第04話『結果報告と馬鹿話』
翌週。
まだまだ五月が続いている。この季節は五月病という病が流行る頃である。
ゴールデンウィークが明けた今、どんぴしゃの時期だ。新入生や新社会人は急な環境の変化に上手く適応することが重要だ。
それも今更俺には関係ないが、ゴールデンウィークが明けたということは一度土曜日を過ぎたことになる。
好きな女子と友達も連れてだが、遊園地に行ったというラケットはどうなったのだろう。当日に五月病が発症していたならば目も当てられない。
しかし、話を聞く限りでは、俺は心配などしてない。むしろあいつらなら安心して結果報告を聞くことが出来るだろう。
まあ一方的に盗み聞きするだけなのだが。
休日が終わったということは平日になったということで、当然学校もある。
場所は天王寺駅。いつもの時間、いつもの電車のいつもの席に座っていれば――
「あれ? 僕一人か……」
デクレシェンドを加えて、ラケットが呟く。
いつも一緒に電車に乗ってくる三人だったが、待ち合わせをしているわけじゃなかったようだ。
やがて扉が閉まりますとホームにアナウンスが響いた。
外を見やると相変わらず夥しいほどの人である。その中で何人かが電車の中に走り込んでいる。そこにスパイクとバットの姿はなかった。
そう思ったのも束の間、階段を少年二人が駆け下りて来た。歓喜の声を上げそうになるがぐっと堪える。ラケットはつまらなそうに反対側のホームを眺めている。
アナウンスが鳴ってからそこそこ時間が経過した。
焦燥感に塗れた二人がホームを走る。
間に合え、間に合え、間に合え。
結果、俺のその念が通じたのか二人が入るその瞬間まで扉は閉まらなかった。
聞いたことがある。ギリギリ電車に入れた人は時間に間に合ったからではなく、車掌が待ってくれたからだ、と。若い少年達の代わりに車掌に感謝である。あっす。
電車が進み出したのも気に止めず息が絶え絶えになる二人だが、一方そんな状況など知らないラケットは反対を見て涼しい顔をしている。
「ら、ラケット……」
「おは、おはよう」
苦し紛れに紡いだ言葉はラケットを気づかせるのに十分だった。ラケットは振り向くと二人の形相に驚愕した。
うんまあ確かにすごい表情だしね。汗かきすぎだし。
「二人とも、とりあえず休んだら?」
そりゃそうなる。
一体どこから走ってきたのか、二人は次の駅につくまでまともに話すことができなかった。
「よしもう大丈夫だ」
「いっやーお恥ずかしいことに俺ら寝坊しちゃってさー家からビーダッシュよ」
「あ、うん」
サムズアップで無事を報告するバットと、ボタンを連打するジェスチャーでおちゃらけるスパイクに対しラケットの反応は薄かった。
「ところでさ土曜日はどうだったんよ」
「それ気になる」
「えー言わなきゃ駄目?」
駄目駄目。俺も気になるから今言うんだ。
「だってお前、俺達に報告なしって冷たすぎやしないかい?」
「人の恋愛に踏み込むのはよくないと思うんだけど」
酷いぞーと言うスパイクだがラケットの言うことも一理ある。俺が言うのもなんだが恋愛とは自分で掴み取るもので、本来他人の力を借りるものではない。俺は自分で頑張ったしな。
でもまあラケットの場合、二人には少なからずお世話になったみたいだし結果報告くらいしてもいいとは思う。
「そう言われると聞きにくいな」
バットは真面目なようでラケットの言葉を素直に受け止めている。素直なのは野球のおかげだな。
「いや駄目だね。早く言っちまえ。電車着いちゃうぞ」
スパイクと言えば、それでも引く意思は無いようだ。
「冗談だって。言うよ。実は――」
言いかけて、三人は降車した。
え、もう!?
慌てて外を見ると、天王寺駅とは別のホームに着いていた。駅名を確認すると、そこには桃谷と記されていた。
ああ。せめて進展したかどうかくらい教えてくれよ……。
◆ ◆ ◆
それから六月、七月と過ぎたが三人が俺と同じ車両に乗ることは無かった。
あ、でも七月ぐらいに一回いたな。なんか、山下先生が休んだとかどうとか言ってたな。
まあでも、それっきりだ。いつも同じ車両に乗るとは限らないってことだ。
八月に入ると、学生は夏休み真っ盛りだ。大して期待はしていなかったがやはり三人は現れなかった。
九月になると夏の暑さも薄らいでいく。ひんやりと涼しかった冷房も効きが悪くなってきている。
そして、季節の移ろいなど気にせず環状線は今日も回り続ける。
そんな九月、その中旬辺りのことだ。
朝、天王寺駅に着くと、扉の前のホームに三人は立っていた。
随分と会っていなかったが、三人は変わらず楽しそうにお喋りしていた。服装にも特に変化はない。
というか変わったところがない。
扉が開くと、三人の喧しい話し声が入り込んでくる。三人が中に入ると、他に音の発生源はほとんどなく鮮明に三人の声が聞こえる。俺が座っているのと反対側の扉の近くで三人は立ち話を行っていた。
「――はいやだー」
何やら宣言したスパイクに二人が拍手を送っている。電車が進み出し、景色が移り変わる中、どんな話だと聞き耳を立てていると続きが聞こえた。
「ではまずバット君から」
「高校生ものなのに年が明らかに三十ぐらいのやつ」
「あー確かにあからさまなのはな。年齢考えろ! とは思うよな。はい次、ラケット!」
映画の話だろうか。バットの一投目に心当たりがあるのかスパイクはうんうんと頷いている。
「明らかに演技」
「あるよな。俺らでもわかるくらいの嘘くさいやつがさ」
「萎えるよなー」
ラケットの二投目には二人ともがあるあると賛同している。
君達そんなに映画に通じているのかい?
「じゃあ次はスパイクね」
肩の荷が降りたラケットがスパイクに次は君の番だ、と手で示す。
「男がイケメンすぎる」
「嫌だな」
「僕達イケメンじゃないし複雑な心境になるよね」
これも高評価だ。
イケメンを見てもさして問題は無い気がするが、まあ最近の高校生は分からんからな。
「はい次、バット」
「カメラが映り込んでいる」
「うわー嫌だ」
「それって発売されないと思うけど……」
スパイクはいい反応をしたが、ラケットは若干否定的だ。
というか映画って発売されるものなのか? 放映じゃないのか? まあ最近の映画は分からんからな。
「また僕か」
「そうだぞ。はよ言え」
「女が不細工」
一瞬ためらったわりにラケットはすぐに答えを出した。
しかし、女が不細工と来たか。なかなか理不尽な意見だ。確かに女優と言えば綺麗な人が多いがそうとは言えない人もいる。それを全否定とは、これは二人の意見も否定的になるはずだ。
「あるある」
「確かに。不細工は出るなって思うよ」
あれ? これ本当に映画の話だよな?
少々不安になってきたが、まあ最近の世の中は分からんからな。仕方ない。
「はい次バット」
「ちょっと待って、今考える」
二周目のラストに来たが早くもネタ切れのようだ。
数秒考えると、バットは顔を上げた。
「どうぞ」
「母親が出演してる」
言った瞬間、スパイクとラケットが噴き出した。肩をぶるぶると震わせ、口を抑えている。
おいおい。何がそんなに可笑しいんだ? 母親が出てるなら立派な事じゃないか。自慢すれども笑うことはないだろう。
「やめてバット! ちょっと想像しちゃっただろ!」
「俺も考えたけど言わなかったのに……こいつ言いやがった!」
言われてみればもし母親が映画に出ていれば俺も笑ってしまうかもしれない。場違いすぎて。
しかし爆笑するほどなのか?
とまあ、俺の小さく、素朴な疑問は次のバットの言葉により解決してしまった。
「二周したし決めようぜ。誰の『こんなAVはいやだー』が一番面白いか」
映画じゃねえのかよ!
思わず座席から立ち上がってしまったが幸い声には出ていなかった。周りの人も三人のやり取りが聞こえていないのか、聞こえていないふりをしているのか、特に俺に何か言うことはなかった。
いやそれは当たり前か。
「俺はバットのやつかな。母親の」
「僕もそう思う。というかこの話題もういいでしょ」
「よっしゃ。二人とも後でジュース奢れよ」
「わかってるって」
「僕も払わないとダメか……」
ジュース一つでここまで盛り上がれる高校生がいるだろうか? いやいる。高校生なんてそんなもんだし。最近は知らんけど、俺の頃はそうだった。
オチが付いたところで、ちょうど桃谷駅に着いた。
三人が降りたところで、そのすぐ隣の座席に座っていた白髪の定年間近のスーツ姿の爺さんが笑いをこらえていた。
どこかで会った気がするが、きっとそれはこの電車の中での事だろう。それに爺さんの前には若いスーツの男も一緒だった。
もしかすると別人かもしれないが。