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隣国の法務官から質問状が百通届いていますが、式典局はこれを恋文と認定すべきでしょうか

掲載日:2026/07/15

 式典局の書架には、専用の棚がひとつある。


 棚の札には、こう書かれている。『エルデナ王国法務官カイ・ノルデン殿 質問状綴 (一)~(五)』。


 通算、百二十三通。三年目のわたし、リタの管理文書である。管理はしている。整理も、している。していないのは、認定だけだ。


「リタ。今週の便は?」


「二通です。要領十二条の解釈照会と、窓口の年次統計の照会」


「追伸は?」


「……『こちらは初雪でした。貴国の冬は何色ですか』」


 メルディナ補佐官は、決裁印を持ったまま、たいへん味わい深い顔をなさった。


「リタ。当局の真贋確認の手順を、諳んじてごらんなさい」


「日付、署名、印章、様式、それから――内容と目的の整合、です」


「後半七十三通、内容は制度照会、追伸は雪の色。整合していますか」


「……し、照会文書に季節の挨拶を添えるのは、外交儀礼の範疇です!」


「七十三通連続で?」


 局内の非公式見解は、とっくに全会一致だった。曰く、「あれは様式を着た恋文である」。給湯室の賭けの対象にすらなっている(局長が「年内」に銀貨三枚張っているのを、わたしは知っている)。


 わたしだけが、認定を保留していた。

 理由は簡単だ。誤認定が、怖いのである。


 断罪の証拠なら、わたしは迷わない。日付を照合し、筆跡を検め、堂々と判定を下せる。でも、これの判定を間違えたら――「恋文と認定します」と返して、「いえ、儀礼です」と返ってきたら――わたしは国際問題として、エルデナの雪に埋まって春まで出てこない所存である。


 ◇


 外交文書が届いたのは、そんな冬の初めだった。


『両国式典局合同演習の開催について(通知)』


 エルデナ版要領の施行から一年。運用上の論点を突き合わせるため、実務者による合同演習を我が国で開催したい――という、まったくもって正しく、有意義で、文句のつけようのない公文書である。


 問題は、末尾の一行だった。


『エルデナ側派遣責任者:法務官 カイ・ノルデン』


 本人が、来る。

 百二十三通の差出人が、様式の向こうから、こちら側に。


「補佐官! これは、その、どういう」


「どうもこうも。合同演習です。受け入れ責任者はあなたです。相手方があなたを指名してきましたので」


「し、指名!?」


「演習計画書に書いてあります。『貴国側責任者にはリタ殿を希望する。過年度の質問状百二十三通の論点を最も把握している人物であるため』。――事務的には、完璧な人選理由ですね」


 メルディナ様は、心底楽しそうだった。この人は制度の鬼だが、それはそれとして、部下の観察日記をつけるのが趣味なのである(夫であるアシュフォード次長の観察手帳の存在を、わたしは知っている。夫婦そろって何なのだ)。


 ◇


 合同演習、初日。


 一年ぶりに会ったカイ殿は、記憶より少し背筋が伸びて、記憶より格段に、目が合わなかった。


「り、リタ殿。この度は、受け入れに感謝を。演習の、成功を、期して」


「こ、こちらこそ。実り多き、演習と、なりますよう」


 初対面の外交官同士でも、もう少し滑らかに話す。百二十三通もやりとりした人間同士の会話ではない。周囲の目が生温かい。エルデナ側の随員に至っては、もう笑いを隠す気がない。


 だが、演習が始まると、空気は一変した。


 議題は「保護手続の国際連携」。国境をまたぐ婚約強要――たとえば、A国の令嬢がB国の家に嫁がされ、B国で孤立し、A国の実家は取り合わない場合、どちらの窓口が、どの法で、どう守るか。


「エルデナ側の第一号案件を担当した経験から言えば」カイ殿の声からは、さっきまでの上擦りが消えていた。「保護は速度です。管轄の議論をしている数週間で、申請者の環境は悪化する。まず両国どちらの窓口でも『仮受理』できる様式を作るべきです」


「賛成です。ただし仮受理の乱用を防ぐ却下基準もセットで要ります。基準のない保護は、いずれ政争の道具にされますので」


「では基準の草案は当方が。却下手続は真贋確認の本場である貴局が」


「受けます。三日でたたき台を」


「こちらも三日で」


 気づけば、日が暮れていた。文書の中のカイ殿と、目の前のカイ殿が、演習の間だけ、ぴたりと重なった。ああ、この人は本当に、あの百二十三通を書いた人なのだ――質問の立て方が、論点の畳み方が、紙の上とまったく同じだ。


 わたしは多分、この三年、様式の向こうにいるこの頭脳と、ずっと対話してきたのだと思う。

 それを何と認定するかを、保留してきただけで。


 ◇


 演習最終日の前夜、事件が起きた。


 演習の打ち上げ――ではなく、その準備中、給湯室でエルデナの随員たちが騒いでいるのに通りかかったのだ。


「――だから、明日しかないでしょう! 帰国したらまた文通生活ですよ!?」

「しかしだな、あの朴念仁が口頭で言えるくらいなら、七十三通も雪の色を聞いていない」

「文書で行くべきです。あの方は文書なら雄弁なんですから」

「その文書が三年かかって雪の色止まりなのだが!?」


 ……聞いてしまった。

 わたしは音を立てずに後退し、廊下の角で、しばらく壁を見た。


 朴念仁。文書なら雄弁。三年かかって雪の色。

 ……全会一致は、国境の向こうでも、全会一致だったらしい。


 その夜、わたしは自室で綴りを開いた。百二十三通を、最初から読み返した。


 一通目。視察団の帰国直後。『貴国の要領第三条について』。硬い。完璧に公文書。

 三十九通目。追伸が初めてついた。『貴国の窓口の茶は何を出しているのか。当方の窓口にも茶を置きたい』。

 六十二通目。『貴局のリタ殿の講習資料を、当方の新人教育に使用したい。許可を乞う。あの資料は人を救う書き方をしている』。

 九十七通目。『初雪でした。貴国の冬は何色ですか』。


 ……ばかだなあ、と思った。カイ殿がではない。わたしがである。


 三年、様式の後ろに隠れていたのは、お互いさまだったのだ。わたしは「誤認定が怖い」と言い訳をして、判定を保留し続けた。真贋確認の専門家が聞いて呆れる。証拠は百二十三通、綴って番号まで振って、棚に札まで付けて――保留も何も、大切に保管している時点で、わたしの認定は、とっくに出ていたのだ。


 ◇


 最終日。演習の閉会式で、成果文書の交換が行われた。


 合同演習報告書、保護手続国際連携の骨子案、次回演習の開催合意。カイ殿が代表して受け取り、型どおりの挨拶を述べ――最後に、こう続けた。


「……加えて、個人として提出したい文書が、一件あります」


 会場が、しんとなった。カイ殿は懐から、一通の封書を出した。手が、見てわかるほど震えていた。


「三年間、わたしは貴局に百二十三通の質問状を送りました。うち五十通は、制度の質問でした。残る七十三通は――様式を、借りていました。本日、様式を返上し、原本を提出します。受理の判断は、貴局の、真贋確認の専門家に、委ねます」


 差し出された封書の表書きは、照会番号でも、公用の宛名でもなかった。


『リタ殿へ 私信』


 会場中の目が、わたしに集まった。局長が銀貨を握りしめる音が聞こえた気がした。メルディナ様が、口の端だけで「業務です。受理なさい」と言った。


 わたしは進み出て、封書を両手で受け取り――受け取ってから、自分の懐に手を入れた。


 昨夜、百二十三通を読み返したあと、朝までかかって書いたものが、そこにあった。


「……受理します。真贋確認の結果、本状を『私信』と認定します。つきましては」


 声が震えたのは、様式のせいではない。


「当方からも一件、回答文書を先に用意してあります。行き違いを防ぐため、この場で交換処理といたします」


 カイ殿が、目を見開いた。それから、封書を受け取って――三年分の様式が全部剥がれた、ただの顔で、笑った。


「……交換処理とは。手回しがいい」


「文通歴三年ですので。あなたの筆の速さは、存じ上げています」


 ◇


 後日談を、記録のために。


 二通の「私信」の内容は、双方の綴りに保管されており、非公開である。ただし翌年、両国の官報に同日掲載された告示だけは、公開情報なので引用しておく。


『婚姻の告知。エルデナ王国法務官カイ・ノルデン、ならびに王国式典局文官リタ。両名の婚姻に伴う任地調整は、両国式典局の連携協定に基づき、双方の合意により円満に処理された』


 任地調整――つまり、どちらの国で暮らすか――は、実は告示の一行で済むような話ではなかった。それを可能にしたのは、皮肉なことに、わたしたち自身が演習で作った「国際連携の様式」である。制度というものは、作った人間を最初に守るとは限らないが、時々、順番が巡ってくる。セリカ様の教えの通りだった(婚礼には、エルデナから正式の名で、いちばん大きな花が届いた)。


 なお、給湯室の賭けは「年内」で決着し、局長が総取りした。上司が部下の恋路で儲けるのはどうかと思う。


 最後に一つ。式典局の例の棚の札は、いま、こう書き換えられている。


『ノルデン夫妻 往復書簡綴 ――現在も追加中』


 夫婦になっても文通は続いている。同じ屋根の下で何をやっているのかと局の皆は笑うけれど、仕方がないのだ。


 わたしたちの恋は、様式で始まった。様式で育った。

 だから時々、様式に、里帰りをするのである。


(了)

お読みいただきありがとうございました。『対応要領』シリーズ第4話、質問状百通の回収回です(第1話~第3話も単体で読めます。第3話「王宮式典局に隣国から視察団が来ました」を先に読むと、二割増しでお楽しみいただけます)。


「文書でなら言える」という人同士が両片想いになると、証拠だけが百二十三通たまる――という話でした。世界一整理された両片想いだったと思います。


シリーズはひとまずここで一区切りですが、メルディナ夫妻、リタ夫妻、エルデナ組はみな元気に書類を書いていますので、ご要望があればまたいつか。


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