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第三幕「木綿子」①

 ティトンティトンティトンと、エプロンのポケットに入れてあるスマホが鳴る。ちっ、このクソ忙しい時に……。私、中川木綿子なかがわゆうこはお客さん相手ににこやかな笑みを絶やすことなく、心の中で舌打ちをした。LINEの相手は分かっている。今日は初デートだと、数日前から浮かれていたアイツだ。

 私は未読無視を決め込むと、今しがた席に着いた家族連れの注文を厨房に伝えた。

「生二丁とコーラとオレンジジュース!」

「はいはーい」

 厨房の奥で、母が片手を上げて返事をする。

 夕方六時半。まだ酔っ払いがいないのが幸運だが、八時を回ると単純に近所のおっちゃんども(おばちゃんもいるが)の巣窟だ。

 ウチの家は……、なんて表現したらいいんだろう。昼間はランチ、夜は居酒屋、って感じの店をやっている。美園市の西部に位置し南北に延びる旭町銀座商店街の真ん中よりやや南、私の両親が営んでいる『勝手料理 中兵衛ちゅうべえ』は、地元の人たちの溜まり場。更に言うと今日は金曜日なので尚更だ。中兵衛という名前は中川の『中』と父の名前・慎兵の『兵』を組み合わせて名づけたらしい。

 カウンター席が十。四人掛けのテーブル席が三、六人掛けが二、そして奥に行くと八畳間の座敷がある。今はまだ三分の二ほどしか埋まってないが、ピーク時はほぼ満席。看板娘とかいう古臭い言葉で商店街の人たちから呼ばれている私だが、給仕は私一人なので、それはもう比喩的表現ではなく、目が回るほどの忙しさだ。まあお座敷の注文は母が取ってくれるけど。

 私が両親の店を手伝っているのは、ちょっとした訳がある。とはいっても大した理由ではないのだが、まあそれはおいおい分かってくると思う。本当の答はもうちょっと後で。

 話は変わるが中学時代、私は県内では割りと名前の知れた人間だった(その筋では)。小学校の高学年までは父が指導もしている柔道場に通っていたのだが、なぜか身長がニョキニョキ伸び始め、中学時代はバレーボール部に所属した。両親から受け継いだDNAなのか、自分で言うのもアレだが私の身体能力はなかなかのもので、一年生の夏には二年生の先輩と『旭町中のツインタワー』とあだ名されることになった。

 どうでもいい話だが、ウチの父母は二十数年前の国体で出会ったのだそうだ。父は柔道選手として。母はバドミントン選手として。そんな父と母だが、なぜ今料理屋をやっているのかは未だに謎だ。私が物心着いたときから店はやっているのでそれが当たり前になっていたが、今度機会があったら聞いてみようと思う。

 スポーツ選手としての遺伝子が開花した中学時代は、練習はめちゃくちゃキツかったけど、それは楽しいものだった。その頃は『将来はバレーボールで食っていける』と信じて疑わなかったものだ。三年生になるころには有名私立高校のスポーツ特待生という話も何件か来ていたし、ツインタワーの先輩からは「強豪高の鼻を明かしてやろう」という誘いも来た。先輩は反骨精神の塊のような人だったので、わざと県立高校を選び、私が来るのを待っていたようなフシもある。

 そうして将来に夢を馳せていた私だったが、中学三年の五月に行われた練習試合で、無理な体勢のレシーブをして肩を痛め、思うように体を動かせなくなった。私の右肩に脱臼癖がついたのだ。

 夏の大会まで騙し騙しやっていたが、思い切りスパイクを打つことが出来ず、チームメイトにも大きな迷惑をかけ、私は地区予選を欠場。先生もチームメイトも私の怪我が県大会までに治ることを祈ってくれて、それまで木綿子抜きでも勝ち抜こうと頑張ってくれたのだが、地区予選決勝で惜敗した。対戦相手は美園北中学校。そこでセッターをやっていたのがアイツだよ。そう、今デートに浮かれまくっているアイツだ。

 同じ市内の中学校のバレーボール部の連中なんて、言わば顔見知りもいいとこだ。ただ当時はそれほど話す機会があったわけじゃなかったけど、まさか今では唯一とも無二とも言える悪友になろうとはもう人生ビックリだよ、ほんと。

 まあそんなこんなで私はバレーボールから足を洗うことになった。人並みに落ち込みはしたけれど、ある人物の助言でなんとか立ち直った感はある。

「たかだか中学生の分際で人生を決めようなんで早すぎるんだよ。将来の夢とか目標はいつ塗り替えたって構いやしないと俺は思うぞ。中川だってまたやりたいことがきっと見つかるから、それまではノホホンとしとけよ。見つからなかったらそのときはまた考えりゃいい」

 やりたいこと。本当に見つかるのだろうか? 

 そのとき私は、一人の挫折しただろう人間を発見する。っていうか、なんで忘れてたんだろう。

「ねえ母さん。母さんって昔骨折したんだよね?」

母が国体の試合で足首を疲労骨折したことは聞いていたけど、その後どう立ち直ったのかは聞いていない。ひょっとして私なんかより大きな挫折だったんじゃないかとも考え、直接母に聞いてみた。

「私? 私はすぐ頭を切り替えて次の目標を設定したから」

 どうやら母の次の目標は恋愛と結婚だったらしい。それから母は小一時間ほど父とのラブラブっぷりを語り続けたが、その話を一行でまとめると、母が骨折して入院中、父が毎日のようにお見舞いに来たんだと。はいはい、ご馳走様ですね。

肩の力が一気に抜けた私は、本当にノホホンとした高校生活を送ってきたし、ぼんやりとだけど将来やりたいことも見えてきた気がする。

 ただ。

 恋愛か……。私はふと思う。私だって恋をしていないわけじゃない。ただその相手が問題で、私の気持ちなんか百パーセント分かっていない。仕方ないよな、腐れ縁もいいとこだしな。それに今では私の方が十五センチくらい背が高いしなあ。

 時計の針は十時を回っていた。ふう、今日も疲れたよ。と言っても週末しか私は店に出ないんだけど。

 高校に入学したとき私は「バイトしたい」と両親に告げたのだが、「じゃウチで働け」と言ったのは父だった。え~~? ウチでバイト~~? とか思いつつ最初は嫌々ながら「とりあえず試しで。嫌ならなんか探せばいいし」と考えていたのだが、ウチでバイトをする理由が出来てしまったのだから仕方ない。それにちゃんと自分の娘とはいえお給料を払ってくれるし。

 結局金曜日の夜と土曜日は店でお運びをやっている。まあこれはうまい具合に父と私の利害関係が一致しており、平日の月~木は市内にある大学に通っているお姉さんがバイトに入っているからだ。

 ただそのお姉さん、週末は出られないんだと。まあ理由はアレだ。この間スマホの写真を見せてもらった。いいやねえ、カッコいい彼氏のいる人は。

 お店のお客さんも、あと二組。ウチの店は十一時閉店だから、このおっちゃんたちもそろそろ河岸を変えて近所のスナックあたりに行くに違いない。

 そういえば。ふと思い出して私は、エプロンの前ポケットに入れていたスマホを取り出した。そういやアイツからのLINEが入ってるはずだよな。仕方ない、見てやるか。そう思って私は画面をスワイプ。確かにLINEは送られては来ていた。送信者・石野瑞葉。はい正解。しかし私は「ん?」と首を傾げる。履歴が一件しかない。

『これからお店に行くよ~。後で写真をバンバン送る予定だから期待しといて』

 もうそろそろ十時半。写真を送ると言ったら送るヤツだ。私も未読スルーで返事はしてないんだけど、これはおかしい、何かあったか? と思いもしたが、どうせ慌て者で粗忽者の瑞葉のことだ。ちょっと落としてスマホの画面が割れたとか、充電が切れたとか、その程度のことだろう。気にしない気にしない。まあ返事はしてやらんが。鬼に金棒、リア充にダイナマイトだ。


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