一日目 東京バス移動
「さて……そろそろ東京に着くな」
清文たち教師陣は、生徒たちを速やかに降車させるため、声を張り上げて指導と誘導を始める。
「教師も大変だな……」
例の事件以来、ライトは「教師」という存在に、決して良い感情を抱いてはいなかった。
それでも――友人がその立場で必死にやっていることまで否定するつもりはないし、その大変さを労わるくらいの気持ちは、ちゃんと残っている。
「ええと……この後はバス移動だったか」
ライトは、もらったばかりのしおりを開き、行程を確認する。
東京駅に到着後、バスの待機場所まで徒歩移動。
クラスごとにバスに分乗し、ガイドの説明を聞きながら駅周辺を一周。そのまま国会議事堂へ向かう。
見学後に集合写真を撮影し、そこから本日の宿泊地――お台場方面へ移動。
途中、浅草に立ち寄り、仲見世を自由散策。その後、再びバスに乗る。
夕食は早め。
その後は班ミーティングを行い、就寝までは自由時間。
ライトの仕事は、夕食風景の撮影までだ。
夜中には引率者同士の打ち合わせがあるが、カメラマンの出番はない。
――というか、部外者が混じれば、かえって気を遣わせるだけだろう。
明日は、ホテルを出発して夕方まで丸一日、班別の自由研修。
夜には招かれた社会人たちとのディスカッションも予定されており、今日より拘束時間は長くなる。
三日目は、ネズミのキャラクターで有名な“夢の国”で一日遊び、
四日目は再びバスで都内を観光しながら東京駅へ。
そして、新幹線で帰路につく。
「……まぁ、定番コースだよな」
ライトは生徒たちとともにバスへ乗り込み、予定表を眺めながら簡単な撮影計画を頭の中で組み立てる。
正直に言って、二日目と三日目は、ろくに写真が撮れないだろう。
人口何万人と密集する大都会に散らばる、百人足らずの生徒たち。
しかも、それぞれがさらに数人単位の班に分かれて行動する。
それをすべて見つけ出し、撮影する――無理がある。
それに、二日目には“例の件”もある。
「一応……整理しとくか」
ライトはスマホを取り出し、昨日慌ただしく取り込んでおいた二日目の班別行程表を確認する。
「……やっぱり、お台場泊まりだからか。フジテレビは全班行くんだな」
ホテルの目の前にあるのだから、行かない理由はない。
ただ、訪れるタイミングはきれいに分かれている。
最初に行く班と、最後に行く班。
近場から回るか、遠方から戻ってくるか――その違いは、班の性格が如実に出ている。
「他は……」
竹下通り、渋谷109、スカイツリー、上野公園、そして秋葉原。
定番といえば定番だが、驚くほどバラバラだ。
「……っていうか、企業見学にメイド喫茶って……よく許可したな。自由すぎだろ」
思わずつぶやいてしまったが、幸い誰にも聞かれなかったらしい。
「そうなると……最初にフジテレビ、次に上野公園、それから秋葉原で合流か。
竹下通りは……ま、いっか」
生徒たちが予定通りに動いてくれれば、全体の三分の二はフォローできる計算だ。
――もっとも、現実には半分にも満たないだろうが。
本来なら、どこかにチェックポイントを設け、そこで待機し続けなければ、全員を漏れなく撮影するなど不可能に近い。
だが今回は、学校側の許可もあり、例の件もある。
無理をする必要がないというのは、正直ありがたかった。
各班にはデジカメも配布されているし、引率の先生もいる。
アルバム用の写真は、最低限どうにかなるだろう。
「……気楽に行くか」
そう決めて、ライトは肩の力を抜いた。
何より――自分が行けなかった修学旅行だ。
まどかたちと一緒にこうして参加できるのも、きっと何かの縁なのだろう。
『……右前方に見えるのが、桜田門外の変でおなじみの桜田門です』
バスガイドの声に、ライトはスマホをしまった。
国会議事堂は、もうすぐそこだった。
◇
「まどかぁ。いつまで膨れてんの。ほら、桜田門やで」
翠が隣の席から、指先でまどかの頍をつん、と突っつく。
「……膨れてないもん」
そう言いながら、まどかは見事なまでに頬をぷくっと膨らませていた。
「膨れとるやん」
翠は思わず苦笑する。
最近のまどかは、ライトのことになると、どうにも自制がきかない。
甘えたで、わがままで、感情がそのまま表に出る。
けれど――翠は、それを悪いことだとは思っていなかった。
元々のまどかは、自分のことは後回しで、誰かのために動きすぎるタイプだ。
たとえ自分が損をしても、傷ついても。
だからこそ、こうして自分の気持ちを隠さず、拗ねたり、嫉妬したりする今のまどかは、翠にとってむしろ好ましく映っていた。
「まどか。明日まで我慢したら、きっといいことあるから」
美音子が、やんわりと声をかける。
「でもでもぉ……」
納得がいかないのか、まどかは前方の座席をじっと――否、明らかに睨みつけていた。
視線の先には、ライトの姿。
隣に座る保健医と楽しそうに談笑し、さらに後ろの席の女生徒に話しかけられても、にこやかに応じている。
「うぅぅ……あの笑顔は、私のものなのにぃ……」
「違うやろ! そんなん言うてたら、みやび姉ちゃんに絞め殺されるで」
「みやびちゃんには負けないもん!」
「はいはい、そろそろ落ち着こうねー」
美音子がなだめた、その瞬間だった。
ふいに、ライトが振り返り、こちらに気づいたのか、柔らかな笑顔を向けてくる。
それを見た瞬間――
「……ふにゃぁ……」
まどかの表情が、一気に溶けた。
……ほんま、ライトはんは罪作りやで。
翠はため息をつきつつ、そっとスマホの画面を伏せる。
まどかから見えないように、さりげなく。
そこには、
『まどかが拗ねてる。なんとかせいや』
と送ったメッセージと、
『取り敢えずスマイルで勘弁して』
という、ライトからの返信が表示されていた。
――まったく、通じ合っとるのがまた腹立つわ。
翠は小さく笑い、再び窓の外へ視線を戻した。
東京観光は、まだ始まったばかりだ。
◇
……はぁ、つまらない。
ずっと楽しみにしていた修学旅行。
それだけでも十分すぎるほど特別なのに、どういう運命の悪戯か――ライトさんまで一緒に行くことになって。
これって、もしかして一生分の幸運を使い切ったんじゃないだろうか。
そう思ってしまうくらい、嬉しくて、胸の鼓動が収まらなくて、先のことを想像するだけで息が苦しくなる。
……なのに。
実際は、ほとんどお話もできていないし、一緒にいられる時間もない。
今だって、カメラマンは国会の中には入れないからって、ライトさんは先に外へ行ってしまった。
最近、ライトさんのことを考えると、自分でも分かるほど感情が制御できなくなる。
理由ははっきりしている。
――あのとき。
ライトさんに助けられた、あの瞬間。
胸の奥で、何かが一気に膨れ上がった。
それまでずっと曖昧だった気持ち。
尊敬なのか、憧れなのか、よく分からなかった想いが、その瞬間、はっきりと形を持った。
……あぁ、これ、恋なんだ。
そう気づいてしまったとき、心の中の霧が晴れるのと同時に、もう後戻りできない場所に来てしまった気がした。
時々、自分が思っている以上に、この気持ちが心を占領しているんじゃないかと不安になる。
でも、その分だけ、一歩踏み出す勇気が湧くこともあるから……悪いことばかりじゃない、と思いたい。
「……とは言うものの、行き過ぎてるって思うときもあるのよね」
ぽつりと漏れた独り言。
「自覚してればいいと思うよ」
「えっ……あ、……聞こえてた?」
「しっかりと」
美音子は、くすっと笑いながらそう答えた。
……うぅぅ、恥ずかしい。
まどかは、きっと真っ赤になっているであろう頬を、両手で覆う。
そんなことをしていたせいか、国会の中で何を聞いて、何を見たのか――ほとんど記憶に残らないまま、気づけば外に出ていた。
『はーい、こっち見て。笑顔で〜!』
ライトさんの声。
カメラの横から向けられたその笑顔につられて、思わず口元が緩む。
次の瞬間、パシャリとフラッシュが光った。
……ずるい。
あんな笑顔、見せられたら。
誰だって、笑顔になっちゃうじゃない。
そんなことを考えているうちに写真撮影は終わり、流れるように移動して――
気づいたときには、もうバスの座席に座っていて。
「……あれ?」
少しだけ遅れて現実に戻り、まどかは小さく慌てるのだった。
胸の奥では、まだ恋の鼓動が、忙しなく鳴り続けていた。
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