が変わっているのかもしれない。

 顔をうつむけている私は傍から見たら怯えて身を縮めているように見えただろうが、実際は物語との齟齬について考え込んでいた。エレインが既にこのエピソードを終えているのか確認したい。

 ふいに、この数日で不本意にも耳に馴染んでしまった麗しい声が背後からかけられた。


「何をしているんだ?」


 声を聞くだけで電流が走ったように腰が痺れた。だから、不意打ちは止めてほしいんだって。反射的に腰の短剣に伸びた手を、そうと気づかれないようにさり気なく戻す。

 悠然と歩くだけで気高さを放っているような男は、私の顔を見てほの暗い笑みを作った。真面目で温厚な生徒会長のする表情ではない。暴力的なまでの艶めかしさと妖しさを併せ持つ、危険な香りのするものだった。

 魔性だ。私はその色香に中てられそうになり、喘ぐように呼吸した。女生徒たちは頬を染め、既に心ここにあらずの状態になっている。


「シルヴィス様、ご機嫌うるわしゅう……」

「ご機嫌がいいはわからないけれど。さて、俺の可愛い後輩を虐めているように見えるが、何をしている?」

「虐めてなんて……! ただちょっと忠告をしていただけで……」

「先輩方に仕事ごくろうさまって労ってもらってたんですよ。ねっ、そうでしょ、先輩」

「え? ええ、そうです!」

「じゃ、そういうことで」


 私はシルヴィスの手を引いてその場を後にしようとする。が、舞台の幕は閉じてくれなかった。あろうことか、私を殴った生徒が私たちを呼び止めたのだ。


「お待ちになって! シルヴィス様がその生徒に優しすぎるせいで、その子が付け上がるのよ! あなたにその平凡な子は似合わないわ!」


 私は空を仰ぎたくなった。被害者が黙して場を収めようとしているのに、どうして加害者側が事を荒立てようとするのか。

 シルヴィスはゆっくり振り返ると、新緑の双眸を狭めて息を荒げる女生徒を射抜いた。


「君、名前は?」

「デメテルですわ」


 シルヴィスに話しかけられた快挙に頬を上気させて、デメテルが名乗る。


「デメテル、二度と俺の前に現れるな」


 シルヴィスの声が奇妙に重なって聞こえた。デメテルは命じられたとたん虚ろに目を伏せて、操り人形のようにカクカクとした動作で振り返り歩き始めた。あっけにとられていた女生徒2人が、私たちを気にしながら逃げるように後を追う。

 私は彼女たちをなすすべなく見送った。


「手、繋いだままでいいのか?」

「……はっ! すみません!」


 私は勢いよく握っていた手を離した。私の焦り具合に、シルヴィスは「そこまで必死にならなくても」と苦笑する。いつも浮かべている生徒会長の笑みだ。私はほっと息を吐いた。正体を隠す気が失せたのかと焦った。


「口が切れてるな」

「あ……ちょっとぶつけちゃって」


 シルヴィスの長い指が私の唇をなぞる。ぞわりと身体の奥がざわめいた。薄く微笑む眼に覗き込まれると、全てをこの人に捧げたいという思いが溢れてくる。

 私は酩酊するように惑う思考を追い払いたくて首を振った。あることを思い出していた。エレインが連れ去られてシルヴィスと2人きりで過ごした間にあった会話だ。


『シルヴィス先輩は、時々とても冷たい笑みを浮かべることがあったわ。私は、恐ろしくて堪らないのにその笑みに惹かれる自分が怖かった。私はアッシュしか好きじゃないのにどうして、とも思ったわ』

『それが魔性というもの。だが、あなたには効かないようだ』


 シルヴィスの瞳は切なさを宿していて、初めて恋い焦がれる女性が自分のものにならないことに絶望していた。そして、半ば飛び込むように勇者の剣に切られて死んだ。

 私は聖女の役割を奪っているのか? 聖女がシルヴィスの心を溶かさなければ、シルヴィスは死なない。悪魔公爵が生き残れば後々魔王を倒す際大きな障壁になるだろう。

 私は立ち尽くした。自分が死なないことばかり考えて、世界を滅亡に向かわせているのだろうか。アルマは聖女ではない。だから、どうしたってシルヴィスの心には入り込めない。


「アルマ?」

「……すみません、今日はちょっと体調が悪いみたいで、先帰ります」

「そうか。ゆっくり休んで。お大事に」


 シルヴィスは心配そうに眉を寄せた。この男が悪魔でなければ。……悪魔でなければ、何だって言うんだ。

 私は自分の感情を置き去りにするように踵を返した。

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