幕間「公彦」
正直なことを言うと、ウチの兄・丈彦は結構面倒臭い。それは一緒に住んでいる家族じゃないと分からないことだと思う。
しかもウチは既に十年以上の父子家庭で、今は仕事で出張だらけの父との接点も少ないから、実際に被害?を被っているのは僕だけ、ということになる。ただ兄のことをメチャメチャ尊敬してるのも事実なんだけど。
で、何が面倒なのかというと、兄は外での顔と家の中での顔が全く違うからだ。
兄の外面は、もうお気付きの人もいると思うけど、少々口は悪いけど社交性やコミュニケーション能力が高く、率先してムードメーカー役を買って出る人気者だ。でもさ、家の中じゃ超無口。もう必要最低限しか喋らないって感じ。更に目つきが悪いもんだから、どんな時でも不機嫌に見える。実際は別に機嫌が悪いわけじゃないんだけど。
だから中と外じゃ、僕の方も気の回し方が違ってくる。そこが面倒臭いのだ。
と、いきなり愚痴を言ってしまったわけだけど、実は最近はそうでもない。僕が一人でネトゲをプレイしていると
「それ面白そうじゃん、俺にもやらせろよ」
とか言って寄ってくるし、
「今日はちょっと先生の料理を真似て作ってみたんだけど、食ってみてくれ」
などと言い、毎日のようにキッチンに立つようになった。今までは出来合いのお惣菜を買ってくるか、兄弟で交互に簡単な炒め物くらいしか作らなかったのに、だ。それでもまだそんなに口数が多いわけじゃないんだけどね。
それで最近は兄が夕食を作ることが多くなってきたんだけど、金曜日だけは例外。近所にある「勝手料理・中兵衛」で外食するからだ。
「勝手料理・中兵衛」には、というよりお店を経営してる中川家には、本当に昔からお世話になっている。兄が中学校に上がるまでの大半を、僕ら兄弟は中川家で過ごしてきたと言っても過言じゃないだろう。
ただ兄が中学に入学すると同時に、少々疎遠にもなった。そしてこの頃から兄は少しずつ口数が減っていき、何を考えているのか分からない時間が増えてゆく。でもそれは、父の不在が多い小松家で、きっと兄に何らかの責任感が芽生えたことが正解だったのだろうと、今になってやっと理解できるのだ。
そんな兄の緊張感が、半年ほど前から徐々に薄まってきたのは、どうやら僕が進路を兄の通う美園台高校ではなく、美園市の南の郊外にある北洋大学付属美園高校に絞ったころからだったように思う。
そのことを兄に伝えた時、
「お前も自立だな」
と言って小さく笑ったのを覚えている。
兄の外の顔と内の顔。どちらが本当なのか未だ僕にはよく分からない。だけど前者であれば僕は嬉しい。兄とはたった二歳しか違わないけど、その背中はやっぱり大きく感じる。体は僕の方が大きいけどね。でもこれが長男と次男の差なのかもしれないし、家庭の事情がそうしたのかもしれない。ただ最近の、肩の荷が下りたような、腫物が落ちたような、スッキリとした表情や行動を見てると、何かを決心したんじゃないのだろうかと思えてくる。そして五月半ばの金曜日の夜、僕はその答えを兄の口から知ることになった。
その日中兵衛で遅い晩ご飯が終わり、僕たちは満腹感からすぐには動きたくなくて、一息つきながらお茶をすすっていた。店の中では中兵衛の看板娘と呼ばれている幼馴染みのユウちゃんが、暖簾をしまったりテーブルを拭いたりと後片付けに追われている。そんなしばしのまったりとした時間が流れる中、兄は不意に厨房で洗い物をしている先生に話しかけた。
先生というのはユウちゃんのお父さんのこと。町道場で柔道を教えているユウちゃんのお父さんだけど、僕たちも小学生の時は町道場でお世話になっていたので、「先生」と呼ぶのはその名残りだ。
「先生、あの話、考えてくれた?」
兄の声掛けに先生は、一呼吸間をおいて顔を上げた。
「――本気なんだな、タケ」
「俺はいつでも本気っスよ」
「分かった」
短い会話だった。その時はなんのことやら分からなかったけど、その内容を僕は帰り道で知ることになる。
その後僕たちは重い腰を上げ店を出た。来るときは小雨だった雨が、かなり雨脚を増している。
「走るか?」
「そうだね」
兄の提案に僕は頷いた。
「バッカじゃない、あんたたち。ほら傘」
振り返るとユウちゃんが傘を二本手にして立っていた。
「こんくらい大したことないだろ」
「あんたはともかく、キミちゃんが風邪引いたらどうすんの!」
「キミの心配かよ」
「当たり前だろ」
この二人は相変わらずだ。疎遠だった中学時代はあるものの、小学生のときとあまり変わっていない。変わったことと言えば、今やユウちゃんが兄を見下ろして喋ってることくらいだ。更に言えばユウちゃん、僕よりも僅かながら背が高い。
「ユウちゃん、ありがと」
「どういたしまして」
兄に代わって、僕が傘を受け取る。
「中川」
「何よ?」
「明日、返しに来る」
兄は少し目を逸らしながら、それだけをユウちゃんに伝えた。
「別にいつだってかまわないよ! これ以上雨が強くなる前に帰んな」
兄の言葉に対してぶっきらぼうに背中を見せるユウちゃん。
「じゃ、おやすみユウちゃん」
「ん、おやすみ」
ユウちゃんは肩越しに振り返り、最高の笑顔を僕に向けて軽く手を上げると、店の引き戸を閉めた。
ただ僕は、この二人の会話になんだかな~って思う。憎まれ口を叩き合っているように見える、照れ隠しの会話の応酬。「明日も来る」って兄が言った時のユウちゃんの嬉しそうな一瞬だけの顔を僕は見逃さない。
ああ、これがツンデレってやつか……。
それを言っちゃえば兄もツンデレなんだよな。ツンデレ同士ってお似合いなのかお似合いじゃないのか僕には分からないけど、この二人、どっちかが素直になればいいのに。と、常々思ってんだけど、まあ僕が口出すことでもない。
「なあ、キミ」
「何?」
閑散とした商店街を傘をさして歩きながら、兄が声をかけてくる。
「俺、大学行かねえから」
「え?」
僕にとっては結構衝撃の発言だった。一緒に住んでいる僕でさえ、いつ勉強しているのかよく分からないくらいの兄ではあるのだけど、学校の成績がかなり優秀だというのは知っている。兄はそんな僕の顔を見てニヤッと笑った。
「お前が考えてることくらい分かるんだけどよ。まあ大学なんか行きたくなったときにまた勉強したらいいじゃねえか」
それは成績のいい兄だから言える発言のような気もするが、兄は言葉を続ける。
「俺よ、調理師学校に行こうと思ってよ」
「兄さんが料理人? それで最近、やたらご飯作ってたわけ?」
「そういうことかな。焼き方一つ、出汁の取り方一つを取ってみても、化学の実験みたいで面白い。それによ、まあ俺も一つの人生設計が出来たってことだ」
「じゃ柔道は?」
「ははは、辞めるさ。俺レベルが天下取れっかよ」
兄の笑い声を聞くのはいつ以来だろう。それにこの吹っ切れた感じ。余程覚悟が完了しているのだろう。
「ってことだから。お前も早く将来何がしたいか見つけられるといいな」
兄はそう言いながらマンションの入り口で傘を閉じた。
「とは言ったものの、今の俺の人生設計、まだ一つだけ不確定要素はあるんだけどな。これはまだお前にも言えねえ」
僕には兄の言う不確定要素が何であるか、分かるような気がした。大丈夫だよ兄さん、その不確定要素、ちゃんと確定すると思うよ。兄さんはまだ分かってないだろうけどね。
僕が、保証する。
頑張って一応今日(木曜)にUPすることが出来ました
これからは色々大変なので、次回はなんとか二月中に、とは思ってます
見捨てないでねw