最終日
修学旅行四日目。
長いと思っていた旅も、終わってみればあっという間だった。
「今ごろ、みんな新幹線の中かなぁ……」
まどかは窓の外を流れていく東京の街並みをぼんやり眺めながら、小さくつぶやいた。
駅へ向かう車の中。ビルの隙間から見える冬の空は高くて、どこか現実味が薄い。
クラスメイトたちは一足先に帰路についた。
まどか、翠、美音子の三人だけが東京に残ったのは、事情聴取と、あの事件の余波を避けるためだった。
あの騒ぎの中心にいた三人が大勢の生徒の中に戻れば、混乱は避けられない。
学校側の判断で、引率の清文が責任者として残り、三人を連れて帰ることになった。
事件のあと始末について、まどかたちは大人たちから簡単な説明を受けた。
犯人は、強い思い込みと歪んだ承認欲求をこじらせた末の犯行だったこと。
特別な思想や大きな組織が絡んでいたわけではなく、どこにでもいそうな、ごく“普通”の人間だったこと。
そして――
「こういうケースは珍しくない」
その一言で締めくくられた。
まどかは、胸の奥がひやりとするのを感じた。
珍しくない?
よくあること?
自分たちはまだ、世の中のほんの一部しか知らない。
努力すれば報われて、夢はがんばれば近づけて、未来は明るいものだと、どこかで信じている。
でも現実には、
誰かの勝手な思い込みで、
誰かのゆがんだ「好き」で、
命の危険にさらされることもある。
それを「よくある」と言われてしまう世界が、急に遠くて、怖い場所に思えた。
三人が言葉を失っていると、静かに近づいてくる足音があった。
「今回は本当に、ごめんね」
星夜と雪乃だった。
二人とも、どこか疲れた顔をしているのに、それでもまっすぐ三人を見ていた。
守る側でいられなかったことへの悔しさと、巻き込んでしまったことへの自責がにじんでいる。
そのまま雪乃は、ふっと翠の前に立つと――ぎゅっと、抱きしめた。
「ありがとう」
翠の思考が止まる。
「翠ちゃんの言葉でね、救われた気がしたの。
私が目指してきたもの、間違ってなかったんだって思えた。
だから……ありがとうだよ」
あの日、怒りと涙でぐしゃぐしゃになりながら叫んだ言葉。
あれが、憧れ続けてきた人の心を支えていたなんて、想像もしていなかった。
翠の口は半開きのまま、声にならない。
顔は真っ赤、目はうるうる、魂だけどこか宇宙の彼方に飛んでいったみたいに呆然としている。
「……は、はぇ……」
意味のない音だけが、かろうじて漏れた。
その隣では、美音子が星夜と向き合っていた。
「有名税、っていうのかな」
星夜は少し困ったように笑う。
「有名になれば、今回みたいな大事件じゃなくてもね、似たようなことはどうしてもついて回る。
見られて、噂されて、勝手に期待されて、勝手に裏切られたって言われて」
それでも、と続ける。
「そういうのも全部ひっくるめて、それでも折れないって言うなら――
ボクは、待ってるからね」
その言葉は、勧誘でも命令でもなかった。
ただの、静かな覚悟の確認。
それがどれだけ重くて、どれだけ優しい言葉か、美音子には痛いほど伝わった。
気づけば、美音子は星夜の手を両手でぎゅっと握っていた。
瞳には涙が浮かび、それでも視線は逸らさない。
怖い。
でも、進みたい。
その気持ちを、見透かされたみたいだった。
少し離れたところで、まどかはその光景を見ていた。
世界は思っていたより優しくなくて、
でも思っていたより、あたたかい人もちゃんといる。
怖さと希望が、同時に胸の中にある。
それが「大人の世界」の入り口なのかもしれないと、まどかはぼんやり思っていた。
事情聴取もすべて終わり、あとは帰るだけ。
張り詰めていた時間がようやく緩みはじめ、心の中に空白ができたような、不思議な感覚だけが残っている。
「大変な旅行になっちゃったね」
まどかの声は、どこか遠くを見ているみたいに淡かった。
「でも、一生忘れられない思い出だわ」
隣に座る美音子が、静かに、でもしっかりとした口調で言う。
怖いこともあった。泣いた夜もあった。
それでも――ただの“最悪な出来事”だけでは終わらせたくない、そんな気持ちがにじんでいた。
「せやでぇ。それに、ライトはんからもろたあのCD、プレミアついてな、もう二十倍の値段になってるらしいで? 悪いことばっかりやあらへんってことや」
わざとらしく肩をすくめて言う翠。
空気が重くなりすぎないように、いつもの調子を崩さないその優しさが、二人にはちゃんと伝わっていた。
まどかは小さく笑う。
「そうだね……でも、ライトさんは……」
そこまで言って、言葉が続かなかった。
視界が滲む。
あの日、あの瞬間。腕の中で感じた温もりと、背中越しに伝わった衝撃。
振り向いたときの、あの顔。
助けてくれた人。
何度も名前を呼んだ人。
なのに――今、この景色の中にはいない。
はっきりとした説明はまだ何も聞いていない。
ただ「大丈夫だから」としか言われていない。
でも、そういった雪乃さんの顔は誰が見ても分かるぐらい青ざめていた。
無理して笑っているのが丸わかりだった。
それが余計に、胸の奥をざわつかせる。
会えるよね。
また、あの少し困ったみたいに笑う顔を見られるよね。
そう思おうとするたびに、不安が喉の奥に引っかかる。
まどかは唇をきゅっと結び、こぼれそうになった涙をこらえた。
楽しかったはずの思い出と、消えない怖さと、そして一人の人への想いが、胸の中でぐちゃぐちゃに混ざっている。
窓の外では、東京の街がゆっくり遠ざかっていく。
忘れられない旅の終わりは、まだ少しだけ、心に痛みを残したままだった。
◇
都内のある病室で……。
星夜は、ぺたんと、脱力したように床に座り込み、雪乃は……大粒の涙をこぼしていた……。
少し短いですが、あとはエピローグを残すのみ、です。
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