魔女の血
海野は自身の執務室の中をグルグル歩き回る。机の上の山積みになった書類をチラリと気にしてみるが集中できないのかまた歩き始める。
執務室とだけ聞いていた梅だが、想像とかなり違っていた。室内はかなり広く豪奢なソファが向かい合うように配置され、間にはガラスで出来たテーブルが一点の曇りもなく光り、存在感を放っている。そこにやたら年季の入ってそうな木の机とソファに比べると質素な椅子が隅に置いてあり、机の上は紙の山でいっぱいであった。そしてこの部屋には左右に二つずつ、計四つドアが付いておりそのどれもがやはり豪華な装飾をされていた。
同じタイミングで移動してきたはずのリアがいなかった。どこへ行ってしまったのだろうと梅は心配になる。
「シルヴァンめ…」
ボソリと低い声で海野がつぶやく。
「シルヴァン?」
「…ああ、おそらくリアはシルヴァンに連れられて精霊の国に行っている」
「精霊…ですか」
「シルヴァンは風の精霊王の息子だ。次期精霊王でもあるが…」
はあっと海野が強くため息を吐く。
「あいつは昔っから俺に付き纏っては『リアに会いたい』とずっと言っててな。リアがまだ子供の頃からずっとだ」
「へえ、子供の頃から…」
一瞬で梅の目が冷たくなる。頭にはおそらく“ロリコン”の元彼が浮かんでいるのだろう。今のリアを連れ去ったのであればシルヴァンはロリコンではないと思われるがそれでも気分は悪い。
「きっとリアのやつも、シルヴァンを気に入ってるだろうなあ」
「…?なぜわかるのです?」
「ははは、シルヴァンは俺の目から見ても美形でな。そんでリアは重度の面食いなんだよ」
「ああ、そういえば私の事も気に入ってくださってましたね」
「だから俺のことが気に入らなくて、色々と文句言ったり面倒事起こすんだ」
(いや、逆では?)
チラリと海野を見やる梅はやはり彫刻のように整った顔に頷く。気に入っていないはずがないだろう。
「先生とシルヴァンさんは旧知の仲なのでしょう?それならさほど心配はいらないのではないですか?」
「ううーん、まあ、悪いやつではない、と思う」
「リアはもう高校生です。人間関係など自分で選べます。それにシルヴァンさんが悪い人でないなら尚の事心配する必要などありませんよ、先生」
うろうろ落ち着かない様子で歩きまわる海野に梅は声をかける。子離れが出来ていない親に言うようなセリフである。
そんな海野がとんでもないことを言い出した。
「ん?ああ、確かにそうだな。…それにリアは高校生じゃないしなあ」
「……え?」
「まだ言ってなかったな。あいつはな、今年で百歳になるんだよ。高校生やってるのももう何回目かもわからない」
梅は目玉が溢れるのではないかというほど驚いた。百歳というと人間であれば天寿を全うしているような年齢である。
「ま、魔女だからでしょうか?」
「そうとも言えるな」
梅はおとぎ話に登場するような魔女を思い浮かべた。重たそうな黒いローブを頭から被って、大きな鍋をグツグツ煮込んでいるような老婆だ。もしかしてリアの本当の姿はその鍋で煮詰めた何かによって若返っているのだろうか。
「…何を想像しているかはわからないが、リアは百歳になってあの姿なんだ。詳しいことはまた後から話すが魔女は大抵長寿の種で人よりも圧倒的に成長が遅いことが多い。梅も、そうだと思う」
「私、も」
「…ああ」
海野は梅を魔女だと言った。梅にはまるで自覚などなかったが“成長”という言葉を出されれば思い当たる節はある。
「私は魔女だから、人よりも長生きで、そしてそのために成長は人と比べて遅い…ということでしょうか」
「そうだ。梅、俺は何歳に見える?」
「えっと、三十代、でしょうか?でも先生も魔女なんですもんね…?」
「ああ、今年で千と六百二十歳、だったかな。」
自分はまだ二十代に見えるだろうとたかを括っていた海野は梅の言葉にこっそりショックを受けていた。確かに最近は仕事ばかりで睡眠時間がなく肌艶が失われている。若く見られたいわけでは決してないが、老いて見られるのはちょっと抵抗がある。
梅はといえば海野のショックどころではない。自分と桁が二つも違う年齢など聞いた事もない。海野がものすごいおじいちゃんに見えてくるではないか。
「千、歳?ええっと先生は何時代から生きてらっしゃるのですか」
「日本でいえば古墳があった頃だろうか?その時は人間界にはまだ来たことがなかったから、よく知らないのだが」
「はあ…それはまた随分と、長生き?ですね?」
「人ごとのように言っているが、梅もリアもおそらく俺と寿命は変わらんと思うぞ?」
「ええええええ!?わ、私もそんな千年とか生きるってことですか!」
「いやニ千年は余裕じゃないか?」
「二千…」
気の遠くなるような長さである。二千年と聞くと、たった十五年しか生きていないのに生を達観した気になって死を選ぼうとした自分はまるで阿呆のようである。
「生存本能からか、動ける体と考えられる精神が育つまでは人間と同じように成長するが、その後はとんでもなく長いぞ。俺は人間で言うところの二十代をもう千年やっているからな」
そして先程の梅の発言で海野の二十代は終わった。あっけないものだ。
ともかく、梅が今まで悩んできた事案の一つは解消された。出来ることならもっと早く教えて欲しかったし、そうすれば母もあれほど狂わなかったと思う。が、過ぎたことである。どうにもならないのだ。
いっそもう一つの悩みの種も解消させてしまおう。そう決意した梅は海野に問いかける。
「先生、私の成長の遅さの原因についてはわかりました。それでは、この色はなんでしょうか?両親はこんな色を持っていません」
梅は髪をつまみ上げる。その白く小さい手には白銀の髪が流れる。海野を見つめる瞳は若葉色に煌めく。
「…初めて梅を見つけたあの夜、少し驚いたんだ。とんでもない魔力を秘めた人間がなぜ今まで気づかれずにいたのかと。…それと」
海野は立ち上がって壁際の本棚からある古びた本を取り出す。そこには梅の知らない言語の文字が並び、時々漫画で見るような魔法陣らしきものも見えた。海野はあるページで手を止める。
「これは千年以上前に書かれたこの国の書物。そしてこの人物は魔女の国の始祖の一人、リリー・フェネリーだ」
そこに描かれているのは白銀の髪を持ち、憂いを帯びた若葉色の瞳をした少女であった。
「君は彼女に似すぎている。おそらく、君は彼女の子孫なのだろう」
癖毛は父に似ていると思っていた。やや垂れた瞳は母に似ていると。でも違ったのだ。梅は耳に響く心臓の音に顔を顰める。恐ろしい、が認めざるを得ない。
リリー・フェネリーという人物は、あまりに梅に似すぎていた。