一日目 浅草仲見世
バスが停車すると、車内にざわめきが広がった。
「着いたで、浅草や!」
翠の声に、車内の空気が一気に弾ける。
窓の外には、すでに人、人、人――観光客で溢れかえる浅草の街並みが広がっていた。
雷門の大提灯が見えた瞬間、あちこちから歓声が上がる。
「でっか……」
「写真撮ろ、写真!」
「うわ、修学旅行生めっちゃおるやん……」
バスを降りた瞬間、空気が変わる。
香ばしい線香の匂い、焼き団子や煎餅の甘辛い匂い、観光客の話し声、外国語、呼び込みの声。
すべてが混ざり合って、浅草独特の熱気を作り出していた。
雷門をくぐると、視界いっぱいに広がる仲見世通り。
土産物屋がずらりと並び、修学旅行生と観光客でぎゅうぎゅう詰め。
歩くというより、“流される”に近い状態だった。
「うわ……これ、進めへんやつや……」
「迷子出るで、これ……」
その予感は、あっさり的中する。
「……あれ?」
人の波に押され、立ち止まった瞬間だった。
さっきまで前を歩いていた翠と美音子の姿が――消えていた。
「ミドリ……? ネコちゃん……?」
振り返っても、人。
横を見ても、人。
前を見ても、人、人、人。
「……はぐれた……?」
胸がきゅっと締め付けられる。
(落ち着こ、落ち着こ……)
人の流れに逆らわず、端へ寄って立ち止まり、周囲を見渡す。
「ミドリ……?」
「ネコちゃん……?」
呼びかけても、返事はない。
そのときだった。
少し先の人だかりの向こうで、騒がしい声が聞こえた。
「Hey, beautiful girl〜♪」
「写真、OK? OK?」
英語交じりの軽薄な声。
視線を向けると、他の班の女子生徒が二人、観光客の男に囲まれていた。
腕を掴まれそうになって、明らかに困惑した表情をしている。
「……やめてください……」
「NO……NO……」
声が小さく、完全に押されている。
(……っ)
考えるより先に、体が動いていた。
「すみません、その子たち嫌がってます」
人の間をすり抜けて、まどかは割って入る。
「修学旅行中なんです。やめてください」
観光客の男が、じろりとまどかを見る。
「Oh? Another cute girl?」
視線が、明らかに“獲物”を見る目に変わる。
「……」
嫌な予感が背筋を走る。
男が一歩、距離を詰める。
「Hey, you too—」
その瞬間だった。
「そこまでだ」
低く、落ち着いた声。
空気が、変わる。
男の肩を掴む手。
「彼女、嫌がってるのが分からないか?」
ライトだった。
一気に距離を詰め、男とまどかの間に割って入る。
視線が鋭く、声は静かだが、圧がある。
「It is a crime to persistently pursue a minor.」
短く、はっきりとした英語。
男は一瞬たじろぎ、舌打ちをして手を離す。
「Tch……」
そのまま仲間とともに、人混みに紛れて消えていった。
「……大丈夫?」
ライトが振り返る。
「は、はい……」
まどかの声は、少し震えていた。
助けたはずなのに、助けられていた。
「無茶するなよ」
責めるでもなく、呆れるでもなく、ただ優しく。
その一言で、緊張が一気に抜けた。
「……すみません……」
「謝るとこじゃないよ」
ライトは小さく笑う。
「まどかちゃんは、正しいことしただけだ。そうだろ?」
その言葉に、胸の奥がじんわりと温かくなる。
「あ、あの、ありがとうございました。」
絡まれていた二人がライトにお礼を言う。
そして、店内で買い物をしていた、他の班員と合流して人ごみに紛れていった。
それを見送った後、ライトは改めてまどかに訊ねる。
「……それで、どうしたの?」
「……ミドリ達と、はぐれちゃって……」
「なるほど」
ライトは周囲を見回す。
「じゃあ、合流するまで一緒に探すか」
「……いいんですか?」
「当たり前だろ」
自然すぎる一言だった。
それからしばらく。
仲見世を並んで歩く二人。
人混みの中、ライトがさりげなく手を繋いでくれる。はぐれたらいけないから、と。
まどかはそれだけで、心臓が壊れそうなくらい、ドキドキする。
「あ……あれ、美味しそう……」
恥ずかしさを誤魔化すように、目に付いたものを指さす。
「人形焼だな」
「……食べたい……」
「じゃぁ、買ってあげるよ」
「えっ……いいんですか……?」
「頑張って人助けしたご褒美」
冗談めかした声。
でも、まどかは素直に嬉しかった。
心臓が、また忙しくなる。
(……楽しい……)
さっきまでの不安が嘘みたいに消えていた。
ライトと並んで歩くだけで、世界が柔らかくなる。
「……あ」
向こうに、見慣れた姿。
「ミドリ! ネコちゃん!」
「まどか!?」
「どこ行っとったんや!!」
「はぐれたと思って探してたのよ!」
合流。
そして、状況を見て察する二人。
「……ほぅ?」
「……なるほどね?」
にやにやした視線。
「ち、違うから!」
まどかが慌てる。
ライトは小さく苦笑い。
「じゃ、俺はここまでだな」
「……あ……」
一瞬、寂しさが胸を刺す。
「また後でな」
そう言って、ライトは人混みに消えていった。
「……」
「……」
「……」
「……ご機嫌やな?」
翠がニヤニヤしながら言う。
「……うるさい……」
まどかの頬は、完全に赤かった。
胸の中は、幸福感でいっぱいだった。
迷子になって、怖い思いもしたはずなのに。
それでも――
(……今日は、最高の日かもしれない……)
浅草の雑踏の中で、まどかはそっと、そう思った。
◇
……やれやれ、ようやく落ち着いたみたいね。
いつの間にか、隣の席で小さな寝息を立てているまどかを見て、美音子はそっと息を吐いた。
無防備な寝顔。さっきまでの浮き沈みの激しさが嘘みたいだ。
きっと――まどかにとって、ライトさんへの想いは初恋なのだろう。
胸が苦しくなるほど真っ直ぐで、少し危なっかしいほど純粋な恋。
そんな感情を向けられる相手がいることが、ほんの少しだけ、羨ましい。
(……いいな)
自分には、あんなふうに無邪気に想いをぶつけられる相手はいない。
「なぁ、さっきの話、本当か?」
後ろの席から、声を潜めきれない様子でエイジが話しかけてくる。
「さっきの話って?」
「ライトさんが明日、同行するってやつ?」
「それもだけど……それより、もう一つのほうだよっ!」
「……しっ。声が大きい」
美音子は、ちらりと周囲を見回す。
先ほど、まどかと翠、そして同じ班のエイジと裕也にだけ、班別研修の後半にライトが同行すること、そして――
オフィス・スノウを訪問する可能性があることを、こっそり伝えていた。
この件は、色々と“特別”なのだ。
条件付きでようやく許可が下りた、いわば例外措置。
他の生徒に知られれば、面倒なことになるのは目に見えている。
「オフィス・スノウを訪ねる話なら、本当よ」
「……マジで?」
「ライトさんが行くなら、ぜひ来てほしい……というか、“来い”って、かなりの剣幕だったらしいわ」
「うわ……」
「それ、ガチじゃん……」
エイジが思わず息をのむ。
「ライトさん、すげぇな……俺もカメラマン目指そうかな」
「本気でそう思ってるなら、明日いろいろ聞いてみればいいじゃない」
美音子は、静かに言葉を続ける。
「企業研修って、本来は現場を見て、自分の将来について何かを感じ取るためのものよ。
ライトさんの話を聞くのは、きっと無駄にならないと思う」
そう言いながらも――
美音子自身が、誰よりもその“答え”を求めていた。
美音子が、スターナイト・プロデュースを訪ねたいと思ったのは、本当に最近のことだった。
あまりにも突然で、しかも直前。
それでも快く協力してくれた、まどかと翠には感謝しかない。
エイジと裕也に関しては――
生のYukiに会えるのだから、それだけで十分すぎる“報酬”だろう。
美音子は、アルバイトでモデルをしている。
と言っても、地方の小さな冊子や、スーパーのチラシ、地元企業の広報紙。
華やかな世界とは程遠いが、それでも拘束時間に対してギャラは悪くない。
中学生としては、十分すぎるほどだ。
(このまま続ければ……高校の学費は、施設に負担をかけずに済む)
それは、確かな安心だった。
けれど――同時に、別の考えが、どうしても頭をよぎる。
(……稼げるなら、高校に行かなくてもいいんじゃない?)
甘い考えだという自覚はある。
モデルの世界が厳しいことも、寿命が短いことも、嫌というほど知っている。
だからこそ――
もし、本気で目指すなら。
この三年間は、取り返しのつかない時間になる。
そこまで分かっていても、
“その先”をどうすればいいのかが、分からない。
誰に相談すればいいのか。
何を信じればいいのか。
答えのない問いを、ずっと一人で抱えていた。
そんなとき――
偶然が重なり合い、カリスマモデルと呼ばれる『セイ』と出会った。
ほんのわずかな会話。
それだけなのに、美音子は思ってしまった。
(……これは、運命だ)
誇張でも、逃避でもない。
心の底から、そう感じた。
だからこそ、この修学旅行でセイのオフィスを訪ねることは、冗談ではなく――将来そのものに関わる出来事なのだ。
(……明日)
眠るまどかの横で、美音子は目を閉じる。
まどかが恋に胸を焦がす夜なら、自分は、人生の分かれ道に立っている夜。
まどかとは違う意味で――
美音子もまた、ライトと話す時間を、強く、切実に求めていた。
答えをもらうために。
そして、自分の未来を選ぶために。
群像劇というんでしょうかね。
中々難しいです。
でも、同年代の人には共感を、上の年代の方には甘酸っぱく、時には苦く、懐かしい思い出として感じてもらえればと思い描いていきます。
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