表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

不機嫌な彼女

作者: 姿月あきら

彼女は舌打ちをした。

 「ちっ」という乾いた音が狭い部屋に響いて、僕は読んでいた小説から目を離した。

「どうしたの」

 僕の質問に彼女は返事を返さない。険しい顔をして、僕のベッドの上で体育座りをしていた。彼女の右手は制服のスカートの裾をぎゅっと握っている。これではそのうち皺になってしまうだろう。彼女はさっきまで僕の漫画を読んでいたはずだが、その漫画は枕の上に数冊重なって置かれていた。

 

 今日、僕は生まれて初めて出来た彼女を自分の家に呼んだ。両親は二人とも残業で帰りが遅くなると言っていたし、兄弟はいないから家には誰もいない。学校帰り、そう言うと彼女は喜んで僕について家まで来てくれた。


彼女を自分の部屋に通して部屋のクーラーをつけてから、僕はまず台所に行き、コップを二つ棚から取り出し、冷蔵庫で冷やされた麦茶を注いで持っていった。部屋は前日から掃除してあったからいつになく綺麗で、彼女は中学生男子の部屋はこんなに綺麗なものなのか、と言って驚いていた。彼女も男の部屋に上がるのはこれが初めてだったのだ。それから彼女は僕から受け取った麦茶を飲んで礼を言った。そして僕も自分の分のコップに口をつけた。冷たくて美味かった。暑い夏に飲む冷えた麦茶ほど美味い飲み物を僕は知らない。サイダーも好きだが、ぬるくなったらべたべたして嫌だ。


しばらく彼女と僕はたわいも無い会話をした。それはいつも学校帰りにする会話とまったく同じような内容だった。彼女は僕のベッドの上に腰掛けて、僕は床の上に胡坐をかいて。クラスの担任がカツラらしいとか、僕の所属するサッカー部の顧問が来年から変わることだとか、彼女の父親が口うるさいという話とか、そんな話をした。

それから、彼女は僕の部屋にあった漫画を読みたいと言い出した。僕は了承して、本棚から数冊引っ張り出して彼女に渡した。僕のお勧めだ。彼女がそれを読んでいる間、僕は読みかけの小説をカバンから取り出して読み始めた。そして、しばし僕達は自分の世界にそれぞれ入り込んだのだった。


 長い間部屋の中は静寂に包まれていた。クーラーの音と、本のページをめくる小さな音がたまにするだけだった。その静寂は、今彼女によって破られた。いかにも不機嫌そうな、乾いた舌打ちの音によって。

「どうしたの」

 僕はまた彼女に声をかけた。彼女の顔は険しかった。唇を真一文字にきゅっと結んで、眉根にしわを寄せて、普段は優しい視線を送ってくれる二重の大きな目が僕を睨んでいた。どうしてそんな顔をされなければならないのかさっぱり分からない。まったくもって心外だ。しかし、僕は彼女の彼氏なのだ。彼女がそんな顔をするのなら、話を聞かねばなるまい。

「……別に」

 彼女は言って僕から視線を逸らした。握り締めていたスカートの裾から右手を離して(案の定スカートの裾はしわくちゃになっていた)、長いくるくるした天然パーマの髪にその細い指を絡ませる。僕は無意識に彼女のその指を見つめていた。彼女の爪はきちんと切り揃えられていて、良く見ると薄くマニキュアが塗ってあった。僕たちの中学は校則に厳しいから、化粧や染髪も勿論だがマニキュアも禁止なはずだ。しかし彼女の指先は間違い無く人工的な桜色に染まっていた。その事実に僕は少しだけどきりとする。彼女が少しだけ自分より大人のように見えた。

 僕は本の読みかけのページの端に小さく折り目をつけて、立ち上がって机の上にそっと置いた。

「ねえ」

 彼女の声に視線を下ろすと、彼女が体育座りの姿勢のまま、僕を上目遣いで睨んだ。

「面白いの?」

「何が」

「それよ」

 彼女が指差した先には、僕が今机の上に置いた本があった。

「面白いよ。読む?」

「いや、いい」

「そう……」

 彼女はまた髪の毛を指に絡めてくるくると弄び始めた。僕は彼女がなにを考えているのかが読めなくて、だんだん不安になってきた。さっきの舌打ちといい、今の不機嫌そうな態度といい、彼女はなにがそんなに気に入らないのだろうか。僕は、彼女が実は二重人格で、黙って本を読んでいる間に人格が入れ替わってしまったのではないかと思った。それか部屋の窓から見た目がそっくりの別の彼女が入ってきて、本人と入れ替わってしまったのだ。ハイ交代、という具合に。それほど、今の彼女は見たことも無いほど不機嫌な顔をしている。

それとも、僕が黙って本を読んでいる間に、何か彼女の気に障ることをしてしまったのだろうか。だとしたら何を? 彼女だって嬉しそうに漫画を読んでいたし、その前は僕と楽しくおしゃべりしていたのに。

僕が立ったまま黙って色々と考え込んでいると、彼女は体育座りをやめて僕のベッドに両足を投げ出した。

「ねえ」

二回目の「ねえ」だ。さっきとまったく同じ声のトーンで。ねえ。

「……何もしないの?」


 僕は黙って彼女の言葉を頭の中で復唱した。――何もしないの?

 なんとなく、彼女の言いたいことが分かった気がして、体が急に熱くなった。手のひらが汗ばんで、喉が渇く。しかし、僕は敢えて彼女に問い返した。

「何が?」

「……」

 彼女は困ったように視線を泳がせたあと、小さくため息をついた。

「やっぱりいい。なんでもない」

 投げやりな返事。そして心底呆れたような僕を見る視線。諦めてしまったのだろうか。――もう少し、彼女から攻めて欲しかったのに。

 彼女はすっとその場から立ち上がった。立ち上がったことで、彼女のスカートのしわくちゃ具合がより分かりやすくなっている。彼女は几帳面だから、きっと家に帰ったらアイロン掛けするのだろう。

「帰る」

そう短く言って部屋から出ようとした彼女の腕を、僕は少し力を入れて掴んだ。


「ねえ」

 今度は僕が彼女の言葉をもう一度繰り返す。

「離してよ」

 驚いたような、そして少し焦ったような彼女の顔に、僕の心の内側がざわめいた。今まで感じたことの無い感情。どきどきするような、わくわくするような。彼女をもっと困らせてみたい。たぶん、これは小説で読んだことのある感情。

 驚いた。僕はどうやらサドなのかもしれない。

「何かして欲しいんじゃないの?」

 僕の言葉に、彼女は目に見えて動揺した。一瞬にして、彼女の小さな耳が赤く染まった。面白い反応だ。僕は知らず唇の端が持ち上がるのを感じた。


「あ……えっと」

 彼女はまさか僕からそんな言葉がかけられるとは思っても見なかったのだろう、言葉を失ってその場に立ち尽くしていた。

彼女は僕のことを何も知らないお子様だと思っていたのだ。確かに僕たちは純粋で健全なお付き合いをしていたから、手をつないだことも数回で、ましてやキスなどまだまだ。……しかし、だからといって僕が何も知らないわけが無いのに。周りにはそういう知識が豊富な悪友がごろごろ居るし、なんといってもいわゆる性への興味が一番高いのは中学生男子なのだ、とどこかで誰かが言っていた。そして、僕はそれに同意する。まあ、残念ながら経験はまったく無いのだが。

彼女がどこまでの知識を持っているのか、そして彼女が何を望んで僕に何もしないのかと問いかけたのか。それが問題だ。

「何をして欲しいのさ」

 彼女の目をじっと見つめて言葉をつむぐ。たぶん僕は今物凄く意地の悪い顔をしていて、彼女には僕が豹変したように見えていたりするのだろう。僕は余裕の表情をしながらも、内心とても緊張していた。心臓がどくどくと音を立てている。彼女はなんと答えるのだろうか。僕も彼女に嫌われたくは無い。

「あ、あの……」

 彼女が顔を赤くしてうつむいた。さっきの不機嫌な様子は影をすっかり潜めてしまったようで、彼女はまたしても僕に掴まれていないほうの手でスカートの裾を握り締めていた。そんな彼女に僕は期待してしまう。そして少なからず興奮していた。彼女の腕を掴む手が、熱を持って熱い。

「き、キスとか……?」

 なぜ疑問系なのかとか、小声過ぎて聞き取りづらいとか、僕は色々彼女にツッコミを入れたくなった。でも、彼女の今にも泣き出しそうな目を見て、何も言わないことにした。嗚呼、彼女の涙ぐんだ瞳がとても可愛い。赤くなった耳も。それから、始終うつむいていいるから見える、つむじも。

 僕は唇の端がつりあがるのを感じながら、彼女の要求にとりあえず応えてあげることにした。さあ、そしたら次は僕からどんな要求をしてあげようか。これからが楽しみで、僕は期待に胸を震わせたのだった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ