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あの雨の秘密

作者: 海爺

テーマを「秘密」と設定してから、三時間ほどで簡単に書き上げたものです。

温かい目で読んでいただけると嬉しいです。

 六月、梅雨。

 もう何日も雨が続いている。

 瀬戸内海に貯まる様にして降り注ぐその雨は、まるで、俺達の島――大崎上島を沈めようとしているように思えた。 

 俺にはそれが、何か答えを迫られているような、そんな風に思えてならなかった。



「奏太! 学校、もう時間よ」

 居間から母の声が聞こえる。

「わかっとんよ。かーちゃん、弁当どこおいたん?」

「ほれほれ」母は小走りで廊下を駆けてきた。手には緑の風呂敷が握られている。

「あんた、最近遅刻しとんじゃないんね」

 俺は弁当を受け取る。

「……なんでじゃ」

「べっつに、ただそがん気がしただけ」

 特に問い詰めるわけでもなく、母は今に消えていった。

 俺は傘立てから紺色の傘を抜き、家を後にした。

 外は変わらず雨だった。風こそないが、粒の大きい雨だった。

 俺は水溜りを避けながら、目的の場所へと歩みを進める。

 先程の母親の言葉が、胸にチクリと刺さる。母親特有の勘、なのだろうか。



「あっ」

 俺は小さく声を漏らす。

 大きな水溜りの先――ぽつりと立っているバス停の標識柱の隣に、ひとつの傘が寄り添うように開いていた。

 靴が濡れるのもお構いなしに水溜りを横切って、その隣でそっと立ち止まる。

「おはよ」

 傘の主は、誰に向けるでもなく言った。

 雨に溶けたような声。それでいて、はっきりと聞き取れる綺麗な声だった。

「……おはようございます」

「――ふふ」彼女は傘を揺らして笑った。

「何がおもしろいんよ」

「ふふ、なんで今日に限って敬語だったのかなーと思って。でも、そんなことも無かったね」

 雨の日に限って、彼女はこのバス停に立っていた。

 二週間前、偶然そこに居合わせた俺は、長い間続く雨のせいもあって、彼女といくつか会話する程度のちょっとした知り合いになっていた。

 顔は一度も見たことが無い。名前だって、歳だって知らない。話し方は俺と違うし、雨の日以外、彼女と会うことは無い。

 それでも、俺は彼女に惹かれていた。

「今日も友達待ってるの?」

「……うん」

 俺は、このバス停を目印に友達を待っている。というのは嘘だ。

 既に高校には二年通っているが、今まで誰かと一緒に登校したことなど一度も無い。

「今日も、友達来るの遅いね。遅刻しちゃうよ?」

「……いっつも走って行きよるけ大丈夫よ」

「――そう」

 少しの間、雨の音だけが二人の間に流れる。

「雨、好きなん?」

「――あははは」

 さっきとは違って、彼女は声を大きくして笑った。

「どうしたの急に」

「……別に、ただ気になっただけじゃ」

「もしかして、私のこと気になってるの? 子供のくせに生意気だなぁ」

「ばっ、そがいなわけあるか!」

「えー、怪しいー。」

「……」

「……」

 バスが来た。雨に混ざり、鼻にツンとくる排気ガスが臭う。

「それじゃ、私は行くね」

 バスの扉が開き、彼女は傘を閉じて乗り込む。

 今なら、少し傘を上げれば彼女の顔が見えるのであろう。しかし、何故か俺はそれが怖かった。彼女は俺の事を「子供のくせに」とよく言ってくる。口ぶりから、彼女が俺よりも年上――大人であることは大体予想はできていた。だからこそ、彼女をこの目で見てしまえば、今より彼女との距離が遠ざかってしまう。そんな気がして、俺は踏み出せずにいた。

「また明日――」

 俺の声は扉に遮られ、彼女に届いたのかも分からないまま、バスは排気ガスを吐きながら遠ざかって行った。

 雨は、勢いを増していく。



 太陽の光が、稲の葉に滴っている雫に反射していた。昨日の雨が、小さな水溜りとなってあちこちに残っている。

 今日は全校朝礼のため、全校生徒がグラウンドに出てきている。とは言っても、島民は一万人ちょっと。その中でも、この学校に通っているものと言えば、精々二百人程度だ。

「奏太、今日は遅刻してないんじゃな」

 前に並んで立っているクラスメイトの男子が話かけてきた。

「今日は雨じゃなかったけんの」

「雨じゃけ遅刻しとったんかいや。お前、歩きじゃろ?」

「まあな」特に意味の感じられない会話に、俺は適当に相槌を打つ。

「まあなって、お前な――」

 彼の声は、朝礼台の傍に立ってあるマイクの音によってかき消された。

「えー、皆さんおはようございます」

 教頭の声が、マイクからグラウンドに設置された拡声器を通して島内全体に響く。

「皆さんご存知かと思いますが、佐藤先生の産休のため臨時で来てもらっていた水崎先生ですが、今日で本島の方へお戻りになられます。では水崎先生――」

 カツカツと音を立てて、黒髪の女性が朝礼台に上がった。

「えー、皆さんおはようございます」

 彼女の声は、綺麗に透き通っていて、どこかで聞き覚えのある声だった。

「奏太、あの先生見たことあるか?」

「……いや、無いね」俺は、壇上に上がっている彼女の顔を見て言う。

「今回、佐藤先生の変わりとして、短い期間ではありましたが、一年生のクラスを担当させて頂きました。この島の人達は皆暖かい人で、――」

 数分の、短い話が終わり、水崎先生は朝礼台を降りる。

「ありがとうございました。水崎先生は、明日ここを発たれ、今まで赴任されていた東京の高校に戻られます。改めて、短い間でしたがありがとうございました」


 全校朝礼が終わり、生徒達はぞろぞろと教室に戻る。その時、生徒の隙間を縫って、水崎先生と目が合った――気がした。


 一週間が過ぎ、久しぶりの雨が降った。

 いつもの様に通学路を少し外れて例のバス停に向かう。

 しかし、そこには大きな水溜りとひっそりと標識柱が立っているだけで、いつもの女性は居なかった。

 俺は一瞬立ち止まったが、水溜りを避けて歩き出す。


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