始まりの血
エステル国の始まりは約一万五千年前、一人の少女が生まれた瞬間からである。
少女は物心ついた時には自らを自身が作った空間の中に置いた。辿々しくしか歩けなかった少女が生きる術はそれ以外なかったのだ。母や父は知らぬ。気づいたら一人だったのだ。
しばらくしてから一人、また一人、と空間に入れる人間が増えた。ただ単に、その時は人の形をしてるから、という理由で空間に入れてあげていた。仲間が欲しかったのである。
が、少女は気づく。自らが空間に入れていた人間は自分と同じく、精霊を形造る要素の一つである魔力を持っていた。
少女は自身にエステルと名をつけて国を作った。ありったけの魔力を注ぎ込んで作ったその空間は地球の大きさと大差なく、しかし、精霊の国の少し近くに作ったためか、地球よりも圧倒的に魔力を含んだ土地となった。
何千年か経ってエステルに住む人間が六人になった時、エステルはその人間たちを「魔女の始まりの血」とした。女でなかった者もいたが、エステルには関係なかった。自分が女だから、“魔女”なのだ。
やがて魔女は魔女と、あるいは人間と交わり、子を成した。ところが魔女というものは血が混ざるほどに魔力が減っていくのである。エステルの子供でさえも、エステルの半分ほどの魔力しか持たずに生まれてきた。
大半の“始まりの血”は人間と比べて圧倒的に寿命が長かったが、その中でエステルは群を抜いていた。数千年経ち、“始まりの血”は一人、一人、と姿を消し、彼らの功績や存在は伝説じみたものとなったが、その中でも圧倒的な魔力量と寿命を誇るエステルは至高の魔女とされた。
「それがこの国の女王だ」
「え、まだご健在なんですか?」
「ああ、なんなら梅より見た目は若い」
一万年以上生きていてまだ見た目が少女とは一体どのくらい生きるのだろう、と梅は目を丸くする他ない。
「先生が皇太子ってことは、先生はその女王の息子ってこと?」
「そうだ。だから俺の得意なのも空間魔法だぞ」
「魔法にも得意不得意があるんですか?」
「ああ、“始まりの血”と呼ばれる魔女の始祖達はそれぞれ得意分野がある。例えばダグラス・カーライルは造形魔法の第一人者だ」
「先生のめっちゃ苦手なやつね」
リアはポケットから海野にもらった鍵をチラつかせ頭を叩かれている。
「ニコラ・セイヤーズは召喚魔法に長けていたと聞く」
「…亡くなっているのですか?」
「ああ。セイヤーズ家は魔女の中でも短命の種でニコラは千年と少しで亡くなったらしい。彼女はかなり博識で賢く、考案した召喚魔法は世紀の発明とさえ言われているがな」
「イザベラさん?だっけ、あの人ってもしかして先生が召喚したの?」
「そうだよ、イザベラは精霊だ」
あの白く美しいイザベラという人はなんと馬に変化して馬車を引いてくれている。
「そう、ニコラ含め“始まりの血”の六人のうち四人は亡くなっている…と世間ではされているんだが」
「?」
リアが真顔のまま首を傾げる。
「リアの母親は三百年前に死んだとされるエリーザ・ガルシアではないかと、俺は思っている」
「…私がまだ九十九歳だから、三百年前というのは変だね」
海野がコクリと頷く。
「それにエリーザはまだ生きていると、女王は考えている。ほぼ勘だがな」
「生きていてもらわなきゃ困るよ。私に呪いをかけたっていうのがその女なんでしょ?とっ捕まえて話聞かなきゃ」
「物騒だな、お前。言っとくが会ってもエリーザには勝てないと思うぞ」
「なんてこった」
リアは肩をすくめてみせる。
「リアのお母様、エリーザさんの得意な魔法はなんだったのですか?」
「攻撃魔法だな」
「うわ、物騒」
「ちゃんと遺伝してるよな。と言っても、エリーザはあまり魔法を使うことはなかったが」
「攻撃魔法って全然よくわからないけど、そんなもんぽんぽん使ってたら危なすぎるでしょ」
「ああ、それもあるが」
海野がニヤリと笑ってみせる。
「その話術と美貌は世界史における悪女全てがエリーザだったのではないかと言われるほどだ」
「…勝てなさそう…」
「リアにはそんな風にならないで欲しいです…」
「全くだ」
梅は海野がリアに過保護になる気持ちがわからないでもなかった。リアは綺麗だ。どんな時代においても大抵は美人とされるのではないだろうか。その母親なら悪女もあり得なくない。
「あっ!梅ちゃんのご先祖さまはどんな人だったの?やっぱり綺麗な人?」
「梅はおそらくリリー・フェネリーの子孫だと思われる。リリーは“始まりの血”の中で一番若く、治癒魔法に長けた人だ。彼女には子供がおらず、子孫はいないとされてたんだが…」
そう、海野の執務室で見た本には梅と瓜二つの少女の姿が載っていたのだ。海野と梅は目を見合わせる。
「おそらく人間界でリリーは何かあったんだろうな。数百年前から塞ぎ込んで姿を見せていないんだ。定期的に王宮にリリーお手製の薬が寄付されるから生きてはいると思うんだが」
今どこにいるのか、何をしているのか、それは誰も知らないという。
「…私はその人の子供ではありません。確実に母に産んでいただきました。父も立ち会ったそうですから」
それで問題が生じたのだが。
「母が両家の家系図を調べた時、リリー・フェネリーという人物はいませんでした。でも遡るにも限界があり…もっともっと昔だったのでしょうね。私が彼女に似ているというのは先祖返り…と考えても良いのでしょうか?」
「ああ、そうだと思う。梅のご両親は魔力をほとんど持っていなかった。だが梅はリリーと遜色ないほどに魔力を有している。大抵魔女の子孫は少しずつ魔力を失っていくはずなんだがな」
「つまり、梅ちゃんは特別ってことね!」
「私は特別なんて欲しくなかったのですけれど…」
梅は目を伏せる。リアはものすごい勢いで海野を見て助けを求めた。海野はやれやれと首を振ってため息をつく。
「梅、君の魔力はおそらくリリーと同じく治癒魔法に長けているだろう。治癒魔法は使える者が少ないから、練習して身につければ多くの人の役に立つ。魔女として生きるのだろう、長所があるということは何も無駄にならない」
「はい…そうですよね。ごめんなさい、リアも。八つ当たりでした」
「え、いや、いいの。私こそ事情を知らずに適当なこと言ったから」
リアが真顔のまま必死に首をぶんぶんと振る。
「いえ、私も自分のこと、何も話してませんでした」
自虐のように生い立ちから例の彼氏のことまで話すとリアは急に立ち上がって拳を握った。
「最低…本当にどこにでもいるわよね、変態って。私も十代くらいの見た目をずっとやってるからろくな目に合わないもの」
リアは梅の頭を撫でる。リアは梅の歳くらいからずっとこの見た目で何十年も生きてきたのである。その声には実感がこもる。
「いろんな人と付き合うのは悪いことではないわ。傷つくのもいいでしょう、人生だもの。でもヤケになったり自分を軽く見ることだけはダメよ」
リアはまるでお母さん、いやおばあちゃんのように梅に向き合う。いろんな人と付き合う、という発言で海野がぎょっとしていた。何も知らなかったんだろうかと梅はクスリと笑ってみせる。
「結構私みたいなものでもミステリアスさがいいとかで変な男が寄ってくるのよね。まともな人間関係なんてこの百年全く築けなかったけど恋愛はまた難しくてね、何度も失敗したな」
彼氏はちゃっかりいたらしい。海野が複雑そうな顔を浮かべている。
「まともに生きてみたくてこの呪いを解こうとしている訳だけど、素敵な恋愛もしたいな」
その時、凄まじい強風が馬車を襲う。
「シルヴァンがキレてるぞ」
「うっ」
シルヴァンがどういうつもりなのかわからない、とリアは頭を抱える。
「私も前向きに生きてみたいです」
「梅ちゃん?」
梅は少し後ろめたそうに笑った。
「私たった十六年生きただけで、生に絶望したつもりになって死のうとしました。でもこうしてお話を聞けて、自分がどれだけ狭い世界にいたかわかりました」
「それは仕方がないことだよ、辛い環境にいて辛いと思うのは当然のこと」
「そうなんです。でも私は先生にそんな環境から連れ出してもらったから、今度は生きててよかったって思えるようなことをたくさん経験したいんです」
海野が微笑む。梅は笑い返して言う。
「リアの言う通り、恋愛もたくさんしようと思います。たった一人ダメだったくらいで絶望するなんて馬鹿らしいですもん」
「うん、その意気よ」
「おい、待て、どうしてそうなった」
焦ったような海野の声が心地よくて、久しぶりに梅は声を出して笑った。