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記憶喪失になったのは

「……申し訳ありません、姫様はなんのことをお話しされているのでしょう。私にはわかりかねますが」


少し困ったような雰囲気で首を傾げ、クロウは微笑んでいる。その右頬には、確かに真っ赤なリコリスの花の模様が浮かび上がっていた。けれど、シュリルもミイナもそれを気にするようなそぶりは一切ない。クロウだけが、ほんのりと困った顔でこちらを見つめている。


「だから、その、頬の赤い」

「ああ、少しだけ風邪気味かもしれません。大変失礼しました。シュリル、姫様に予防用の薬湯を用意していただけますか?ミイナも一緒に行って覚えてきてください」


リコリスの花が、と続けようとした私の言葉は、クロウによって遮られた。そういう意味の赤ではない。

それをわかっていてなのか、シュリルとミイナを退室させたクロウは、すっと笑顔を消して私を見つめてきた。


「……クロウ……?」

「姫様、これが見えてらっしゃるのですか?」


銀糸の髪をかき上げ、右頬から首筋までをさらす。頬だけではなく首筋から鎖骨まで、はっきりと赤い花の模様が散っていた。

クロウの白い肌に咲く花の模様は美しく、思わず見ほれるほどだ。ただ、どうにもそれがシュリルやミイナには見えていないことや、私にも見えるはずがないと思われていたらしいことがなんとも奇妙で、底知れぬ恐ろしさを感じる。


「…………困りましたね」


赤い花を見つめる私の様子にため息をついたクロウは、再び優しく微笑んだ。明らかに作り笑いだ。

深紅のリコリスに見惚れる私の目の前に、手のひらを差し出し、そして。


「申し訳ございません。忘れていただけますか?……今一度、全て」


そう言われたその瞬間、私の意識はぷつりと途切れた。まるで、リセットボタンを押されたように。















夢を見ていた。

お母さんと、弟と、三人で暮らしている夢。

これは、きっと、お父さんが死んじゃったすぐ、あと。まだ、私が小学生のころ。

お父さんの遺品を整理しながら、お父さんが死んでから、久々にお母さんと二人で話したあの日。

『お父さん、急だったから……何にも整理しないで死んじゃったね』

『そうねえ。今頃天国で悶えてるんじゃないかしら。見ないで~って』

『ありそう。お父さん、シャイだったから』

『シャイねえ……あら、これ、父の日の』

『メダル?タツキが作ったの?』

『やあねえ、あんたよ。お父さん、これもらって大泣きしてたんだから』

『ええ~全然覚えてないやあ』

『まだ幼稚園だったものねえ。忘れちゃうわよね』

『……お父さんとのこと……忘れたくないなあ』

『そうね……人は忘れる生き物だけど……大事なことは大切にしまっておけるのよ。お母さんは、お父さんのこと、死ぬまで全部ちゃんと覚えておく』

『私も覚えてたい。どうしたら、忘れないの?』

『大事なことはね、心の中の宝箱に、きちんとしまって鍵をかけるの』

『鍵?』

『そう、鍵。鍵は、自分にしか開けられない。忘れたいときにしか、忘れられない。そんな宝箱に、お父さんの思い出、しまっておこうね』

そう言って笑う母の目には、大粒の涙が浮かんでいたのを覚えている。

うん、私、ちゃんと覚えてるよ。死んじゃったし、今はもうお母さんとお父さんの娘じゃないけど、忘れてないよ。




懐かしい夢から覚めて、最初に見たのは、銀色の髪をした宰相だった。


「……おはようございます、姫様。お目覚めになられたんですね」


体を起こしてみると、全身がバキバキと痛む。手足が、自分が思うように動かせない。

起き上がろうとした私を慌てて制したのはシュリルだ。目を真っ赤に腫らせている。その隣では、ミイナがぐすぐすと泣きじゃくっていた。


「……どういうこと?」


ただならぬ雰囲気と自分の体の変調に、顔をしかめることしかできない。傍らのクロウは、落ち着いて聞いてくださいね、と前置きしてとんでもないことを口にした。


「姫様は、50日間もの間、目を覚まされなかったのですよ」


50日。軽くひと月半以上、どうやら私は眠り続けていたらしい。衝撃的すぎる。

言葉も出ない私の体をシュリルが支えて起こしてくれた。全身が固く痛むのは、その後遺症というわけか。起き上がるだけでも相当の体力を要したし、なんだか頭はくらくらする。


直前まで見ていた前世の夢のせいか、少し記憶があいまいだ。

私は、そもそも、どうして眠っていたんだっけ。


その疑問を抱いた瞬間、頭の中で火花がはじけた。

『申し訳ございません。忘れていただけますか?……今一度、全て』

そう言い、私に手をかざした宰相の冷たい微笑みと、頬に浮かぶ真っ赤なリコリスの花。

そうだ、私は、あのとき、クロウに。


「…………………姫様、どうかなさいましたか」


頭を抱える私に、優し気な声音でクロウが話しかける。

その手を払い、私は彼をにらみつけた。珍しく動揺したのか、それとも私の何かを見定めようとしているのか、目を見開いたクロウは、笑顔を浮かべずじっと私を見つめている。


「忘れていただけますか、って、今一度って! どういうこと?説明して!」


何をされたのかわからない。ただ、何かをされそうになった、そのことは明らかだった。そしてその何かは、おそらく、私の記憶にかかわることで、それは過去にもあったということ。

リリアナとしての記憶が欠落している原因は、もしかしたらこの宰相にあるのかもしれない。

転生の副作用か何かだろうと思っていた。けれど、きっとそれは違う。私の、リリアナ・フォンテーヌの記憶は、人為的に奪われたのだ。


「姫様、落ち着いてください。何のことでしょう」


「あなたが言ったんでしょう!私の記憶を消すって……!」


この世界は、私がこれまで生きてきた世界線にはない、別の世界だ。非現実的な手段が用いられたとしたっておかしくはない。

作中に描かれた以上のことは、すでにいくつも起きている。シュリルの存在、孤児院の訪問、ミイナとの出会い。そして赤いリコリスの花。この世界はゲームの世界と同一かもしれないけれど、ゲームではない。ゲームに描かれた以外のことだって、起こりうる世界なんだ。


私の様子にわずかな動揺を見せたクロウだったが、さすがは一国の宰相、すぐに表情を整え、落ち着いた微笑みを浮かべる。今更、そんな微笑みに騙されることなんてないというのに。


「夢でも見られたのでしょう。何せ50日もの間、眠ったままだったのですから」


根拠も証拠も、ついでに体力もない私は、それに反論するすべを持たない。

そうですよ、姫様、落ち着いてください。そういって私の背を撫でるシュリルに一連のできごとを話したら、どれだけ信じてもらえるのだろう。ミイナなら、そういう話への食いつきはよさそうな気がする。なんとなくだけれど。


「……クロウ、私、あなたのことを信じない」


そう言うだけで、精いっぱいだった。偏見は捨てて、と以前進言してきた二人のメイドは、少し困った顔をし、私とクロウを見比べている。

夢になんてさせるものか。そう、この男は、すべての黒幕なんだ。忘れちゃいけない。


「信用していただけるよう、精進します」


にっこりと笑うクロウの目は、まったく笑わずに私を射抜いていた。

信用なんて、絶対にできないような冷たさで。

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