30 はるにいの事故
このまま何もなく幸せに過ごせると思ってたのに、事件は突然起こった。
土曜日の昼間だった。
家にかかって来た、警察からの電話。
受話器を持つママの顔が真っ青になって、何か悪い知らせだとすぐ分かった。
リビングのソファにいた私は雑誌をほかって、その場にしゃがみこむママに駆け寄った。
「・・・は、春樹が、く、く、車に撥ねられて、重傷だって。
ど、どうして・・。うそでしょ・・・」
ママは青ざめた顔でガタガタ震えてる。
はるにいが? 嘘でしょ?
「ま、ママ、パパに電話しなくちゃ。
病院は坂南病院? すぐに行こう! 私、タクシーを呼ぶね」
ママは動揺して呆然としている。
私は、パパに電話して、タクシーを呼んで、 ママの財布とカバンを持って、身支度をして、電気やガスを切って戸締まりをして、ママを玄関に移動させた。
何も考えてる余裕なんかない。夢中で動いた。
病院に着く。
受付で聞くと、今手術が終わって集中治療室に入ったところだと案内された。
ママの手を引いて早歩きで行く。
ガラス越しの、ベッドに横たわるはるにいの顔は真っ白で、別人に見えた。
酸素のマスクをしていて、細い線がたくさんついていた。
パパも息を切らしてやって来た。
ガラスを叩く勢いではるにいの名前を叫ぶ。
パパがママを抱き寄せた途端に、ママの悲痛な泣き声が廊下に響き渡る。
私も涙がどんどん出て来て、視界がぐちゃぐちゃになった。
わけがわからない。
なんでこんなことになったの?
こんなの、ドラマの中だけの話でしょ? なんではるにいが?
「・・はるにい、はるにい! ・・いやだ、いやだよ、こんなの!」
ガラス越しに大声で呼んでも、はるにいは目を閉じたままだ。
隣で警察官のおじさん二人がパパに話している。
一時間前の十五時十分、
坂北公園の横で道路に飛び出した子どもを助けて轢かれたとか、なんとか。
・・ウソ。
こんなのは、ウソよ。
現実じゃない。
そうだ! タイムマシンで、過去に行けば、助けられる!
思いついたと同時に私は走っていた。
はるにいを助ける。絶対に絶対に助けなくちゃ!
*****
先生のマンションに着いて、インターホンを鳴らす。
すぐに、驚いた顔の先生が画面に出た。
「どうしました? 瀬川さん? なにか・・」
私は肩でぜーぜーと息をしながら叫んだ。
「せ・・んっせい、たすけてっ!
た、助けてください! はるにいが、はるにいが。はるにいが死んじゃう!」
掴みかかる勢いの私に驚いたものの、先生はすぐに部屋に入れてくれて、 話を聞いてくれた。
私は、話す時間ももどかしかったけれど、はるにいが事故にあったこと、今、病院の集中治療室にいることを告げた。
「先生、お願いです。タイムマシンを貸してください。
過去に戻れば、はるにいを助けられるの! お願い! お願いです!」
先生は大きく頷く。
「わかりました。場所と時間はわかりますか?」
「はい」
「私も一緒について行きたいところですが、今、タイムマシンのエネルギーの調節中で、私がこちらから補佐をする必要があるんです。
でも、何か問題があったら何としてでもすぐに助けますから」
「一人でだいじょうぶです。すぐにお願いします」
先生は部屋に戻ると、タイムマシンを手に戻って来た。
「その前に。口を開けてください、瀬川さん」
背を向けていた私は振り向きざまに言われるまま口を開くと、何かポイと入れられる。口の中いっぱいに甘い、これは。
「・・・ちょこれーと」
驚いて顔を上げると、にこっと優しく笑う先生。
「すこし、落ち着きましたか? あなたなら必ずお兄さんを助けられます。
焦らずにいつも通り、やってください」
遠慮がちにそっと、濡れている私の頬に触れる先生の大きな手。
先生の顔を見ると、こくんと力強く頷いてくれる。
真っ直ぐに私の目を見ながら。
この人、こんなに優しい表情をするんだ。
今まで目を逸らしてばっかりだったから、知らなかった。
「・・・ありがとうございます」
焦り過ぎて何の考えもなしにボタンを押すところだった。
焦ると私は失敗する。そういう性格だ。
いつも通り、落ち着いてやらなくちゃ。
私は目を閉じて、深く三回、深呼吸した。
「先生のおかげで落ち着きました。作戦を立てますね。
まず、事故が起きる直前の坂北公園に飛びます」
「事故現場に行くんですか? 危険では? 家を出る前のお兄さんを止めればいいのではないですか?」
「いえ。それでは誰かが死んでしまいます。
はるにいは子どもを庇って車の前に出たとお巡りさんが言っていましたから。
事故そのものが起きないようにします」
「・・・そうですか。わかりました」
先生の手からタイムマシンを受け取る。
その手が私の手をきゅっと包んだ。
「無理をしてはいけませんよ。
残酷な言い方ですが、もし・・・失敗してしまっても、戻って来て、また行けばいいんです。でも、あなたに何かあっては取り返しがつきませんから。
いいですね?」
真剣な目。力強い声。
先生って、こんな顔もするんだ。そんなことを思う。
「はい。ありがとうございます」




