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リコリスの花

私、リリアナ・フォンテーヌはこの上なく上機嫌だった。

あの宰相に勝った気分は本当に心地よくーー攻略対象に抱く感情ではないのは自覚しているーー爽快だった。

訳のわからないうちに転生し、バッドエンド上等の世界に放り込まれた身としては、これくらいの喜びがないと先々絶対持たない。そんな気持ちも手伝って、本当に本当の本当に上機嫌だったのだ。

ーー上機嫌すぎて、あんまり前を見ずに歩き、階段を踏み外してしまうほどに。


「ひっ、うっそ……!!」


王宮の階段は基本的にふかふかふわふわだ。だがしかし、ふかふかふわふわの下は石造りだ。そして私は今、そんな階段を真っ逆さまだ。

まずい。死ぬかも。

こんなバッドエンドは想定してない!


「……?」


最悪の事態まで想定して全身を硬くした私だったが、想像したような衝撃はやってこなかった。

それどころか、ふわんとお尻からやさしく床に降りる。まるで、見えない何かに支えられ、抱えられたように。


不審に思い辺りを見渡すが、誰も居ない。階段から落ちたところを見られていないのはいいけれど。

奇妙な現象だが、そういうこともあるのかもしれない、とスルーするしかなかった。死を覚悟したのに死ななかったのだし。結果良ければオールオッケーってやつだ。今後は、気をつけよう。


姫様らしさを意識し、しずしずと歩きながら、ふと思った。

ーーゲームの世界とはいえ、死んだら終わりだ。コンティニューは存在しない。

前世での死を思い出し、身震いする。炎に巻かれるあの恐怖。死んだ瞬間の記憶は幸い残っていないけれど、再び味わいたいとは思わない。

もう少しだけ、自分の命に真摯に生きよう。そう自分の心に誓った。














翌朝、私を起こしてくれたのは、シュリルと、孤児院で出会ったミイナだった。


「姫様、おはようございます! 本当に雇っていただけるなんて、夢みたいです!」

「おはようございます、姫様。さっそくメイドを増員してくださって、ありがとうございます。」


シュリルと揃いのメイド服に身を包んだミイナは、本当に嬉しそうに笑っている。その隣のシュリルも、後輩の笑顔に頬が緩みっぱなしだ。


「お、おはよう、2人とも。ミイナ、本当にすぐ来てくれたのね」


寝ぼけ眼をこすりつつ状態の私の身支度を整えながら、2人はおしゃべりに花を咲かせる。私が記憶喪失になっって以来、ややおてんば気味なこと。2人の王子は、王位争いには消極的で、実は仲がよいこと。宰相はとんでもなく美形だけれどもお付き合いしている噂は一切聞かないこと。最近はまっているお菓子のこと。お勧めの化粧品のこと。最近買った洋服が少しきついこと。全然効果のなかったダイエットのこと。話題の中心は、王宮の各種事情から日常生活のあれこれに及び、2人は昔からの友達のようにすっかり打ち解けてしまっている。


「何だかとっても仲良くなったのね。クロウに嫌味を言われても迎え入れた甲斐があるわ!」


そう言って笑いかけると、ミイナはキョトンとした顔で大きな目をさらにまん丸にした。


「クロウ様って、宰相様ですよね? 昨日のうちに、私を迎えに来てくださったのが、その宰相様ですよ? 本当は、今日の午後から乗合馬車を利用してここに来るつもりだったんです。それなのに、わざわざ孤児院まで迎えにいらっしゃって、姫様のメイドが1人しかいないから、少しでも早く来てくれればっておっしゃったの。本当に姫様のためを思ってらっしゃるんだなあって思ったの」


給金がどうのこうのと渋い顔をしたあの宰相が、わざわざ直々にミイナを迎えに行ったというのは少しばかり信じ難かった。だが、そんな嘘を吐く意味もない。それが真実なのだろう。


「姫様、百面相みたいになってますよ。」


ぐいぐいっとシュリルに眉間のシワを伸ばされる。だって、あの宰相が。

そう言おうとした私の髪をとかしながら、ややため息まじりにシュリルは言う。


「記憶喪失になってから、何だかリリアナは宰相様のこと敵視してるみたいだけど……宰相様は怖い時もあるけど、いつも王族の皆様のことを第一に考えてるのよ」


その声は優しくて、宰相を庇っているとか、無理やり言い聞かせているとか、そんな感じは一切ない。シュリルは、本心から宰相を信頼し、こう言っているようだ。


「このあいだの処刑のことだって、姫様方のことを第一に思うなら、必要なことだもの。姫様方に害を成そうって人は、姫様が思っている以上に多いんですよ」


確かにそうだろう。王族である以上、キーパーソンであり続けるのは間違いない。誰から見ても、何らかの利害が生じる存在であるのは仕方のないことだ。

そんな私が誘拐される。そのことの重さは、私が考える以上のものなのかもしれない。

だからといって、処刑や暗殺をよしとするつもりは全くないけれど。


「姫様は、一度宰相様のことを色眼鏡抜きで見てみるといいのかもしれませんね」


そう言ったのは、ミイナだ。使用済みのベッドを整えながら、何げなく呟く。


「あんな……孤児院ぐらしの私でも知ってるくらい偉いお方なのに、姫様をお願いします、って私に頭を下げてくれたもの。これって、ありえないことだと思わない?」


「……うん、思う、けど」


けど、あの宰相は黒幕なんだよね。

前世のゲームの記憶を根拠にした言葉は、もちろん発することができない。だから、2人には、私が今更簡単に態度を変えられない、と逡巡したように見えただろう。


「もうすぐ1日のスケジュール確認で宰相様がいらっしゃいますし、少しだけ反発せずお話しして見てください。ね、リリアナ。」


「……うん、そうしてみる」


確かに、私は先入観にとらわれすぎていたのかもしれない。

聞き分けのない妹に言い聞かせるような態度も、シュリルなら全然嫌な感じはしない。きっと同じ態度を宰相に取られたら苛立ってしまう。そんな感情は一旦リセットして、宰相を見てみよう、と思う。

なんたって、私はあの宰相を籠絡しなければならないのだし。

そう決意した瞬間、扉をノックする音が室内に響いた。


「失礼します。本日の公務内容を報告に参りました」


シュリルが招き入れたクロウの顔を見て、私は思わず固まった。そんな私の反応に、シュリルはやや眉をひそめる。いや、でもね、シュリル、どうしてあなたはそんなに平然とその人を迎え入れてるの?


クロウの右頬は、真っ赤だった。誰かに叩かれたとか、熱がありそうとか、そういう赤みではなく、真っ赤。一瞬、血かと見まごうほどに真っ赤な彼岸花ーーリコリスの紋様が浮かび上がっていた。

昨日までは絶対になかったその赤い花は、ゲーム中でも一度も見たことがない。


「クロウ……その、頰、どうしたの?」


そう問うと、クロウは、僅かに目を見開いた。

そして、静かに微笑み、言う。


「……申し訳ありません、姫様はなんのことをお話しされているのでしょう。私にはわかりかねますが」


その微笑みの傍らに、確かに咲き誇るリコリスは赤く美しく、そして、どこか恐ろしい。そんな色をしていた。

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