第六幕「丈彦」①
金曜日の夜、九時半を回った頃に大夢からLINEが届いた。返信しても良かったのだが、面倒臭くなって電話した。こういうことは言葉で伝えた方が早い。
大夢はソラを含めた俺たち三人の中で唯一の彼女持ちではあるのだが、おそらく一番奥手なのは間違いない。まあソラの奴はなかなか本心を見せないので、よく分からないってのはあるんだけども。
もちろん電話を掛けたのは俺の方からな訳だが、そのせいで今日は中兵衛に行くのが十五分くらい遅れたのは確かだ。弟の公彦もゲームをやってたし、そろそろ出掛けようっていう催促もなかったので、うっかり長電話してしまったのが原因だ。まあ電話の内容は、半分説教みたいな内容だったが。
小雨のパラつく中五分ほど歩き、キミと二人中兵衛に到着すると、なぜか中川の機嫌が悪かった。いやいや、確かに俺たちはちょっと遅れたけど、なぜお前に怒られなきゃならないのか、まったくもって意味が分からない。先生に怒られるのならまだしも、だ。
しかし、昔から思ってるのだけど中兵衛の、というか店主である先生の作る料理は旨い。親父やキミはどう考えているかは知らないが、その味に魅了されてる俺は確かに存在する。中学生時代は多少疎遠になっていたが、俺が高校に入学してからちゃんと客として店に通うようになり、初めて「客に出せる料理とはこういうものなんだ」というのを実感した。一応俺も見様見真似で家で料理をしてみるものの、なかなか上手くいかない。それでも親父とキミは旨い旨いと言って食ってくれてはいるのだが。
しかし相変わらず中川の奴は口うるさい。この日も結局、ほぼほぼお互い喧嘩腰で会話をしてしまったような気がする。まあ俺としては一種のコミュニケーションというかアトラクションみたいなもので、小学校時代からの付き合いということもあって、そこに嫌悪感など全くない。帰り際には雨も強くなってきていたので、無理やり傘を渡された。いつも通りぶっきらぼうではあったが、まあそのくらいは中川の優しさだって言うことくらいは分かってるつもりだ。
本降りになっていた雨の中を帰宅し、とりあえず風呂に入る。明日明後日は土日で休みなので、少しくらいは夜更かししようかと、キミに借りた異世界物の小説をリビングのソファーに寝転び読みふける。弟はというと家に帰るやいなや自室にこもったので、相変わらずパソコンに向かいネットのゲームでもやっているのだろう。この前ちょっとやらせてもらったのだが、面白すぎて「これはヤバい!」って思ってしまった。キミの奴は、
「兄さん、センスあるね」
とか言ってたけど、これはやめられなくなる奴だ。こんなことやってたらすぐに朝が来てしまうだろう。俺はハマらないように気をつけよう。
そんなことを考えながらボンヤリと小説のページをめくる。本を読み進めるにつれ、なんとなく弟の趣味が分かるような気がした。その小説の内容と言えば、異世界に飛ばされた農業高校の高校生が、これといったスキルもなく現代の知識だけで農業や畜産、二次加工品などを作り、貧しい村を少しずつ豊かにしていく、という物語だった。元々キミは穏やかで争いごとが嫌いな奴だ。日々笑顔が絶えず、わりとノホホンと生きているように見える。昔からそうだ。俺としてはそんな弟が昔から心配で「こいつ、大丈夫か?」って幼い頃から思っていたのだが、高校を受験する頃から、実はちゃんと将来のことを考えていたのだなってことが分かり、安心したしほっとしたし、それを見抜けてなかった自分が少し情けなく思ったものだ。ただキミの奴はこの小説の内容のように、争いごとが嫌いで、のんびりとしたことが好きなのだろう。
時計の針が十二時を回った頃、玄関の鍵が開く音が聞こえた。ん? と思ったが、珍しく親父が帰って来たのだろう。大体金曜の夜に、親父が帰って来ることは珍しいのだが、まあこういう日もある。
「ただいま」
更に雨脚が強くなってきているのだろうか、親父の髪とスーツの肩の部分が随分と濡れている。駐車場から徒歩一分もないというのに、かなりビショビショだ。
「おかえり。帰れるんだったら電話ぐらいしてくれよ」
俺は親父に、居間にたたまれたタオルを渡しながら多少の文句を言う。
「いやあ、ごめんごめん」
親父は謝りながら脱いだスーツをハンガーに掛け、タオルで顔や頭をクシャクシャと拭いた。
親父の昌彦は今年で四十四歳。最近はほんのちょっとではあるが、頭に白い物が混じってきている。そういうところに少し年を感じているのは確かだが、ウチの親父はおそらくそこらへんの四十四歳なんかよりはよっぽど若い(と俺は思う)。華奢な体付きや穏やかな性格は本当に公彦とよく似ていて、俺は一体誰に似たんだろうと思うこともしばしばだ。
「四月に十三回忌は済ませたけど、クミちゃんの命日は来週だろ? だからゴールデンウィークはしっかり働いて、明日から俺は九連休だよ。来週の土曜日、お墓参りするから空けといてくれると嬉しいんだけど」
親父は未だにお袋のことを「クミちゃん」って呼ぶ。ちなみに親父はお袋に「マー君」って呼ばれてた記憶もある。
「そりゃ行くよ。キミにも言っとく」
「良かった。やっぱりお墓参りはみんなで行かないとね」
息子を相手にしても、親父はいつも下手に出てくる。命令口調になることは、俺や公彦がよっぽどの悪さをしたときくらいしか思いつかない。自主性を重んじた子育てなのか、単に親父の性格なのかはっきりしたことは分からないが(俺は後者だと思ってるが)俺たち兄弟にはそれがいい方向に働いたようで、俺は長男としての責任感が芽生え、弟はのびのびと成長した。まあ俺の場合は、親父の頼りなさげな面をいつも見てきたから、ということも否定できない。もちろん社会人としての親父の仕事っぷりなど分からないのであるが。
「とりあえず風呂入んなよ。風邪ひくぜ」
俺はまだ髪の毛が濡れている親父にフェイスタオルを投げつけた。親父はそれを受け取ると、少し笑みをこぼして頷く。俺は親父がバスルームに消えたことを見届けると、再びソファーで横になり、文庫本を開いた。
小松家のことを少し語ろう。
俺と公彦は、若いころは商社マンだった親父と大学の同級生だったお袋との間に生まれた。そして俺が小学校に入学し、公彦が幼稚園の年中組に上がった年の五月、お袋が交通事故で死んだ。公彦を幼稚園に迎えに行く途中で起きた完全なもらい事故だったと聞いている。俺は小学一年生だったので授業は午前中で終わり、同じマンションに住んでいた友達と階下の公園で遊んでいた。公彦はいつまでたってもお袋の迎えが来ない幼稚園で、一人泣いていたという。
お袋は救急車で病院に運ばれ、その身元が判明し、親父の携帯に連絡を取ったそうだが、親父は電話に出なかった。というより出られなかった、というのが本当らしい。その日の親父は夕方から取引先との接待があり、先方に迷惑をかけまいと携帯の電源を落としていたらしい。結局親父に電話が繋がった時には、午後八時を回っていた。
俺の住んでいたマンションには二人の警官が来た。母親同士も仲が良かったので、友達のお母さんが俺に付き添ってくれ、パトカーに乗った。そしてその途中、幼稚園で公彦を拾い、病院へと辿り着く。俺の中で、病院に行ってからの記憶はあまりない。覚えているのは後からやってきた親父が俺と公彦を抱きしめ、どこまで反響するのかというほどの大声で泣いていたことだけだ。ただそれ以来、親父の涙は一度も見たことがない。
そして親父はその後、会社を辞めた。酒もやめた。酒には罪はないって中川の先生は言ってたりしてたけど、ここ十数年、アルコールは一切口にしていない。
お袋が死んで一ヶ月ほど、親父は家に引きこもっていた。俺は小学校に通っていたが、親父は公彦と二人、ずっと家にいた。もちろん俺たちの世話や食事の準備は当たり前のようにしてたけど、その他の時間はずっとゲームをしていたようだ。
親父は言う。「あの時はゲームに助けられた」と。主にRPGだったそうだが、公彦と二人、来る日も来る日もゲームをしていた時間だけは、お袋のことを忘れられたという。しかしひょっとしたら、今の公彦のゲーム好きも、ここから始まっているのかもしれない。
そんな折、高校時代からの友人である中川の先生が、見るに見かねて声をかけてきた。
「子供たちが心配なんだろう? でもお前が働かなきゃ食っても行けない。俺の住んでる街に来いよ。ガキどもの面倒はウチで見てやる。ウチにも娘がいるがとんだはねっかえりでよ。な~に、ガキの一人も三人も変わらねえ。心配すんな」
そして俺たち家族は美園市に移り住むことになった。
親父は今、家電量販店で働いている。と言っても店舗のスタッフではなく、新店舗を立ち上げるなんとかっていう部署にいる。したがって、一度出張に行ってしまうと、なかなか帰って来られないのが現状だ。だから今の小松家は、俺と弟の二人暮らしのようなものなのだ。
随分と間が空いてしまいました。
年度末で忙しかったのと、あと家の事情が色々あってフラフラです。
これからは週1くらいで更新出来ればな、と思っています。
小生の数少ない読者様、
見捨てないで頂けると嬉しいです。