二日目 都内観光午前の部
「…………」
目を覚ました瞬間、美音子は自分の顔が一気に熱くなるのをはっきりと自覚した。
反射的に布団を胸元まで引き上げながら、ゆっくりと部屋を見回す。
見慣れた天井、カーテン、家具の配置。
間違いない――ここは自分たちの部屋だ。
隣には、すやすやと寝息を立てるまどかと翠の姿もある。
……そこまでは、いい。
問題は、「確かに昨夜、ライトの部屋で眠ってしまったはずの自分が、今ここにいる」という事実だった。
(……え、どういうこと?)
夢遊病みたいに自力で戻ってきた記憶は、当然ながらない。
となると、考えられる可能性はひとつしかない。
――ライトに、運ばれた。
そう思い至った瞬間、胸の奥がきゅっと縮む。
しかも、夢と現実の境目が曖昧な記憶の中に、
「抱きかかえられている感覚」だけが、やけに生々しく残っていた。
(……あれ、夢じゃなかったら)
つまり、自分は――
「……お姫様抱っこ……?」
そう呟いた途端、顔がさらに熱くなる。
追い打ちをかけるように、今の自分の姿にも気づいてしまった。
下着姿。
昨夜着ていたはずのセーラ服が、どこにも見当たらない。
「……うぅ……」
頭を抱えたくなる衝動を必死でこらえながら、ぽつりと声が漏れる。
「……まどかぁ、ごめんねぇ……」
何に対して謝っているのか、自分でもよく分からない。
覚えはないのに、まどかより先にライトと――そんな、ありもしない想像が勝手に膨らんで、胸がちくりと痛む。
「ん〜……ネコちゃん、おはよぉ……ふぁぁ……」
間の抜けた声に、美音子はびくりと肩を跳ねさせる。
「あっ、ま、ま、ま、まどか……! お、おは、おはよ……!」
状況を整理しきれないまま、当の本人が起きてしまい、完全に動揺してしまう。
「ネコちゃん、ゴメンねぇ」
大きなあくびをしたあと、意識がはっきりしたらしいまどかが、申し訳なさそうにそう言った。
「……え? あ、う、うん……?」
「でもさぁ、ライトさんに抱っこされて運ばれてきたときは、思わず殴りたく――」
「ちょ、ちょっと! それは不可抗力だから……!」
瞳のハイライトを消し、ぶつぶつと呟き始めた親友を慌てて宥めながら、
(……やっぱり、お姫様抱っこだったんだ……)
と、美音子は別の意味で落ち込む。
まどかにとっては“ご褒美”のような出来事でも、
美音子にとっては、気を失って迷惑をかけた挙げ句、情けない姿を晒しただけだ。
――今日、どんな顔をしてライトに会えばいいのだろう。
そう思うだけで、胃のあたりがきゅっと縮む。
ちなみに、美音子が運ばれてきたとき、ちょうどまどかが目を覚ましたらしく、
美音子のセーラ服を脱がせて、クローゼットにしまったのも、まどかだったらしい。
その話を聞いて、ライトに下着姿を見られていないと分かり、ほっと胸を撫で下ろす。
……と同時に。
(……ちょっとだけ、残念……?)
そんな感情が浮かんだことに気づいてしまい、美音子は再び顔を覆った。
(ダメダメ……何考えてるの……)
ライトへのときめき。
まどかへの遠慮。
そして、ほんのわずかな罪悪感。
その全部がごちゃまぜになって、朝の布団の中で、美音子は静かに身悶えするのだった。
◇
「フジテレビだぁ!」
翠が真っ先にはしゃいだ声を上げる。
「写真撮ってぇな! あの丸いのが入るようにっ!」
「はいはい。じゃあ、そこに並んで」
ライトは苦笑しながらリクエストに応え、立ち位置を指示する。
三人がポーズを決めると、
カシャッ、カシャッ、と小気味よいシャッター音が続いた。
「はい、次が待ってるから、場所空けてね」
そう言われて横を見ると、いつの間にか他の班の生徒たちが列を作っている。
「はーい……」
まどかは一歩下がり、ふと顔を近づけて、
「……ライトさん、またお昼、です」
と、彼にだけ聞こえる声で囁く。
そのまま、トテトテっと翠たちの待つ場所へ小走りで戻っていった。
ライトはその背中を見送ってから、気持ちを切り替えるように別の班へ声をかけ、撮影を続ける。
フジテレビを最初に選んだ班は、全体の三分の二ほど。
だが、そのほとんどが中へ入ってもすぐに出てきて、次の目的地へ向かっていく。
――まあ、時間が早いよな。
時計を見ると、まだ八時半を少し過ぎたところ。
フジテレビの見学エリアの営業時間は十時からだ。
一応中には入れるものの、ショップも展望台もミュージアムも閉まっているため、長居はできない。
中には、そのまま一時間半待つ班もあるようだが……。
ライトは、ある程度撮影を終えると、ゆりかもめに乗ることにした。
モノレールに揺られながら、次はどこへ向かうかを考える。
修学旅行の定番といえば、渋谷のハチ公前を経由して原宿――
だが、それも二、三十年前の話だろう。
(まあ、教えてくれたのが祖父だからな……)
班別行動表を思い返すと、渋谷方面の次に多いのが上野公園方面だった。
秋葉原や東大を組み込んだルートも含めると、むしろこちらのほうが主流と言える。
いろいろ考えた末、ライトは当初の予定通り、上野公園へ向かうことを決める。
実のところ、十一時半に秋葉原で待ち合わせが入っているため、上野方面以外の選択肢はなかった。
それでも一瞬、渋谷方面を考えたのは、ほんの些細な意地に過ぎない。
――まあ、昼をご馳走してくれるって言うしな。
フリーターのライトにとって、東京の食事はとにかく高い。
それを分かっていて、ランチを餌にしてくるあたり、相手もなかなかの策士だ。
ゆりかもめを降り、山手線へ乗り換える。
東京の鉄道事情は、何度来ても慣れない。
とはいえ、間違えてもすぐ次が来るだけ、まだマシなのだが。
どこへ行くにも鉄道――
張り巡らされた鉄道網と、その複雑さ。
一方で、どこへ行くにも車が必須な田舎。
どちらがいいとは一概には言えないが、少なくともライトには、田舎暮らしのほうが性に合っている。
そんなことを考えながら、電車に身を揺らしていた。
駅に着き、ホームに生徒の姿を見つけてカメラを構えた瞬間、周囲から不審そうな視線が刺さる。
――そういえば。
以前、先輩カメラマンから聞いた話を思い出す。
修学旅行先で女子生徒を撮影していたところ、盗撮疑惑で職質された、という話だ。
しかも、そのときに
「女子中学生を狙ってるんだから邪魔しないでくれ」
などと答えてしまい、誤解が解けるまで相当な時間を要したらしい。
聞いた当時は皆で笑ったものだが――
「……笑えないよなぁ」
当事者になると、まったく話が違う。
ライトは小さく溜息をつき、カメラを下ろした。
ヘルプの仕事で社会的に抹殺されるのは、さすがに勘弁だ。
それなら、少しくらいサボったほうがマシだろう。
そう決めて、ライトは静かにカメラの電源を落とすのだった。
◇ ◇ ◇
上野公園に足を踏み入れた途端、まどかの表情が一気に明るくなった。
「わぁ……! 見て、あのゾウ! 大きい……!」
柵の向こうを指差しながら、目を輝かせて声を弾ませる。
「ちょ、ちょっと、はしゃぎすぎやで?」
そんな様子を見て、翠が呆れたように肩をすくめる。
「まどか、あんたほんま子供やなぁ」
「えー? だってすごいんだもん!」
まどかはそう言い返しながらも、次の檻へ、次の檻へと視線を移し、落ち着きがない。
その様子を、やれやれ、といった顔で見ていた翠だったが――
「……あっ」
次の瞬間。
「ミーアキャットやん!!」
突然、翠のテンションが跳ね上がった。
「ちょ、見て見て! 立っとる! かわいすぎやろ!」
柵に張りつく勢いで身を乗り出し、写真を撮ろうとスマホを構え始める。
「……」
その光景を見て、美音子は静かにため息をついた。
(……どっちが子供なんだか)
先ほどまで「子供やなぁ」と言っていた本人が、一番はしゃいでいる。
「ミドリ、落ち着きなさいって……」
「無理や! これは無理やって!」
まどかもその様子につられて笑い出し、結局三人揃って檻の前で足を止めることになった。
二班の女子たちは、動物園には寄らず、早々に池袋方面へ向かったらしい。
そのおかげで、今ここにいるのは、まどか、美音子、翠の三人だけだ。
(三人だけで行動するのは……ちょっと目立つかしら)
美音子は、腕時計をちらりと確認しながら、頭の中でスケジュールを組み直す。
秋葉原での集合時間までは、まだ少し余裕がある。
だが、あまり遅くなるのもよくない。
(……もう一、二ヶ所見たら、移動した方がいいわね)
そう考えつつも、
「ねぇネコちゃん! 次、あっち行こ!」
「ミドリ、今度はペンギンおるで!」
と、無邪気に声をかけてくる二人を見ていると、つい頬が緩んでしまう。
(まぁ……今日くらい、いいか)
計画を少しだけ調整しながら、美音子は二人に付き合って動物園を回る。
楽しそうに笑うまどかと、テンション高く騒ぐ翠。
その姿を横目に見ながら、美音子は静かに歩き出すのだった。
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