プロローグ:6
夢を見ているのだろうか?
あるいは、ここは死後の世界なのだろうか?
じぃ、と興味深そうに見つめる雄犬を前に、わたしは思案にふけりそして頬をつねる。痛い。じゃあこれは夢ではない。
次いで恐る恐る腕を伸ばし、目の前の毛並みに触れてみようと試みるが、ジェイク――それが彼の名だ――はこちらに興味が尽きたのか、ぷいと首を返し反対の方へ歩いてゆく。
「あ、ちょっと」
戸惑うわたしのすぐ側で、誰かのけらけらと笑う声が聞こえた。
恐れいだきつつも本能が勝り、不安を払拭すべく首をめぐらせた。
――そして遂に、わたしの瞳は奴の正体を知る。
それは幼い少年の姿をしていた。
髪は艶やかで淑女のようわずかに波打ち。艶然とした、奇妙な色気すら纏い、わたしに試すような視線を注ぐ。
「きれい……」
つい、口を割って正直な感想がこぼれると同時に、少年が怪しげに口の端を持ち上げた。
それは天使か。悪魔か。
涼しげな口許はされども毒を秘めている。
「あなた……だれ?」
用心しつつ、意を決しわたしは彼に訊ねる。にやりと笑みをこぼし彼が口を開いた。
「さぁ、誰だろう?」
それは試すような口ぶりだった。
「ふざけないでよ!」
余裕ぶった少年の態度が気にくわず、わたしは声をあらげる。
くくっ、と肩を揺らし「面白いね、君」と彼は答えた。
「だけど、無礼だね。人に名を訊ねるならまず自分から名乗れよ」
それまでのおどけていた様子から一転、急に彼が口調を変える。
突然の威圧感にわたしは気圧され、う、と言葉をつめる。
そして彼はわたしに近寄り、「名前は?」と冷たい瞳のまま訊ねてくるのだ。
わたしはそれに服従してしまった。
「アンジェリカ」
それは祖母から受け継いだ大切な名前だ。
「アンジェ」
薄く。気味のわるい笑みを浮かべ、品定めするかのよう目の前の男が舌で転がす。
その瞳に――悪魔の言葉に――わたしは囚われた。
「お……教えてあげたんだからそっちも名乗りなさいよ!」
「よく聴くがいい。僕の名は――」
互いに告げた名前は、契約のはじまり。
或いは、永遠の呪い。歪んだ愛。
わたしは彼の器となり、彼から与えられた力を声に注ぐ。
世界を燃やす、これが黙示録の第一歩となる。
■プロローグ、了