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全4話でさくっと終わります

 生徒会室の扉を開けると、会長の艶やかな美声に迎えられた。


「ただいま戻りました〜」

「面倒な仕事をお願いしてすまないね」

「いいえー、全然大丈夫ですよ」


 無表情ならさぞ近寄り難いだろうと思わせる精緻な美貌は、常にやわらかな笑みを湛えている。私はへらりと笑いかけ、受け取ってきた書類を渡して自分の席に座った。紅茶を持ってきてくれた役員にお礼を言うと、ペンを取りさくさくと持ち分の書類のチェックを始める。

 ティーポットを持った役員が、役得とばかりに会長の席に近づいた。


「会長、お代わりは要りませんか?」

「ありがとう、貰おうかな」


 視界には入れていないが、労いの一言で役員が飛び上がりそうなほど喜ぶのが伝わってくる。

 紫の髪と深緑の瞳を持つ、人間離れした容貌の会長は、役員から――いや、全生徒から絶大な信頼を得ている。信奉者は数知れず。

 私は彼らの歓喜に満ちた顔を見るたびに、会長の正体を暴きたくなる衝動を抑えなくてはならなかった。


 その人ならざる者は、誰にも疑われることなく人間社会に溶け込んでいるばかりか、生徒の代表まで上り詰めた。

 品行方正で頭脳明晰な彼は、生徒だけでなく教師からも信頼が厚い。シルヴィスに任せればどんな難題も片付けてしまう、とは生徒会顧問の発言である。

 シルヴィスはそれに苦笑し、「俺にだってできることとできないことがあるんですけどね」と整った眉を下げて返していた。優秀なのに謙虚、おまけに見目もよいとくれば、生徒会長に推薦されるのは無理もない。


 現在シルヴィスは3年生ということになっているが、果たして本当はいくつなのか。本の中でも年齢には触れられていなかった。ただ、魔王の側近であり寵愛甚だしい悪魔公爵であるとしか。


「さてと、今日の仕事は終わったので先に帰りますね。会長はまだ残られますか?」

「そうだね、もう少し片付けてから帰るよ」

「それじゃあお先でーす」


 間延びした挨拶をして私は廊下に出た。扉を閉めると震える手で口元を押さえ、急激に込み上げる吐き気を飲み下す。自分を殺すことになる相手を前にするのは、精神が蝕まれるような苦痛を伴う。

 いや、まだ殺されると決まったわけではない。それを回避するためにここにいるのだ。



 私だけが、シルヴィスが人ではないと知っている。

 知っていると、知られてはならない。



 私が前世の記憶を思い出したのは、自分の名前がアルマ・ベイカーと認識したときだった。

 リンディアム戦記というライトノベルにアルマは登場する。この小説の主人公である勇者アッシュと聖女エレインは、旅を通じて仲間を増やしていき、最終的には魔王を倒す。

 小説は学園編、仲間探し編、決戦編の三部に分かれているが、アルマは学園編にしか出てこない。途中で悪魔公爵シルヴィスに殺されるからだ。

 魔王は学園の生徒の中に己を滅ぼす勇者が現れると予言したが、まだ勇者は覚醒していなかったため特定には至らなかった。シルヴィスは魔王の命を受けて生徒に身をやつして学園に潜入し、勇者を探す。

 シルヴィスは人間に完璧に擬態した。

 小説の序盤、私が一番夢中になったキャラはシルヴィスである。だから、敵だとわかったときはアッシュと一緒に「シルヴィス、おまえ……!」と叫んだ。だってそんな気配微塵も出してなかったのだ。主人公たちとともに見事に騙された。

 でも、憎らしいことに敵であるとわかってからも魅力的なのは変わりなかった。最初は主人公たちを見守り影に日向に支える包容力で気に入り、裏切り後は利己的で快楽主義で情の欠片もないというそれまでとのギャップに悶え、聖女に惹かれていく己に戸惑う姿に胸を打たれ、最後の最後に人間味を覗かせながら死ぬ場面で涙した。

 しかし、しかしだ。私が殺される立場になるとなれば、「滾る!!」などとは言っていられない。

 ついに勇者の特定に成功したとき、シルヴィスは魔王の命に従って勇者を殺そうとしたが失敗する。代わりに心惹かれ始めていた聖女を連れ去る。それを阻止しようとして殺されるのがアルマの最大の見せ場であった。一推しキャラに殺される最期なんて、あまりに辛すぎる。

 私は少しでも即死を避けるため、記憶を取り戻したときから体を鍛え始めた。今となっては女らしからぬ剣術を身につけている。

 けれど、悪魔公爵の前では焼け石に水だろう。殺されないためにはどうすればよいか、私は考えた。

 エレインと初めから親しくならないようにしようか? でもそうすると、アルマの役目である勇者と聖女をくっつけるお助けキャラがいなくなる。

 アッシュが勇者だとバレないようにするのはどうだろう。勇者覚醒イベント自体を潰すことはできないが、これならばシルヴィスをイベントシーンに近づけなければ何とかなるかもしれない。

 私はシルヴィスの行動をできるだけ把握するため、生徒会に入った。




 昼休憩の時間になると、一気に空気が弛緩する。生徒たちがそれぞれ親しい友達のもとへ駆け寄り、きゃらきゃらと弾むような声を上げて教室を出て行った。

 教科書をしまい終わったとき、私の前の席に座っているエレインが弁当を手に後ろを向いた。私の机で2人で昼食をとるのが毎日恒例のスタイルだ。


「まったく、アッシュったら今日も授業をさぼって! どこをほっつき歩いているのかしら」

「今日も午前中来なかったねえ。魔法理論の授業があったから、予想はしてたけど」

「確かに先生の態度は目に余るけど、このままだと留年してしまうわ。卒業する気がないわけではないはずなのに……。今度こそ、どういう進路を考えてるのか聞き出さないと」


 エレインが憤然としながら弁当をつつく。

 アッシュはあまり真面目なタイプではない。やりたくないことは平気でさぼる精神的な幼さの残るアッシュを、エレインはその生真面目さからよく非難する。だけど本心では彼のことを心配していて、碧い瞳はその姿を探して揺れていた。

 魔法理論の教師だけでなく剣術の指導役にも嫌われているのでこちらもまともに授業を受けたことがないが、それでも剣技、魔術ともに学園トップクラスの腕を持つのはさすが未来の勇者である。きっと独りで鍛錬しているのだろう。

 自由奔放で喧嘩早いところがあるが、生来面倒見がよくて彼を慕う者は多かった。

 クラスメートが詠唱を間違え魔法を暴発させる寸前だった際に、瞬時に韻を読み打消しの魔法と周囲を守る魔法を同時に展開して的確に場を収めた後、真っ青になり立ち竦む男子生徒を慰めるどころか胸倉を掴んで罵倒し(「半端な知識ひけらかすんじゃねえ馬鹿野郎! プライドで人殺す前に学園やめちまえ!」)、それで終わりかと思いきや実はこっそりと指南していたというエピソードがある。わかりにくい優しさは、一部生徒に熱狂的なファンを生み出し、じょじょに広まりを見せていた。

 学園編でアッシュが人間的に成熟していく様が描かれるので、今はその途中というところだ。


 私はエレインの小言に適当な相づちを打ちながら、もさもさとサンドイッチを頬張った。

 アルマは本当だったらアッシュに恋する当て馬的存在なのだが、いつ殺されるかも知れない人生で惚れた腫れたをやっている余裕はないので、頑張れよという感想しか浮かばない。自然私の返答は淡泊になる。

 何気なく窓の外に目をやったエレインが「あっ」と声を上げた。


「アッシュだわ! シルヴィス先輩といるわね」


 私はその名前を聞いただけで自分の身が強張るのを感じた。不意打ちに弱い。

 エレインに悟られないように細く息を吐き、私も窓の下を見た。アッシュはシルヴィスと向き合って何事かを真剣そうに話している。


「ほんとだ。どうしたんだろう」

「アッシュが不真面目すぎるからシルヴィス先輩に怒られているんじゃないかしら? ガツンと言ってほしいわ」


 エレインがこぶしを上げてシルヴィスに声援を送った。彼女の動きにつられて白銀の髪が揺れる。

 輝きを放つしろがねの髪と澄み切った青空のような蒼眸、整った目鼻立ちは私が想像する聖女そのもので、神様が自らお造りになったと言われても納得してしまいそうだ。翻って私は、赤褐色の髪とライトグレーの瞳で、正直パッとしない。前世に比べたら大分美人ではあるのだが。

 私とエレインが頭上から見ていることなど知りもせず、アッシュはシルヴィスを残して去っていった。名残惜しそうに後ろ姿を見送ってから、エレインがとんでもない爆弾を落とす。


「シルヴィス先輩に声をかけなくていいの?」

「えっ、どうして?」

「だって、アルマはシルヴィス先輩が好きなのでしょう?」


 当然そうに小首を傾げられるので、恐ろしさすら感じながら首を振る。


「そんなわけないじゃん! なんでそんなふうに思ったの」

「だって、アルマってばいつもシルヴィス先輩を目で追いかけているもの。恋する乙女の顔よ?」

「……すっごい勘違いだよ。生徒会長のことは尊敬してるけど、好きとかそんなんじゃない」

「誤魔化そうといったってそうはいかないわよ」


 この年頃の少女らしく、エレインは恋話に目がない。お見通しと言いたげにしたり顔で断定するが、私がシルヴィスを見るときの気持ちは『いつこの人は私を殺すのか』という恐怖に占められている。もちろん顔には出していない。


「恋する乙女の顔は自分の顔を鏡で見て来なね」


 私がからかうと、エレインは一気に顔を赤く染めた。目を逸らして指をいじいじと弄ぶ。


「……アルマはいじわるだわ」

「エレインが的外れなことを言うから」

「本当に違うの? 生徒会役員はすごい倍率じゃない。シルヴィス先輩が会長になってからは特に。そのわりに見返りは少ないのに、面倒臭がりのアルマが役員を辞めないのはシルヴィス先輩が好きだからだと思っていたわ」


 エレインが身を乗り出した分、私は引いた。

 色恋事を抜かせば、エレインはさすがに親友とあって私の性格をよく理解している。私が役員の座にしがみついているのは、何らかの目的があってのことと気づいているのだ。

 私は何食わぬ顔で肩を竦める。


「それはほら、生徒会やっておけば内申点がよくなるでしょう?」

「アルマなら役員なんてやらなくても十分いいと思うけど……」

「学年トップの方にそう言っていただけるとは光栄の至り」

「もう! 茶化さないで」


 エレインが怒るので私は「ごめんごめん」と謝った。エレインは頬を膨らませたが、我慢できずにすぐに笑み零れる。花がほころぶような笑顔だった。

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