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こりてんみょう  作者: 音喜多子平
16/30

帰郷

折り返し地点まで来ました!

仙台七夕には間に合いそうですね


 八月六日。

 

 小生は相も変わらず風梨家の離れに軟禁されていた。

 閉じ込められた座敷は最初に捕まった時と同じように、床の間はなく四方が襖に囲まれている。ひょっとしたら、この部屋自体が幻覚なのかも知れない。

 軟禁の名目を保つためか、手足の拘束は解かれ、食事も出されていたものの小生は疲労しきっていた。

あれから幾度となく脱出を試みた。しかし鶴子の宣言通り、多勢に無勢の劣勢を覆すことはできなかった。化けていれば否応なしに消耗するが、富沢家の狸たちは入れ替わり立ち替わりに交代していき、小生はジリ貧だった。

 小生は来るかどうかも分からない好機のために力を蓄えることにした。眠りは浅く、急に一匹だけになったせいか、いつか八木山家にいた頃に感じていた不安感や孤独感が滲み出た様な夢を見た―――


 小生は八木山家の跡取りとして、八木山藤十郎と菫の間に生まれた。けれども蝶よ花よと育てられた記憶はない、寧ろ仲間にも親にすら疎まれていたように感じる。それは年を追うごとに強く感じられた。


 理由は分かっている。


 小生が一匹だけで化けられるから。

 

 つまりは嫉妬だ。


 少なくとも二匹で息を合わせなければ化けられない貂族は、言ってしまえば自分の化け術に自由がない。片棒を片ぐ奴が首を振れば、化け術は上手く成功しないのだ。他の化獣であれば諦めもつくだろうが、同族の小生がいとも容易く行うそれはさぞかし眩しく映ったであろう。

 今、小生を覆っている孤独や不安は後々に芽生えた感情だ。茂ヶ崎の住処にいた時に最も感じていたのは疎外感だった。仲間意識が化獣一と言われる貂族の中で感じる疎外感を誰が理解してくれよう。小生が一匹だけで化けられることに憧れる感情を共有できないのと同じく、誰も一匹だけの疎外感など共感してはくれなかった。


 だから、ほでなすの会の連中とは話が出来るだけで嬉しかった。あいつらは一匹だけで術を使うのが常で、その意味では小生と同じだった。そして、それぞれが家から疎まれ、つまはじきにされていたのだ。自分と似た様な奴が沢山いるというのが分かった時の一種の安心感は、生まれて初めての感覚だった。家出が

軽々しく行えたのは、ほでなすの会があったからであろうとつくづく思う。


 家を出る時に勝手気ままに、自分の為だけに生きようと決めたのだ。

 弱い奴やできない奴に会わせてやる必要などないではないか。

 なのに何故小生はここまで、疲れ切っているのだろうか。

 そう思った途端、一人の男が夢の中に出てきた。


 これは、あの日の夜だ。


 当てどなく歩いていた道で油断して自動車に撥ねれられた。車のライトに照らされた後、目に移った風景は見慣れぬ建物の中だった。気絶したままの振りをして耳を済ましていたら、聞こえてくる話しぶりで動物病院であることはすぐに分かった。

 何やら説明を受けた男は、小生を引き取ると自分のアパートへ戻っていった。

 部屋につくと男はどこかに電話を掛けた。小生はそれを段ボールとクッションで雑に作られたベットの中で聞いていた。それはつい散財してしまったといい訳をして、親に金の無心をしている電話だった。今と同じく夏休みで家に籠っていた男は、親から送金してもらうまでの二日間、何も食べはしなかった。小生の治療費を出したから、というのが分からない程の馬鹿ではない。


 人間でない小生のために、食べるものも食べずにいるこの男は一体何者なのかと、疑問に思った。同時にお礼を言いたくもなった。


 貂の姿のまま口をきいた方が驚くだろうか、それとも見知らぬ顔とは言え人間に化けた方がいいだろうかと迷った末、小生は人間に化けることにした。ところが、男は小生の予想以上に混乱したため、化獣や狐狸貂猫の事を説明するだけで話が終わってしまった。その時は結局、礼を言いそびれた。

 それからも礼を言おうと男の家に足繁く通っていたのだが、その都度言いそびれ、今に至る。そして小生が部屋に行く度、男は腹は減っていないかと食事を出してくれた。尤も九分九厘が南瓜料理だったのだが。

 小生の頭の中には、二日間何も食べないで耐えていたあの男の姿が未だに残っているのだった。

優しい人間は知っているし、そうでない人間も知っている。特別な事でない。小生も訳も無く誰かに優しくすることは多からずある。だが、自分が何かを耐えてまで誰かに何かをしたことは記憶にない。我慢を知らないという意味ではない。例えば、男と出会う前の小生は男と同じ事をしなかったであろうと思う。今現在であっても、空腹の自分が誰かにエサをやる姿を想像できない。


 昔、ほでなすの会にいる色々と聡い猫に、これは一体なんであるのかをそれとなく聞いたことがあった。

普通の人間はそれを親切と言う、捻くれた人間なら偽善、気取った人間なら愛、斜に構えた人間であったなら自己犠牲と言うものだと教えてくれた。それに対して小生は、分かったような返事をしてその話は終わった―――けれども、今でも引っかかっている。


 再び男の顔がちらついた。


 そうだ。


 男が女にフラれるのなら、それはそれで構わない。

 全ての事情を知って、大人しく身を引くのならそれでも構わない。

 だが、誰かの勝手な都合だけで何も知らされず、終わりだけを無情に告げられるというのだけは許せない。


 小生は心中の燻りを悟られぬように、そっと焚き付けた。だがそれが燃え上がることはなかった。

 不意に部屋に掛けられていた化け術が解けた。そして、周囲の狸の気配が収まると正面の襖が開いたのだった。


 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 現在、富沢家が使っている風梨家の離れは緊張感で溢れていた。客間に貂の当主・八木山藤十郎と狸の当主・富沢燕治が相見えていたからである。

 大黒様が顕現したかの様な風貌に化けている燕治は先ほどから暑さで掻くのとは違う汗を流している。一方、藤十郎はすらりと上背高く、それでいて痩せ身でない体躯の男に変じている。その表情は飽くまで朗らかである。

 強面の二匹が和装にて対面してる姿は、一世代前のヤクザにも見える。


「かたじけない。七夕の支度やら他にも入り用が続いていましてな、大した歓迎ができないのだが」


 燕治は苦し紛れにお茶を啜りながら、お茶を濁そうとした。


「燕治殿。いきなり押しかけてしまって申し訳ない。だが当家としても別に茶飲み話をしに来たのではない」

「うむ。それで今日は一体どういう訳で? まさか一族総出でお越しになるとは――」


 藤十郎は宣言通り大事にして富沢家に来訪した。動ける八木山家の貂達が総出で押し寄せたのだ。風梨家の敷居を跨いだのは藤十郎だけであったが、残り数十匹が人間に扮し、門の前に屯している。

 風梨家の主要な面々は外出中だったため、残された家人たちはさらに混乱しているようであった。鶴子を筆頭に、狸たちは狐狸貂猫の問題だからと一生懸命に宥めていた。


「単刀直入に申し上げる。ここに愚息が世話になっていると聞いたのだが、それは真ですかな?」

「確かに萩太郎くんはいる。しかし、それはだな」

「何も言いなさるな。恥ずかしながら知っての通りの瘋癲で、返って迷惑を掛けているのではないかと思い、こちらで引き取りに来た次第です」

「迷惑とは」


 燕治は争い事になるのを恐れている。

 狐狸貂猫が種族同士で喧嘩をすることは滅多にはないが、絶対にない事ではない。富沢家も一端の仙台化獣四家の一角であるから、売られた喧嘩は買うだろうが如何せん場所が悪い。ここでなければ、一族同士で化かし合いが起こり得るだろうが、富沢家としては風梨家の敷地内で問題を起こす訳にはいかなかった。


「半分勘当しているような倅です。捉えようが折檻しようが、富沢にはそれをするだけの訳があったのでしょう」

「いやいや、折檻までは」


 引き金になりそうな事は精一杯に躱わしている。


 だからこそ、藤十郎はわざと引き金になりそうな言葉を選んでいる。大勢で押し寄せたのも、それを期待してのことだ。そして泣き所を見せた。


「とどのつまり、あんな馬鹿息子がどうなっていたとしても、それはアイツめが自分で仕出かした事。八木山家としてもこれ以上他家に身内の恥を置いて置きたくはない」


 燕治は光明が差した様な顔をした。


「では、萩太郎くんをお返しすれば、済むという事でよろしいのですかな?」

「それ以外に何がありましょう。七夕前に慎ましくしたいのはこちらも同じことだ」

「うむ、承知した。すぐにそちらに引き渡しましょう」


 二つ返事が返ってきた。燕治はすぐに小生を連れてくるように指図した。

 その采配に藤十郎は笑顔で応えた。


「かたじけない」



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 ドタバタと忙しなく連れてこられる中で、大体の説明はされた。だからこそ、八木山家がそれも一族総出で助けに来てくれたという話が信じられなかった。また、騙されているのではないかと勘繰ってしまった。

 客間に通されると実に陽気な顔をした父に唖然とした。


「…親父」

「柄にもなくボロボロだな」


 言われる通り、先ほどまで張り詰めていたものがぷっつりと切れてしまい、疲弊感が溢れだした。


「取りあえず、戻るまでは大人しくしていろ」


 父の肩を借りて玄関までたどり着いたが、皆が外にいると思うとつい恥ずかしくなり、元気が戻ったように振る舞った。

 鶴子と雁ノ丞の姿は見えなかった。もし鶴子に会っていたら死力を絞ってでも引きずり回していたかもしれないので、会えずにいて良かった。ただ、雁ノ丞のことが気掛かりだった。

 揉め事にならないように燕治は狸たちを控えさせた。遠巻きに見ている狸と、何事もなく嵐が過ぎ去っていくことに胸をなで下ろした風梨家の一同に見送られ門をくぐった。そしてその光景にまたしても唖然とした。本当に茂ヶ崎の連中のほとんどが往来を埋め尽くしていた。

 小生は、今さっき体面を気にして恥ずかしがったことが、無性に恥ずかしくなった。


「兄ちゃん」


 末の紅葉が真っ先に駆け寄ってきた。それに牡丹と香菊が続いた。弟たちや親類たちの視線もあったが、それが不快には感じなかった。心配している時の海潮と同じ目をしてたからだ。


「燕治殿、世話になった。七夕が終わりましたら、改めてご挨拶に伺いましょう」

「ええ。一先ず明後日は正々堂々化かし合うと致しましょう」


 これでもかと言うぐらい、安堵の表情を浮かべた燕治は、ここまでの騒動を起こした八木山家に対する憤りを白々しく隠してそう言ってきた。

 当たり障りのない挨拶を返すと、いよいよ八木山家は茂ヶ崎の森を目指し歩き始めた。


「萩太郎さん、ご無事で?」

「…ああ、大丈夫だ」


 足元の覚束ない小生を見兼ねて、又従兄の葵とその弟である蘭太郎、蓮太郎の助けが入った。


「化け疲れだね。無理もないよ、お兄ちゃん一匹で富沢の半分を相手にしてたんだから」

「兄さん、平気? 貂の姿に戻っても大丈夫だよ」

「…」


 流石にそこまで落ちぶれてはいない。恥ずかしいとは思わないにしても、自尊心がない訳でもない。

 小生らは寺町通りでタクシーを拾う事になった。他の皆には申し訳なかったが、正直歩いて帰ったら途中で倒れる自信がある。申し訳なさを素直に口から出すと、それが聞こえた連中が少しどよめいた。素直さが素直に伝わらない事に若干の怒りと、もどかしさを覚える。

 寺町通りにぶつかる十字路にある信号機の下に、様子を窺っていた欅の姿が見えた。その顔を見て、その一族行列は欅の企てによるものだったのだと、直感的に感じた。


「萩太郎」

「欅…」


 小生は思わず、掴みかかって尋ねた。


「今、どうなったんだ? 外の事が全く分からなかった」

「青鹿と二手に分かれて動いている。青鹿は海潮と姫の旅行先、アタシは八木山家に事情を話してアンタを助け出すことになった」

「まさか、二人の事を喋ったのか?」

「まずは歩いてください。ここじゃ富沢の目があります」


 欅の発言に思わず歩みを止めると、葵に後ろからあおられた。

 確かに富沢に聞かれて損することはあれど、事態が好転することはない。

 無事にタクシーを拾えると、車中で続きを話し出した。無理を言って欅と一緒のタクシーに乗せてもらう事になった。


「流石に二人の事は話してないわ。人間の事だもの、狐狸貂猫には言い辛いわよ」

「そりゃあそうだ。青鹿は?」

「青鹿がどうなっているのかは分からないわ。予定じゃ昨日の内に海潮に打ち明けてるはずなんだけど」

「なら、雁ノ丞は? 狸どもがあいつは富沢家に素直に戻ってきたと言ってたけど」


 欅は状況を整理するために、小生たちが穴蔵神社を出てから今日まで起こった事の全てを話してくれた。雁ノ丞の咄嗟の機転、それを受けた青鹿の計図、自分の為に他家に頭を下げてくれた欅を思うと、何だか不甲斐なさで押しつぶされそうだった。けれども小生は、その不甲斐なさの中に得も言われぬ嬉しさがあるのに気が付いた。

 およそ一年ぶりに戻った住処はやはり懐かしかった。

 森の中にぽっかり空いた空き地が小生のお気に入りであった。そこを通ってうろ穴に向かうと、穴の前に何者かの気配があった。


「誰かいます」


 先行していた数匹が直ちに警戒の色を露わにした。

 隙間から垣間見たその何者は、よく見知った猫であった。


「青鹿、戻ってたの?」

「どうなったんだ? 海潮は何だって? 姫とはどうなった?」


 思わず小生は飛び出して尋ねた。それは欅も同じであった。けれども返事はなく、青鹿はその尻尾と同じように首を横に振るだけだった。


「どう、いう――事だ?」


 堪らず問いただした。


「やられた。先手を打たれた」

「え?」

「どういう意味よ」

「風梨も富沢も腹が立つくらい、巧妙で酷い事をしやがる。いやぁ、オイラ達の思い込みがいけなかったのかもね」


 青鹿は見たこともない神妙な顔をして、鳴子での出来事を語り出した。


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