ウィルフレッドという兄
すでに投稿した部分を一部加筆しました。
よろしければ先にそちらをご覧ください。
リコリスの民とその魔力についての告白は、私にとって予想外のものだった。
ゲームのことを知っているからといって、私は万能なわけではない。ただのか弱い少女だということを自覚するべきなのかもしれない。しかも、寝たきり生活のせいで体力は急激に落ちている。この世界がRPGならば、今ごろ私のHPは真っ赤だろう。
というわけで、私はこの数日間、ベッドでまったり療養生活だ。徐々に体調も回復し、一人で起き上がって部屋を歩き回れるくらいにはなってきた。とはいえ、暇すぎる。そろそろ飽きてきた。
そんな私の暇さを汲み取ってか、ウィルフレッドはこまめに顔を見せてくれる。
「まさか50日間も眠り続けるとは思わなかった。本当に心配したんだからな」
くしゃくしゃと乱雑に髪を撫でられるのは、何とも気恥ずかしい。リリアナにとっては兄であるが、三十路の私にしてみれば十歳は年下の少年だ。正直、犯罪感すらある。
「に、兄様、恥ずかしいです」
抗議したところで、ウィルフレッドは一切聞き入れない。それどころか、余計にグシャグシャと髪を撫で、いたずらっ子っぽく笑う。
こうして見ていると、本当にただの年相応の少年に見えるが、彼はその内側に人知れぬ暗闇を抱えている。王家の血を引かないという事実。そんな風には全く見えないけれど、家族と接するたびに胸中では複雑な思いを浮かべているのかもしれない。
「ところで、最近宰相と随分打ち解けたようだな」
「そうでしょうか……確かに、以前よりは、敵視せず関われるようになったと思います」
あの深夜の密会以来、クロウを見る目が変わったのは自覚していた。彼が何を考えているのかは相変わらず理解できないけれど、一応は信じてみてもいいのではないかと思うくらいには。
「……あの宰相には、気を許すなよ」
そういえば、作中でもウィルフレッドはクロウに否定的だった。クロウを信頼しすぎている国王やアルフレッドをよく諌めていた。この国で唯一ウィルフレッドだけは、宰相の本質を見抜いていたということなのだろうか。
「ウィルフレッド兄さまは、クロウのことを嫌ってるのでしょうか」
「別に、嫌ってるって訳じゃないさ。ただ、信用ならないってだけで。」
そう言って、少し困った顔で笑みを浮かべたウィルフレッドは、私の頭をまた乱暴に撫でた。せっかくシュリルに整えてもらった髪がぐちゃぐちゃだ。
「俺は王位には全く興味がないし、万が一王位に付けっていわれても断る。でも、あの宰相がいるのなら、アルフレッドに王位を継がせるのも心配だ」
明確にウィルフレッドが王位継承権を放棄しない理由はそれなのだろう。国王の実子ではない彼は、王位を欲することはない。だが、兄のアルフレッドの治世を思い、宰相を不安視しているらしい。
「できるなら、アルフレッドが王位を継いで、俺を宰相に指名してほしいな。そうすれば、俺は全力でアルフレッドを最高の名君にする」
それは、作中でも語られたウィルフレッドの夢だ。兄の隣で、兄を支えたい。そう願う彼は、自分の立場を十分に理解した上で、そう願った。孤児であったクロウが就いている宰相の座は、ウィルフレッドにとって唯一、自分の出自を踏まえた上で王宮に残れる道だった。
「クロウの政治手腕は半端ないし、仕事も早い。あらゆる知識に通じてるし、何よりリコリスの民とうまくやってる。でも、俺はあいつをどこか信用できない」
リコリスの民。その単語に、ドクンと心臓が跳ねる。
うまくやっているも何も、彼自身がリコリスの民である。そのことは、私しか知らないようだけれど。
もしかしたら、ウィルフレッドはクロウの抱える秘密の気配を無意識に感じ取っているのかもしれない、ウィルフレッド自身も重大な秘密を抱える身だ。意識せずクロウに同じ気配を見出し、不信感を抱いたのかもしれない。
「父上の前妻がリコリスの民の長だったのは覚えているか?リコリスの長が王妃になるにも色々揉めたらしいんだが、大恋愛の末の結婚で無理に押し通したらしい。その王妃が早世したせいで、一時期王国とリコリスとの関係は切れかかってたのさ。それを再び結びつけたのが、あの宰相って話らしいぞ。」
国王陛下の前妻、前王妃については作中ではあまり多くが語られていない。ただ、二人の間に子供はなく、王妃が早世したことで国王は嘆き悲しみ、そして一時期政治が揺らいだ。そんな表現だったように思う。
そうか、その王妃がリコリスの民だったのは、知らなかった。これもクロウのルートに関わりがあるのだろうか。
もう少し、詳しく話を聞こうとしたその時、扉がノックされて宰相の声が響いた。
「失礼します。ウィルフレッド様、剣術の修練のお時間です」
にっこりと笑うクロウの頰には、今日も赤いリコリスが咲いている。一体、どこで何に魔力を使用したのだろう。思わずその花を見つめてしまっている私に気づいたクロウは、少し困ったような顔をした。
ウィルフレッドの視線が向いていないことを確認し、すっと人差し指を口元に当てた宰相は、珍しく悪戯っぽく笑う。
ああ、そういう顔をするの、ずるい。
攻略対象の意外な一面に、ぎゅっと胸を鷲掴まれる。スチルがあったら舐め回すように見た挙句、スマホの壁紙に設定する。
「リリアナ。記憶を無くして、その上原因不明の病だ。不安かもしれないが、俺も、アルフレッドも、いつでもお前の味方だからな。困ったことはすぐ言えよ」
宰相の笑顔はすでにいつもの微笑みに戻っている。何も気づかず、ウィルフレッドはぐしゃぐしゃ私の頭を撫でた。もしかしてこの兄は私のことを子犬か何かと勘違いしてないか、とそろそろ思う。
「ウィルフレッド兄様、撫ですぎですっ……」
「……ウィルフレッド兄様はむず痒いなあ。ウィルって呼んでくれる?」
そう言ったウィルフレッドは、今度は頭を撫でるのではなく、私の手を取った。
また、手にキスでもする気なのだろうか。反射的に目をつぶってしまった私の頰に、何か柔らかいものが触れた。
ちゅ、と耳元に音を残したそれは……。思い当たるものに、私の顔は一瞬で赤く染まる。
ウィルフレッドを見れば、悪戯が成功したと言わんばかりの満面の笑みで口の端を釣り上げている。その隣のクロウは呆れ顔だ。
「っ!ウィル!」
真っ赤な顔で抗議するも、ウィルフレッドは全く気にする様子はない。
それどころか、もう一度、今度は目をしっかり開けた状態で、同じ場所にキスを落とされる。
兄妹でこれはあり?いや、無しだろう!
「まぁたアルに小突かれる」
「もう! 早く行ってください!」
真っ赤な顔での抗議は、あまり効果がないらしい。へらへら笑う兄は、上機嫌で手を振って部屋を出た。
正直、三十路喪女には刺激が強すぎる。こんな生活、心臓がいくつあっても足りない!
「仲がよろしいですね」
そう言って笑う宰相の笑みがいつもより冷たいのは、気のせいだろうか。
攻略予定の相手の微笑みに、何だか酷く憂鬱になった。