宰相は権力者
「リリアナ様、おやすみ前の身支度をさせていただきます」
「へっ? じ、自分でします!」
「そんなわけにはいきません! 宰相様に叱られてしまいます」
宰相陥落を決意したものの、ゲームとは違って普通に時間は過ぎるし眠くなる。スキップ機能もないし、選択肢もない。主要なイベントだけをこなして、はいエンディングというわけにはいかない、現実世界だ。
順調な攻略もまずは体が資本。自室で休むことを申し出た私の傍らには、20歳くらいのメイドが付いていた。ごくごく普通の日本人だった私には、おやすみ前の身支度くらい自分でできる。が、メイドの少女は引かない。
黒髪に真っ黒なつり目、ひょろりとした体つき。どこか前世の自分を彷彿させる見た目のメイドは、ぐいぐいと私をソファに押しやると温かいティーカップを手渡してくれた。そのまま、私のことはやや放置気味にベッドメイクや衣服の準備をしている。あれ、姫様の扱いちょっと雑じゃない?
「……いつも、私の身の回りのことは、あなたがしてくださってたの?ええと……」
「あ、すみません。申し遅れました、シュリルと申します」
ぺこり、と頭を下げたシュリルは、真っ白なネグリジェを私に手渡した。着替えようと立ち上がった私の背中に回り、あっという間にドレスを解いていく。
「シュリルさんが、いつも1人で?」
「シュリルとお呼びください、姫様」
「う……シュ、シュリル」
「はい、姫様。ここ一年ほどは、姫様のお世話はすべて、私がさせていただいてます。元々はもう少しメイドの人数もいたんですけど……アルフレッド様派とウィルフレッド様派の諍いがありまして、皆解雇されました」
声の調子はやや冷ためだが、仕事は早く丁寧だ。あっという間にネグリジェに着替えさせら、今度は髪を整えられる。その仕草は、見た目や声に反してとても優しい。
このシュリルというメイドは、ゲーム中には登場していない。背景の一部やモブ的にメイドがいたような記憶はあるが、シュリルという名は初耳だった。
ゲームの世界とはいえ、当然そこには色々な人が……作中に描かれなかった人たちがいるのだなあと不思議な感じを受けた。
「私は、みそっかすの爪弾きと言いますか、王位継承争いに興味がなくて。姫様のお世話をさせていただければ、それで幸せですので、こうして残っております」
再び座らされた私は、シュリルの手で丁寧に洗顔される。おおう、人に顔を洗われる……拭われる日が来るとは思わなかった。
「ああ、でもせっかくですから、新しいメイドを雇いませんか?1人は気楽なんですけど、掃除とか辛くって。」
次は両手のマッサージだ。華やかな香りのオイルを薄く塗られ、丁寧に揉み込まれる。つるつるのお肌はこうして作られているのか。
「えっとえっと、その、はい、その方がいいのなら…」
「やった!それじゃあ、今晩にでも宰相様に申請して許可をいただきますね!」
嬉しそうに笑うと、口元にえくぼができる。あ、かわいい。鼻歌交じりでマッサージを続けるシュリルに対する好感度が上がる。
「必要なのはクロウの許可なんですか?国王陛下……っと、お父様ではなくて」
「そうですよ。この国の政治やこの城のあれこれは全部宰相さまの手の上ですから。」
マッサージを終えたシュリルによって寝台へ促される。ふとんは羽根のように軽いし、シーツはサラサラ。さすがはお姫様のベッドだ。
「ありがとうございます、シュリル」
笑顔でお礼を告げると、シュリルは真っ黒な目を少し細めて眉根を寄せた。そして、少しためらいがちに口を開く。
「姫様、お願いがあるのですが……その、姫様が記憶を無くされて戸惑ってらっしゃるのは重々承知なんですけど、姫様に敬語を使われると違和感がすごくって……。それに私、幼い頃から一緒に過ごしてきたのもありまして、幼馴染といいますか……私も割と砕けた感じに姫様と接してたので……もしよろしければこれからもそんな感じの接し方をさせてもらいたいんですけど……」
言っていることが正当な要求ではないことを自覚した上での発言ゆえか、言葉はどんどん弱く弱くなっていく。切れ長の瞳が弱々しげに伏せられているのは、何だか妙な色気を感じさせた。
「そうだったの……ごめんなさい、シュリル。これからは、気をつけるね」
「こっちこそすみません!そもそも王族の方にこんなこと要求する方が不敬なんですけど」
「ううん、言ってもらえた方がありがたい。何にもわかんないんだもの。シュリル、頼りにしてるわ」
頼りにしているのは本当だ。攻略対象相手では、下手に距離をとったり詰めたりするとエンディングにどんな影響を及ぼすことか。その点、作中では名前も明かされないメイドならば、何を聞いてもエンディングには影響しないだろう。
頼りにしている。本当に。手を握って笑顔でもう一度告げると、シュリルの瞳が大きく見開かれ、涙が溢れでた。
「シュ、シュリル!?」
「ご、ごめんなさ、記憶がなくっても、リリアナはリリアナだなあって、笑顔見たら……ひっく……」
ぐすぐすと泣きじゃくるシュリルを見ていると、なぜだか自分も泣きたくなった。リリアナ。敬称をつけずにシュリルからそう呼ばれると、胸の奥がこそばゆい。これは、もしかしたら私ではなく「リリアナ」の感情なのかもしれない。
しばらくぎゅうぎゅうと抱き合って、ぐすぐす泣いているシュリルの背を撫でていると、控えめにドアがノックされた。
「リリアナ、まだ起きているかい?」
その声に、シュリルはばっと飛び上がるようにして私から離れ、その場に跪いた。
私にとっては、聞いたことのない声。落ち着いた深みのある男性の声だった。
国王陛下です。
小さくシュリルが囁く。
「お、起きています!」
慌ててガウンを羽織り、ドアを開く。その先には、やや青白い顔の男性とその後ろに控えるクロウがいた。
この青白い顔の男性には見覚えがある。作中にも登場した国王陛下その人だ。作中よりもやや顔色が悪いのは、気のせいではないだろう。ゆったりとした、どこか重ためな足取りだ。
「陛下、どうぞお座りください」
「うむ。すまんな、クロウ」
クロウが差し出した椅子に深く腰掛け、国王は深く息を吐く。あまり体調は良くないように見受けられる。
「陛下……っと、お父様……?」
「ああ、リリアナ……記憶を失ったというのは、本当なのだな……」
「はい…ご心配をおかけして申し訳ありません」
痛ましげに細められたダークブルーの瞳が潤む。自分を心配する国王の姿に、ふと前世の父の姿が重なる。親を心配させている罪悪感に胸をえぐられた。
「此度の誘拐事件、ルトムース家が関わっていたんだったな?」
問われたクロウは、深々と礼をして口を開く。その声色は、どこか緊張しているような印象を受ける固い声だった。
「はい。次男のクラウス氏を主犯として捕縛しております。」
「王政廃止など馬鹿げたことを主張して、愛しのリリアナに手を出した罪は重い。」
ルトムース家の名は、たしか作中でも出てきていた。リリアナ誘拐事件はこの先の物語には大きく関わらないものの、後に続くイベントのきっかけとなるはずだ。
「お任せください。既にルトムース家の爵位を剥奪する手配を済ませました。クラウス氏に関しては公開での処刑を予定しております。」
「しょ、処刑!?」
ルトムース家の爵位剥奪。確かにそれはこの先、あるイベントのきっかけとなる。けれど、その後に続く単語に思わず素っ頓狂な声を上げた。
「クロウ、リリアナの前だ。控えなさい」
「申し訳ございません。大変失礼いたしました」
処刑ということは、人が死ぬということだ。日本での誘拐の罪は決して軽くはないが、無期懲役がせいぜいではないのだろうか。まして、今回の被害者は自分自身だ。自分のせいで犯人が死ぬようで、そんなのは非常に目覚めが悪い。
「……お、お父様、処刑なんてやり過ぎなのではないでしょうか。私もこの通り怪我なく戻りましたし、罪を償う機会を与えるべきでは……」
「どうなんだ、クロウ。」
国王なのに、なぜそこでクロウに問うのだ。そんな苛立ちも込めてクロウを睨むように見つめる。クロウは少しだけ困ったように微笑んで、それでも毅然とした声で言う。
「これまでは同様の罪を犯したものには爵位の剥奪と公開での処刑を行なっています。今回だけそれを違える理由はございません。」
「で、ですが、誘拐された本人である私が処刑を希望していません。」
「姫様の希望は聞き入れたいのですが……今回は不可能かと。民衆に示しがつきません。」
示しも何も、人の命以上に重いものなんてあるはずがないのに。これまでがそうだったなら、これから変えるべきではないのか。
かっと頭に血がのぼる。私の悪癖だ。自分が思ったことは、言いたいことは言わずにいられない。
「簡単に処刑なんてしてるから、王政廃止など訴えられるんじゃないの?私は、処刑なんて反対です!」
きっぱりと言い切る私は、リリアナらしくなかったのかもしれない、国王陛下もクロウも、ひどく驚いた顔で私を見た。そういえば、作中のリリアナは大人しく控えめな性格だった。彼女なら、理不尽だと思いながらも受け入れ、1人悩んだだろう。でも、私はリリアナではないのだから、我慢なんてできない。
「そもそも宰相が罪を決めること自体間違ってーー」
「シュリル、リリアナ様はお疲れのようです。今日はハーブを炊いてゆっくりとお休みになられるとよろしいでしょう」
私の言葉を遮って、クロウがシュリルに声をかける。普通に考えたら不敬であるそれを咎めるものはいない。シュリルは私の方をちらりと見つつ、戸惑った顔のままで、はい、と返事をした。
「お疲れのところ夜分遅くに申し訳ございませんでした。姫様、お休みなさいませ。……陛下、お手を。今日は寒うございます。お休みの前に暖かいお茶をお入れしましょう」
差し出された宰相の手を、国王がとる。宰相の意見は受け入れられるが、リリアナの意見が受け入れられることはないようだ。
「うむ……では、リリアナ。よく休むように。1日も早く記憶が戻るよう祈っておるぞ」
「陛下!お父様!処刑なんてやめさせてください!」
訴える私を少し困った顔で見て、何も言わずに国王は部屋を出る。傍らのクロウは、すっと目を細め、涼やかな視線を向けていた。
「……お休みなさいませ、姫様。良い夢を」
「……何なのよ、あれ……!」
「リリアナ様…その、あまり興奮されない方が……」
クロウの進言通りに炊いたハーブは、私の感情を落ち着けるのに何ら役に立たなかった。憤る私を落ち着けるように、シュリルが温かい飲み物を進めてくれる。今は、どちらかと言うと冷たいソーダ水でも一気に飲み干したい気分だ。
「人の命を、なんだと思ってるの、あいつ。信じられない……!」
「……私も処刑はやりすぎだと思いますよ。でも……宰相様のご判断ですから」
「政治も裁判も1人の手で行われてるってこと?三権分立はどこに行ったのよ」
日本製のゲームの世界といえども、日本と同様の政治システムにはなっていないらしい。それどころか、独裁政治ではないか。1人の判断で1人の命が奪われるなんて理不尽すぎる。ましてそれが自分が関わった事件でとなれば、何とも気分が悪い。
「……とりあえず、また明日訴えてみるわ。自分のせいで誰かが死ぬなんていやすぎるもの。」
「姫様のせいじゃありませんよ!誘拐なんて企てた方が悪いんですから!」
「分かってるわよ。でも、気分が悪いものは悪いの。」
「気持ちはわかりますけどね。なんだか、記憶喪失になった姫様は熱血ですね。」
そう言ってシュリルはベッドサイドの机にグラスを置いた。氷が浮いたそれは、冷たいハーブティだ。熱くなる私を見て用意してくれたのだろう。温かいお茶の入ったカップをおいてグラスを手に取り、中身を一気に煽る。爽やかな香りと氷の冷たさは、私の思考を少しだけ落ち着かせてくれた。
「……前の私なら、どうしてた?」
「処刑の話を聞いて、うじうじ悩みながらベッドの中でぐすぐす泣いてましたね」
「泣いても事態は変わらないじゃない」
「そうですね。ベッドで泣いてる姫様を慰めるより、興奮した姫様を落ち着ける方が大変ですけど、気分はいいです」
何もできず泣くだけ。確かにそれはゲームのリリアナ姫像にぴったりだ。不運に翻弄され不幸になるお姫様。だからこそ、シュリルも最初に用意したのは温かい飲み物だったのだろう。
リリアナになりきるならば、これ以上この件に首を突っ込むべきではないのだろう。それでも、私は納得できないし、納得できないことにはとことん戦いたかった。
明日は、朝一番にクロウを訪ねよう。
そう心に決め、冷たいお茶を飲み干した。
「クロウ!昨日の処刑の件で話があるんだけど!」
朝一番、朝食を取るのもそこそこに、私は宰相執務室の扉を開けた。ノックをし忘れたが、まあいいだろう。小さいことは気にしない。突然現れた私に驚いたのか、クロウは本棚の前で本を手に持ったまま固まった。
「姫様、おはようございます。朝早くからお元気ですね」
嫌味か。硬直から戻ったクロウはすっと本を閉じ、棚へ戻す。ソファへ座るよう促されたが、拒否。今日は戦いに来ている。相手のペースに乗るつもりはない。
「御機嫌よう、とでも言えばよくって?」
「そんな挑発的にならないでください。私はいつでも姫様の味方ですから」
どこがだ。胸中で毒づく。
にこにこと微笑むクロウはなにを考えているのか読めない。
「昨日の件だけど」
「姫様、その件ですが、もう論じる必要はございません」
机の上から書類を取り、渡された。見たこともない文字なのに、書かれていることがわかるのはそういう仕様なのだろう。報告書、と記されたその紙に書かれた内容に、私は目を疑った。
「昨晩、クラウス氏は自害いたしましたので、処刑の必要は無くなりました。」
牢番からの報告であるそれには、早朝の巡回でクラウス氏の遺体を発見した旨が記されていた。
「一体どこに隠し持っていたのか……ナイフで自らの首を掻き切り息絶えている姿が今朝発見されております。お疑いでしたら、遺体を確認致しますか?」
細かな報告も記されているが、頭には入ってこない。目の前が真っ赤になったような錯覚。
自害、できるはずがない。ナイフなんて取り上げないわけがない。首なんてそんな簡単に自分でかき切れない。牢番が朝まで気づかないはずがない。
それらの事実が指し示すことは、どういうことか。
微笑みながらクラウス氏の死を報告する宰相に、背筋がすうっと寒くなった。
「もうこの件でお話が無いようでしたら、姫様の本日のスケジュールを確認させていただきます。本日は、朝食後に医師の診察。午前中はアルフレッド様と城下の孤児院を慰労訪問の予定となっておりますが、昨日のこともありましたので、ご希望でしたら延期も可能です。午後は公務はございませんので、ゆっくりとお休みください。」
人を死に追いやっただろう宰相は、淡々と日常業務をこなす。戸惑いも葛藤も一切感じさせない。
黒幕宰相、ここにありというわけか。この国は、どこまでも彼の掌の上らしい。
「……クロウは、今日は何をしているの」
攻略の前に、まずはこの宰相を知る必要がある。
彼の権力はどこまで及ぶのか、どうやってそれを維持しているのか、どれだけ彼は歪んでいるのか。
作中では語られていない色々を知らなければ。
「私は、午前中は主に政務を。午後からは市場の調査で城下に赴く予定となっております」
「その市場調査、私も同行します」
城内での彼の権力は誰にも勝るのだろう。国王陛下も牢番もメイドも、彼に伺いを立て、その意思には反しない。それが、当たり前になってしまっている。
それならば、城下では?民衆は、彼をどう見ているのか、この目で確かめたかった。
確かめたかったのだが。
「姫様の同行は許可し兼ねます。姫様とは関係の無い職務ですので」
「行きたい、と言っているの」
「申し訳ございません、お断りいたします」
「姫君」の希望を、当然のように跳ね除けて、宰相は笑った。
ーーこの宰相、攻略できる気がしない。