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時空を超えた想いを繋ぐ使者たち  作者: さかき原枝都は
ファーストステップ・バイオマシン
6/8

1.創世の女神 倉塚 桜

 「ねぇ、雫。あなたにこんなダイレクトメールが来ているんだけど」


 母さんが、そのダイレクトメールをひらひらさせながら僕に見せつけた。


 「ご婚約おめでとうございます。だって」


 それを訊いて、コーヒーを口に含んでいた親父がいきなりむせた。


 「こ、こ、婚約だとぉ」


 「ば、ま、まだだよ。指輪、た、頼んでただけだよ」

 まったく、余計なことをしてくれるリング屋だ。


 住所をここにしたのが、いけなかったのかもしれない。でも書ける住所はここしかないのだから、致し方ない。

 

 僕には恋人がいる。彼女との交際は今年で六年になる。彼女とは僕がまだ、大学生のころに知り合った。


 僕は大学生のころ、行きつけの喫茶店で今まで公表されていた論文を読むのが日課になっていた。

 この店の雰囲気が僕はとても好きだった。

 建物自体が、杉の木であろう木材で建てられていて、カウンターや床、客席のテーブルまでもが全て木で出来ていた。この木のぬくもりが、僕に安心感を与えてくれていた。


 店内には、三世代より前であろうかと思われる曲が静かに流れている。

 その曲は、なぜか僕の心の中に沁み渡る。もうその曲を奏でている人たちはこの世にはいない。でもその声を聴くと心が熱くなる。時にはその曲の切なさが、僕の目を濡らすこともあった。


 彼女は、この店でウエイトレスをしていた。

 彼女の名は倉塚桜(くらつかさくら)

 僕が彼女を意識し始めたのは、彼女が高校三年生のときだった。

 

 「きゃっ」


 ガシャン。彼女の持つトレーからコーヒーの入ったカップが滑り落ち、僕の目の前で割れた。


 割れたカップから流れ出したコーヒーは、僕が読んでいた論文を茶褐色に染めていく。

 「ご、ごめんねさい。お、お怪我ありませんか」

 彼女は、突然滑り出したコーヒーカップを抑えきれず落としてしまった。突然の事で彼女は動揺し、目には薄く涙をためていた。


 「大丈夫? 雫ちゃん」

 奥のカウンターにいた、この店のマスターが駆け寄る。


 「雫ちゃん」この店のマスターは僕の事をこう呼ぶ。小さいころから僕を知っていて、ちゃん付けで呼ぶのではなく、なんて言うか、その、マスターは《《おかま》》なのだ。

 

 僕が初めてこの店にきたのは高校三年の師走だった。

 希望していた大学も推薦で合格し、町はクリスマスムード一色に染まっていた。

 図書館からの帰り道、何気なく僕の鼻をすするコーヒーの香りが、足を止めさせた。


 いつもは、何も気にせずこの店の前を通り過ぎていたんだが……  

 でもその日は何故か、その香りが僕を店の中へと導いた。


 「いらっしゃいませ」


 その男性は、白のオープンシャツに黒のズボンを穿き、サスペンダーをしていた。テーブル席に座ると、水の入ったグラスを持ってきて

 「あら、あなた、図書館によく行く子よね」

 ふと、その人の顔を見ると、薄く化粧をしていて、唇に塗られた薄いピンク色のルージュが目を疑った。


 「ああ、これぇ。別にいいのよ、私こう言う人だから。ところで、ご注文は」


 「ぶ、ブレンド、お願いします」

 「うふふ、ブレンドね。かしこまりました」

 彼? 彼女と言うべきだろうか。カウンターに戻りコーヒーをサーバーし始めた。


 静かに、コーヒの入ったカップが僕の前に置かれた。

 「はいどうぞ、召し上がれ」


 僕は、彼女のいれたコーヒーを軽く口に含んだ。そのコーヒーは砂糖も入れていないのに、かすかに甘みを感じ、柔らかい香りが冷え切った僕の体を穂のかに包み込んだ。

 「寒い日は、暖かいコーヒーが一番ね。ごゆっくり」

 そう言って彼女はカウンターの方へ戻った。


 彼女のその特異的な姿やしぐさに、僕はなんの違和感を覚えることもなかった。この店のコーヒーとその雰囲気が、彼女と一つとなり完結しているからだろう。その日から、僕はこの店に通うようになった。


 「大丈夫ですよ、マスター」

 「あら、でもその書類ダメになったじゃない」


 そのコーヒーが染み渡りぐちゃぐちゃになった書類を見て彼女は

 「本当にごめんなさい」

 深々と頭を下げて誤っていた。


 「もう大丈夫だから、頭を上げてください」


 彼女は静かに頭を上げた。その目は赤く、沢山の涙を流した後がしるされてあった。

 テーブルをふき、汚れた書類をかたずけると、マスターは

 「ねぇ、雫ちゃん。もう一度()れるけど時間大丈夫?」

 「大丈夫です。あっそれじゃ、シナモン入りのミルクティーも追加でお願いしますか?」

 その注文を訊くとマスターは、僕が何をしようとしているかが分かった様に


 「やれやれ、まったく」

 そう言って、コーヒーをサーバし始めた。


 僕の横で、黙って立っている彼女に

 「ねぇ、ちょっと一息入れない。今の時間だったらお客さんもいないし」

 そう言って、彼女を僕の向かいの席に座らせた。


 彼女はまだ、申し訳なさそうに俯いている。

 「そんなに悲観しないでよ。誰にだって失敗はあるさ。それに、今日が初日なのかな?」

 彼女は静かにうなずいた。


 マスターが、コーヒーとシナモン入りのミルクティーを持ってきて「はい、桜ちゃん」静かに、彼女の前にマスターはカップを置いた。


 「え、でも私」

 「いいの、これは雫ちゃんのおごりだから」

 彼女は目を丸くして僕を見た。


 「どうして?」


 「いいじゃないのぉ。彼がそうしたいって言っているんだから。ねぇ雫ちゃん」

 マスターは、僕に軽くウインクをした。


 「マスター!」

 僕は、マスターのウインクに、呆れた様に手を振ってやった。

 「ま、失礼しちゃうわ」

 そのやり取りを見ていた彼女が思わず噴き出した。


 「ようやく笑ってくれた」

 僕は彼女の笑顔を見て安心した。

 「桜ちゃんって言うんだ」

 彼女はうなずいた。

 「僕は、七季雫。大学一年生だよ」


 「知ってる」


 彼女は、顔を上げて

 「マスターが言ってたの。この時間にこの席に座る人は私の弟みたいな人だって。おっきなバイクに乗って来て、いつもこの席で、訳の分からない書類をコーヒーを飲みながら読んでいる人だって」

 僕はにが笑いをした。


 「マスター、僕はいつから弟なんですか?」


 カウンターの向こうでマスターは

 「あら、いいじゃない。私もさびしいのよぉ――」

 彼女は、クスクスと笑いだした。その表情は、ようやく緊張がほどけた様な安心した表情だった。

 僕は、彼女の笑顔を見た時、暖かい何かに締められるような、もどかしさを感じた。

 「ねぇ、ミルクティー冷めちゃうよ」


 彼女は申し訳なさそうに、ミルクティーを口に含んだ。


 「美味しい」

 「誰が入れたと思ってんの!」

 つかさず、マスターがカウンターの中から話に割り込む。


 そりゃそうだ。

 「ねぇ、マスター桜ちゃんにもミルクティーの入れ方教えてくれないかな」

 マスターは、少し考えて

 「そうね。でも桜ちゃんはその前にお仕事ちゃんと覚えましょうね」

 その言葉を彼女は訊くと

 「はい、頑張ります」

 と、まんべんの笑みで答えた。クビになるかと心配したのが晴れた様だった。


 その後、二人の客が店に入ってきた。

 「いらっしゃいませ」

 マスターはつかさず声を出す。

 「さぁ、桜ちゃんお仕事よ」

 「はい」

 そう言って、彼女は席を立った。そして振り返り

 「今日は、有難う御座いました。私、倉塚桜くらつかさくらといいます。よろしくお願いします」


 彼女はぺこりとお辞儀をして、客席にオーダーを取りに行った。

 しばらくしてから、僕はレジに向かい勘定をした。


 「雫ちゃん、この分はいいわよ」

 「でも僕が頼んだミルクティーですよ」


 そしてマスターは、優しい顔をして

 「あなた達、いい雰囲気じゃない。頑張って雫ちゃん。彼女、良い子よ」

 マスターは僕のコーヒー代だけを受け取りカウンターへ戻った。

 

 ここから僕と彼女、倉塚桜との付きあいが始まった。




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