第六幕「丈彦」②
親父が風呂から出てきた。速いな! まあ俺もカラスなので人のことは言えないが。
「そういやタケ」
「ん?」
「なんか中兵衛で働くんだって?」
「いや、働くっていうんじゃなくて、なんだろ? 修行?」
実際、明日から俺は中兵衛で世話になるわけだが、時間があるときには料理のイロハを教えてもらう予定ではある。決して働きに行くわけではない。もちろん皿洗いもするし接客もする予定だ。
「慎ちゃんからメールもらったよ。タケが本気みたいだって」
慎ちゃんっていうのは中兵衛の店主・中川慎兵先生のことだ。この二人は「慎ちゃん」「マサ」と呼び合っている。
「俺はいつだって本気だよ」
俺がこのセリフを言うのは、今日二回目だ。
「そうか……。いつから行くの?」
「明日から。まあ金曜の夜と土曜日かな。日曜は先生、町道場行ってるし」
中川の先生は今でも、俺たちが通っていた町道場で柔道を教えている。
「まあ、俺はさ……」
親父はグラスに注がれた麦茶で喉を潤すと話を続ける。
「タケが決めた将来のことだから別に否定はしないけど、大学くらい行っておいても良かったんじゃないかと思うんだ。俺も大学行ってクミちゃんに会えたっていうのもあるし」
「専門学校だって出会いはあるかもだぜ」
「それはそうだけど……」
親父の言いたいことは分からないでもない。ただこれは俺の感覚なんだけど、おそらく大学生って世の中で一番ヒマな人種だ。もちろん退職して老後を悠々自適に生活している年配の人もいっぱいいるだろうけど、体力とか情熱とかの部分では、二十歳前後の大学生には到底及ばない。もちろんそんなお年寄りも中にはいるだろうが、絶対数は間違いなく違う。親父的な考えはおそらく自身がそうだったように、もちろん学業が第一ではあるのだが、高校卒業から就職までの四年間、遊んで、恋をして、バイトもして、社会人になる前の助走を経験させたかったんだと思う。跳び箱でいうところのロイター板みたいな感じか。
「俺は別にいいんだ。好きなこと見つけたし、見つけたからには遠回りしなくないしな」
「そうか……。まあタケがそう考えてるなら、俺は何も言えないかな?」
親父はそう言うと、少し寂しそうに笑った。ほんのちょっとだけ、俺はしんみりとした心持ちになる。
「まあ、面倒臭いこともあるけどね」
「面倒臭いって何?」
俺は苦笑しながら一つ溜息をついた。
「学校、っていうか教師だな」
手前味噌になるが、おれは結構成績がいい。現在担任で、英語教師の工藤先生は割りと理解があって助かるのだけれど、学年主任のおっさん(日本史の片岡先生)がマジで面倒臭い。三年のクラス替えの時も、俺は私立文系コースを希望しているにも関わらず、国立理系コースに入れられそうになっていた。何回呼び出しを喰らったことか。
高校としては、もちろん美園台高校は県立高ではあるのだが、高校の「進学率」というものを少しでも上げたいらしい。二年時の三学期が始まる頃には、調理師学校に行くなんてことはまだ誰にも言っていなかったので、俺が私立文系の希望を出してることに慌てふためいていたと、後に工藤先生から聞いた。結局俺は、
「推薦狙いなんすよ。私文なら定期試験も易しいじゃないですか」
と詭弁を使い、なんとか私立文系コースに潜り込んだのである。
ただ話はそこで終わらない。俺が調理師目指すから受験はしない、ということを三年になってから伝えると、「せめて受験だけでもしてほしい」なんてことを言いだした。「進学率」が無理なら「合格率」だけでも上げたいのだろう。たかが一人の生徒を丸め込もうとする時間があるんだったら、補習の一つでもしてしてやれよ、って俺は思う。
「学校っていうのはそんなもんだよ。特に今は少子化が進んでるしね。学校側も必死なんじゃないか」
親父は「何を分かり切ったことを……」みたいな口調で苦笑いした。
「でもやっぱり個人の意見は尊重してほしいよな」
俺は少し不機嫌に言い放ったが、
「そこは体裁ってやつだよ。仕方ないって諦めるしかないね」
まあ正直俺には納得しかねるものであったが、それが社会の常識かもしれない。ただそんな常識、糞くらえだ。
「タケはあれだね。世渡り上手になれとは言わないけど、世の中をストレスなく生きていくためには、もう少し柔軟になった方がいいかもね。本当はそれがいいことであるとも思わないけど」
頭では俺も理解していたことだ。しかし感情とのバランスが俺の中で釣り合っていないのかもしれない。
「それはそうと」
あまり考え込んでも仕方ないと思ったので、俺は話を変えてみた。
「親父明日から休みっていうけどさ、一体一週間も何すんのさ」
親父は顔、体の順番で俺の方に向き直る。まるで特撮番組のスーツアクターのようだ。そしてまさに最高の笑顔を俺に浴びせかけた。あーあー、嬉しそうな顔しちゃって。聞いて欲しかったんだろうな、語りたいんだろうな、それは公彦とでも語り合って欲しかったけど、仕方がないから俺が聞く。親父の熱い趣味の話を……。いやこれもちょっと面倒臭いけどさ。
「そりゃタケ、これから一週間、ゲーム三昧に決まってるじゃないか! とりあえず明日から、いやこれからドラゴン・ファンタジー13をやるじゃん? だって去年の夏に発売されたのに封さえ切ってないんだよ? とりあえず何も見ずに一回クリアして、二週目には本格的に攻略する予定だよ。おそらくそれだけで一週間潰れると思うけど、もしドラファン13が終わったら次はオンラインかな。今年の正月からログインしてないし、アップデートもしてるっていうのにさ……」
やっぱりな。まあ分かってはいたけど。俺は適当に頷きながら、延々と続く親父の話は右から左。もちろん俺もゲームは嫌いじゃないし、全くやらないってわけでもない。俺が好んでするゲームと言えば昔から格闘ゲームばっかりで、RPGやシミュレーションが好きな親父や公彦とはあまり接点がなかった。それに寝食を削ってまでゲームに没頭する二人を見てると、ある意味尊敬もするが、もう阿呆か、としか思えない自分もいる。あれはもう趣味の域を超えている……。
親父は九連休の予定と自身のゲーム愛を俺に語りつくすと、リビングの机の上にノートパソコンのセッティングを始めていた。
「でもあれだな。ドラファン13はとりあえず明日からってことで、今日はこれからアルストフィアに行ってくるよ。久しぶりだな~~。公彦はいるかな?」
行ってくるって……。俺はそのアルストフィアには行ったことがない。ただそこがドラゴン・ファンタジーオンラインというゲームにおける架空世界であるということは知っている。そりゃそうだ。こんなゲームマニアが二人も住んでいる家に一緒にいて知らない方がおかしい。
ただ一ついいことは、例え自分がゲームをやっていなくても、ゲームに関する知識だけは湯水のように入ってくるので、高校で友人たちや後輩とかと話を合わせることが出来るという点だろうか。そのせいもあってか学校で俺は、なぜかゲーム好きのオタクとしてもそこそこ知られているようだ。俺はゲームはしてねえんだよ! 変な知識があるだけなんだよ! そこは声を大にして言いたい! でも友人たちとの会話の中で興覚めするようなことは発言したくないので、仕方ないからゲーム好きで通している部分もあるんだけど。
「じゃ、俺はもう寝るからさ。ほどほどにしときなよ」
俺はソファーから立ち上がり、一度背伸びをして親父に声を掛けた。
「ああ、おやすみ」
なんだよ、その全く感情の入ってない「おやすみ」は。親父の目は既にノートパソコンのモニターに釘付けで、俺のことなんか振り返りもしやしねえ。まあ、久しぶりだからな。勘弁してやるか。
「おやすみ」
俺も一応一声かけて自室に戻る。明日は中兵衛で勉強だ。初日なので緊張もするがワクワクもする。ああ、それから今日借りた傘も返さなきゃな。忘れたりしたらきっと中川の奴がまた怒るに決まってる。
そんなことを考えながら布団に潜る。寝つきはいい方だ。すぐに朝が来るだろう。公彦はどうか分からないが、親父は間違いなく俺の起床時まで起きていることは間違いない。仕方ないなあとも思いつつ、俺はリモコンで電気を消した。
ん? なんか忘れてることがあるんじゃないかって? 俺の「かたおもい」の話? そりゃこの小説のタイトルは「かたおもい」だけれども。俺だってな、あまり話したくないことだってあるんだよ。
放っておいてくれ!
まず一通り、というかようやく一周しました
次回から「空生Ⅱ」です
ちなみにですけどこの物語のここまでの話は
5月のGW明けの金曜日、って設定です
次回の途中から土曜日に突入です
今後ともよろしくですm(__)m




