一日目 夕食と班ミーティング
「エヘヘ。」
「……えらくご機嫌やなぁ。」
今にも踊りだしそうな親友の手を、翠は逃がすまいとしっかり掴みながら言った。
「だってぇ、ライトさんがぁ……エヘヘ~。」
「はいはい。何を言っても無駄ね。しばらく放置しておきましょ。」
美音子は呆れたように肩をすくめる。
まどかがここまで壊れている理由は明白だった。
先ほどの浅草で、ほんの短い時間とはいえライトと並んで仲見世を歩き、ツーショット写真まで撮ることができたこと。
聞くところによれば、手を繋いで歩いていたというではないか。
加えて、浅草寺で引いたおみくじが大吉、そのうえ恋愛運が“非常に良い”という出来過ぎた結果だったのだ。
――こうなってしまえば、もう止まらない。
もっとも、このあとは、今向かっているホテルで夕食をとり、そのあとはもう休むだけである。
多少まどかのテンションが壊れていようと、実害はない……はずだった。
問題があるとすれば――。
美音子と翠は、周囲を一度ぐるりと見回し、視線が合ったところで揃って苦笑した。
先ほどの浅草でも感じていたことだが、この修学旅行中、まどかと少しでも距離を縮めようとしている男子は、想像以上に多い。
実際、明後日の“ネズミの国”を一緒に回ろうと声をかけてきている班は一つや二つではない。
正直なところ、一々相手にしていられない数だ。
もっとも、当のまどか本人は、すでにライト本人に、直接、パレードと花火を一緒に見る約束を取り付けている。
後半はライトと行動することがほぼ確定している以上、他の班と一緒に回るなどあり得ないだろう。
そう考えると、声をかける側の男子たちが少し気の毒にも思えてくるが――こればかりは仕方がない。
「なぁ、まどか。」
「ん? ミドリちゃん、なぁに?」
「例えばや。ほんまに例えばの話やけど……もしこの旅行中に、付き合ってくれって告白されたら、どないするん?」
その問いかけに、近くにいた男子たちが一斉に耳をそばだてる。
「え~、そんなはずないよぉ~。でも、もしそうだったら嬉しいなぁ。そんなこと言われたら、思わず抱きついちゃうかも。」
その瞬間、男子たちの間にざわりとした動揺が走る。
その様子を横目に、美音子は小さく、
「……天然の罪作り女。」
と呟いたが、その声を拾った者はいなかった。
「でもぉ、ライトさんは……そんなこと、言ってくれないよね。きっと。」
急にしょんぼりした声で、まどかが続ける。
「いや、ライトはんの話やのうてな。このクラスとか、他のクラスの男子から、って意味や。」
「えっ? あはは、ナイナイ。ミドリちゃんやネコちゃんならともかく、私みたいに目立たない子にそんなのないよぉ。私、ふたりみたいな魅力ないし……。」
少し遅れて、その言葉の“破壊力”を理解した男子たちは、次々と無言で項垂れ、その場に崩れ落ちていく。
その人数を見れば、まどかの人気がどれほどのものか一目瞭然なのだが――本人だけが、まったく気づいていない。
まさに、知らぬは本人ばかりなり、である。
「あ、でもミドリちゃんやネコちゃんなら告白されるかも! ねぇ、どうする? どうする?」
無邪気にそう言って、まどかはさらにテンションを上げてはしゃぎ出す。
本人たちは忘れているのか、気にしていないのか分からないが――ここはバスの中だ。
これだけ騒げば、会話の内容は前方まで筒抜けである。
実際、バスガイドは生暖かい視線をこちらに向けているし、担任教師もまた、どう指導すべきか困ったような表情を浮かべていた。
まどかにとって幸いだったのは、ライトが別の車両に乗っていて、この場にいなかったことだろう。
もし居合わせていたなら、後になって事態を理解したまどかは、旅行の残りの日程すべてを、身悶えしながら過ごす羽目になっていたに違いない。
なお、その頃ライトはというと――。
後ほど主任の野崎に呼び出され、「くれぐれも問題を起こさないように」と、念入りに釘を刺されることになるのだった。
◇
夕食は、ホテル内の大きなビュッフェレストランだった。
天井の高いフロアにずらりと並ぶ料理の数々に、生徒たちは席に着くなり、いや、着く前から落ち着かない様子を見せている。
「わぁ……すご……。」
「ローストビーフあるで!」
「デザート別腹な!」
まどかも例外ではなく、トレイを手に、目をきらきらと輝かせていた。
「ねぇネコちゃん、あれも取っていい? あ、でもこっちも美味しそう!」
「はいはい、順番にね。ちゃんと食べきれる分だけよ。」
「だ、大丈夫だってば~。」
美音子は苦笑しつつも、しっかりまどかの皿のバランスを見ている。
ミドリに関しては、いっても無駄だと、彼女のお皿に山盛りになったローストビーフとから揚げを見ながら思う。
その一方で、美音子は、野菜とメインをバランスよく選んでいく。
三人が席に戻り、ようやく食事を始めた頃――。
「……あの。」
少し控えめな声が、横からかかる。
顔を上げると、そこに立っていたのは、昼間の浅草で観光客に絡まれていた、別の班の女子生徒二人だった。
「あっ……。」
まどかが一瞬で思い出したように目を見開く。
「その……さっきは、助けてくれてありがとうございました。」
「急に割って入ってくれて……本当に心強かったです。」
二人は揃って頭を下げる。
「えっ、い、いいよいいよ! 当然のことしただけだし!」
まどかは慌てて手を振り、にこっと笑った。
「それに、そのあと来てくれた……ライトさん? でしたっけ。カメラマンの……。あの人も、すごく頼りになって……。」
「うん、カッコよかったよね。」
その名前が出た瞬間、まどかの背筋が、ぴん、と伸びた。
「ライトさん? あ、うん! すごいでしょ! 優しくて、頼りになって、写真も上手で……!」
つい、声が弾む。
「モデルさんと一緒に仕事してるって聞きました。」
「プロのカメラマンなんだよね?」
「そうそう! でも全然偉ぶらなくて……」
最初のうちは、まどかは嬉しそうに、むしろ自慢するような調子で答えていた。
だが、質問は次第に、少しずつ、変化していく。
「年上だよね?」
「彼女とか……いるのかな。」
「どんな人がタイプなんだろう。」
その一言一言が、まどかの胸に、ちくり、ちくりと小さな棘のように刺さる。
(……あれ?)
笑顔のまま相槌を打ちながら、まどかは気づいてしまった。
この子たち――ライトのことを、ただの“恩人”として聞いているわけじゃない。
(もしかして……ライバル、になる……?)
急に、さっきまでの浮かれた気分が、すとん、と落ちる。
胸の奥が、もやもやと、はっきりしない感情で満たされていく。
「……ごめん、私、ちょっとお代わり取ってくるね。」
そう言って、まどかは曖昧な笑顔を残し、席を立った。
「……まどか?」
「どしたんやろ。」
美音子と翠は、去っていく背中を見送りながら、顔を見合わせる。
(独占欲、ってやつかしらね……。)
美音子は、心の中でそっとため息をついた。
初めて芽生えた想いは、甘いだけじゃない。
楽しさの裏側で、不安や焦りも一緒に育っていく――。
そんなことを、まどか自身はまだ、うまく言葉にできないまま。
ビュッフェの賑やかな喧騒の中で、ひとり、複雑な気分を抱えていたのだった。
◇
……夜。班ミーティングの時間。
「どうしたんだ、野原のやつ」
テーブルに突っ伏して動かないまどかを見て、ケンジが近くにいた翠へ声をかける。
「ほっとき。乙女の秘密の話やさかい」
「……あ、あぁ」
そう言われてしまえば、それ以上踏み込めるはずもない。
ケンジは気まずそうに視線を逸らし、自分の班の席へと戻っていった。
その背中を見送ってから、翠は小さく息を吐く。
(乙女の秘密、言うたけどな……)
実際のところ、単に説明するのが面倒だっただけだ。
というより、あまりにもアホらしくて、言葉にする気にもならなかった。
ホテルに着いてから――いや、正確には夕食の途中から。
翠たちは、女子生徒たちに捕まり、質問攻めにあっていた。
内容は言うまでもない。
カメラマンのライトについて、である。
初対面のはずなのに、あれだけ親しげにしていれば、興味を持たれない方が不自然だろう。
「清文の幼なじみ」という説明で、ある程度は納得してもらえたものの、話題はすぐに、まどかへと移った。
普段とは明らかに違うテンション。
隠しているつもりでも、隠しきれていない想い。
(そら気づくわな……)
そして、中学三年生ともなれば、他人の恋バナは極上の燃料だ。
火に油を注げば、どうなるかは言うまでもない。
結果――
まどかは討ち死に。
翠たちも、精神的に疲労困憊。
正直なところ、もうさっさと寝たい。
「……なんか疲れてるところ悪いけど、一応、明日の確認しとこうか」
裕也がそう言いながら、しおりの班別研修のページを開く。
「とりあえず、朝イチでフジテレビ。そのあと、ゆりかもめに乗って、途中で山手線に乗り換えて上野まで……ここまでは問題ないよな」
「そうね。時間的には、お昼を考えると、あと一か所くらいが限界ね」
美音子がそう答えると、裕也は少し言いづらそうに、視線を泳がせた。
「……そのことで相談なんだけどさ。俺とエイジ、昼を含めて、企業研修までの時間、別行動したいんだ」
「へぁ?」
思わず、翠の口から間の抜けた声が出る。
「正確には、二班の浅野たちと一緒に行動する。代わりに、霧島たちは同じく二班の近藤たちと行動してほしい、って話なんだけど……」
「班を一時的に再編成するってことね」
美音子は腕を組み、冷静に言う。
「別にいいけど……理由は聞きたいわね」
「あ、あぁ。その……この班別研修で、どこか一か所は企業について調べなきゃならないだろ?」
「えぇ。だから、スターナイト・プロデュースに行くのよね?」
「それなんだけど……俺たち、もう一か所行きたいところがあってさ」
エイジが、申し訳なさそうに口を挟む。
「そうなの?」
美音子が続きを促そうとした、その瞬間。
「ちょうど浅野たちも、同じところに行く予定だったらしくてさ。でも向こうは女子と意見が割れてるって言うから……この際、男子だけで行動しようって話になったんだ」
裕也が早口で続ける。
「班の再編については、先生の許可もちゃんと取ってある。な?」
「あ、あぁ。そのとおりだ」
「先生の許可が降りとるんなら、ええやん?」
翠は目をこすりながら、眠たげに言う。
今朝は早かった。正直、美音子も同じ気持ちだ。
「分かったわ。上野に着くのが、だいたい十時頃だから……」
美音子は少し考え、
「十三時に、秋葉原駅前集合でいいかしら?」
「えっ!」
思わず声を上げたのは、裕也だった。
「なに? 都合が悪いの?」
美音子は首を傾げる。
「先方が、秋葉原駅前まで迎えに来てくれるって言ってくれてるんだけど……」
「あ、いや! 問題なんかないさ……なぁ?」
「そ、そうだぜ。問題なんか、これっぽっちもねぇよ」
明らかに挙動不審な二人。
だが、美音子は「自分には関係ないか」と割り切ることにした。
「じゃあ、あとは近藤さんたちと話をつけてくるわ」
そう言って立ち上がり、
「……すぐ戻るから。ミドリは、まどかを連れて先に部屋へ戻ってて」
それだけ言い残し、美音子は、少し離れた場所でミーティングをしている二班の方へと歩いていった。
残された翠は、机に突っ伏したまどかを見下ろしながら、静かにため息をつくのだった。
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