一日目 旅立ち
「皆さん、おはようございます。今日は修学旅行日和ですね……」
朝の校庭に、校長先生の声が響く。
いつもと変わらない、安心感のある――そして、やっぱり少し長い話。
けれど。
この先の四日間のことを思えば、真面目に聞いていられる生徒の方が少数派だろう。
横に並ぶ翠も、もちろんその一人だった。
「なぁ……なんで、こういうときの話って、こんな長いんやろなぁ?」
「きっとね、この先を楽しく過ごすためなんだよ」
「ほぉ〜……」
翠は妙に納得したように頷く。
「苦痛を乗り越えた先には、楽しさが何倍にもなるっちゅうわけやな。さすがまどかや、かしこいで」
「……いや、そういう意味じゃ……」
と言いかけて、まどかは言葉を飲み込んだ。
しきりに感心している翠を見ていると、否定するのも野暮な気がして、ただ小さく笑ってやる。
「……というわけで」
校長先生の話が、ようやく締めに入る。
「皆さんが、楽しい思い出をたくさん作ってきてくれることを願っています」
ぱちぱちと、形式的な拍手。
続いて諸注意があり――
いよいよ、修学旅行が始まる。
胸の奥が、そわそわと落ち着かない。
まどかは自分でも分かるほど、ワクワクを抑えきれなくなっていた。
「最後に」
すでにバスへ向かおうとしていた生徒たちを制しながら、霧島先生が声を張る。
「今日から四日間、君たちに同行してくれるカメラマンを紹介しておく」
――え?
その瞬間、まどかの胸が、嫌な予感とも期待ともつかないものでざわめいた。
「っ……!」
息を呑む。
霧島先生に呼ばれて、前に出てきた人物を見た瞬間――
頭が、真っ白になった。
「皆さん、おはようございます」
聞き慣れた声。
聞き違えるはずのない声。
「カメラマンの春日部です。
いつものカメラマンさんが、最近流行っているウィルスに感染してしまって……急遽、代理で同行することになりました。
旅行中、何かあれば、気軽に声をかけてくださいね」
――ライトさん。
その名前を、心の中で呼んだだけで、心臓が大きく跳ねる。
ざわっ、と周囲が一気に騒がしくなる。
それも無理はない。
いつものカメラマンは、校長先生よりも年上のおじいさんで、生徒にとっては「いてもいなくても同じ」存在だった。
それが。
若くて、イケメンで(※まどか視点)、
優しそうで(※まどか視点)、
話しかけやすそうで(※まどか視点)。
そりゃ、ざわつく。
「なぁ……どういうことや?」
「……私も、分かんない」
翠に小声で訊ねられて、まどかは首を振るしかなかった。
本当は、今すぐ駆け寄って聞きたい。
どうして? 本当に? 夢じゃない?
けれど、すでに生徒たちはバスへ向かい始めていて、列を乱すわけにはいかない。
「仕方ないわね」
美音子が落ち着いた声で言う。
「新幹線に乗ったら、時間はあるでしょ。そのとき、ゆっくり聞きましょ」
「……うん」
まどかは頷いた。
驚きは、まだ胸の奥で渦を巻いている。
でも――
(よく考えたら……)
四日間。
修学旅行の間じゅう、ライトと一緒。
中学生活最大のイベントを、ライトと同じ時間を過ごしながら体験できる。
そう思った途端、胸の奥から、別の感情が溢れてきた。
――ドキドキ。
――ワクワク。
「……まどか」
翠が、にやりと笑う。
「顔、完全に崩れとるで」
「ほんと、分かりやすい子ね」
二人が何か言っているけれど、どうしようもない。
自分でも止められないくらい、頬が緩んでしまうのだから。
ふと、視線を感じて顔を上げる。
カメラを構えたライトと、目が合った。
――その瞬間。
ライトが、にやっと笑った……気がした。
胸が、きゅっと鳴る。
(……四日間)
胸いっぱいの期待を抱えながら、まどかは、バスへと足を運んだ。
修学旅行は、思っていた以上に、とんでもない始まり方をしていた。
◇
新幹線のホームは、朝から慌ただしかった。
修学旅行生が利用するということで、多少の融通は利かせてもらっているらしいが、それでも九十人もの生徒が一斉に乗り込めば、現場はほとんど戦場だ。
なんとか全員が無事に乗車し、ようやく一息ついた――そのときだった。
「まどか、ネコ。行くで」
翠が、待ちきれないといった様子で声をかけてくる。
その目はもう、目的地しか映っていない。
「え、でも……」
「今しかないやろ?」
押し切られる形で、まどかも席を立った。
――ライトさんのところへ。
「あんた達、行くのはええけど……場所、分かってる?」
「そんなん、おにぃに聞けばええだけや」
翠なりに、ちゃんと考えてはいるらしい。
そして――
◆ ◆ ◆
「ライトさんっ、黙ってるなんて酷いですっ!」
次の瞬間。
ライトの隣には、がっちりと腕にしがみつき、満面の笑みを浮かべるまどかの姿があった。
(……どう思う?)
(ずっと会えぇへんかったさかい、反動っちゅうやつや)
(ああいう子ほど、開き直ると怖いのよね)
(まぁ……一応、お約束やな)
翠はそう呟きながら、迷いなくスマホを構える。
――カシャ。
そして、その写真をどこかへ送信した。
「いや、だから……こっちも急なことで……って」
ライトはスマホの着信を言い訳に、そっと距離を取ろうとした。
だが、画面を確認した瞬間――
「……はぁ」
諦めたように、天井を仰ぐ。
画面に並ぶ、無慈悲なメッセージ。
『みやび:れーじんの浮気者ぉ〜』
『マリ:アヤちゃん、お義母さんって呼ぶ?』
そこには……、ライトの腕にしがみつき、これ以上ないほど幸せそうに笑うまどかの写真が、しっかりと添えられていた。
(……逃げ道、塞がれてるな)
・
・
・
「ほら、そろそろ席に戻りな」
しばらく三人と過ごしたあと、ライトは名残惜しそうに、けれどきっぱりと告げる。
一緒にいたい気持ちは、正直嬉しい。
だが、これは修学旅行だ。団体行動を乱すわけにはいかない。
――というより。
背後の座席から突き刺さる、清文の視線に耐えるのが限界だった。
◆ ◆ ◆
「……そんな目で睨むくらいなら、さっさと追い返せばいいだろ、センセ」
「うるさい。お前に兄の気持ちが分かってたまるか」
清文は小声で吐き捨てる。
「あそこで俺が口を出したらな、一週間は口きいてもらえなくなるんだぞ」
「そんなん知るか! っていうか、先生としてそれでいいのかよ?」
「あまり良くはないですね」
背後から、落ち着いた声が割って入った。
「まぁ、程々にお願いしますよ」
振り返ると、そこにいたのは学年主任の野崎先生だった。
「春日部君。今回は急なことで、申し訳ありませんでしたね」
「いえ、大丈夫です。それより……まだいらしたんですね」
野崎は、ライトや清文が在学していた頃にも学校にいた教師だ。
当時は新任だったが、同じ学年を受け持っていた。
――そして今では。
あの事件を知る、数少ない教師の一人。
「ええ。とはいえ、来年か再来年には異動になるでしょうが……」
野崎は、少しだけ言葉を選びながら続ける。
「こうして、私がいるうちにあなたに会えたことを、嬉しく思っています。
……直接、謝ることができるのですから」
そう言って、深く頭を下げた。
「謝るって言われても」
ライトは、静かに言う。
「当時の先生に、何かできたわけじゃないでしょう?」
一拍置いて、続けた。
「でも……そう思うなら。今度こそ、間違えずに、あの子たちを導いてやってください」
ライトの視線の先には、騒がしく笑う生徒たち。
「中学生にとって、『先生』ってだけで、特別な存在なんですから」
「……肝に銘じておきます」
野崎はそう答え、頭を上げた。
「では。お仕事もありますが……羽目を外さない程度に、楽しんでください」
そう言って、自分の席へ戻っていく。
その背中を見送りながら、清文がぽつりと呟いた。
「主任な……後悔してるんだよ。俺が赴任したときにも、頭下げられた」
「……ハン」
ライトは鼻で笑う。
「あれだけのことがあって、後悔も反省もしてねぇなら、ただのクズだろ?」
とはいえ。
野崎は当時、大学を出たばかりの新米教師で、ライトや、“あの事件”とは、直接関わりのないクラスの副担任に過ぎなかった。
責任を押しつけるのも、酷な話だ。
「キッツいなぁ。でもな、あれで結構頼りになるんだぜ。学ぶことも多い」
「教師なら当然だろ」
ライトは一度言葉を切り――少しだけ、考えてから続けた。
「と、……半年前の俺なら、そう言ってただろうな」
「今は?」
「少なくとも、“良い教師であろうとしてる”のは分かる」
清文は小さく頷く。
「実際、良い教師なんだろ」
「あぁ。」
「だったら、俺には何も言う資格はないさ」
ライトは、どこか自嘲気味に笑った。
「フリーターの俺より、立派な社会人やってるんだからな」
「違いない」
そう言って笑う清文を、ライトは軽く睨む。
「……まぁ、いっさ」
子供には子供の言い分があるように、大人には大人の事情がある。
それが分かる程度には――
ライトも、もう子供じゃなくなっていた。
それを“成長”と呼んでいいのかどうかは、分からないけれど。
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